第二楽章‐1:真夏真夜中旧校舎
ある昼下がり。
美咲は枕を抱えながら、ベッドでため息をついた。
とうとうこの日が来てしまった。
勇気をだし、部屋を出た。
すると。
「アルミーン!今日は待ちに待った探検だよーぅ!」
廊下で待ち受けていたのはクラスメイトであり、風紀委員会の箕輪なぎさである。
赤い花のカチューシャをつけ、黒い髪を揺らして両手を広げた。
美咲は呆れた顔でまたため息。
そう、今日は。
今夜は、旧校舎探検隊(箕輪が勝手に命名)の出動日である。
全員夏服のセーラー服を着用、ミッションは屋上で花火をすることらしい。
メンバーは美咲、箕輪、綿貫、そして霧島である。
午後10時37分。
真っ暗な部屋で美咲はメールの返信を待っていた。
誰からのメールを待っているかというと、クロこと襟澤である。
今夜はアルニカが休業になるお知らせをしたのだ。
白いふかふかのベッドでゴロゴロしていると、携帯が光りながら鳴った。
美咲は携帯を開け、恐る恐る電話に出た。
「も、もしも……」
「まぁ、気をつけていってらっしゃいよ」
美咲は目をぱちくりさせた。
ガミガミ言われたりするのでは、と思ったからだ。
しかし襟澤はガミガミもしなかった。
「それとも引き止めて欲しかった?」
「そんなわけないじゃない!こういった遊びは初めてだし………」
「じゃあいってらっしゃいよ、顔とか気をつけてな」
美咲はふと先日のショッピングを思い出した。
重要なことをアリシアから聞いたのだ。
「そうだ、情報を手に入れたの」
「ほぅ、誰から」
「山吹病院の管理人」
襟澤が何かを落としたようだ。
ガラスの割れたような音がした。
少しして、襟澤が話を続けた。
「で?あんたを誘拐までした奴と何で会ったの?」
襟澤はアリシアの名前こそ知らないが、美咲の正体を知る重要人物だということは知っている。
ただし、知っているのは声のみ、のはずだがクラッカーであるからしてどこまで知っているかはわからない。
「………朝たまたま屋上で………蕎麦食べて本買って、服も買った」
「なんて危なっかしい休日してるわけ?まぁ無事ならいいけど」
「その謎の少女は“能力喰い(アビリティイーター)”って言って、夜しか活動しないんだって」
美咲はアリシアの短い言葉を思いだしながら説明した。
襟澤は関心を持ちながら聞いていた。
「“能力喰い”ねぇ……………そのワードで十分だな。調べてみる」
「………役に立つ?」
「うん、その…………ぁ、ありがとうな」
少し口ごもったので美咲が短く笑った。
「じゃ、いってきます!」
「ん、いってらっしゃい」
美咲は電話を切り、携帯電話を見つめた。
“襟澤要”のことを思い出したのだ。
クロから聞いた本名を思い出せればこんなに悩むこともないのだが、まだ思い出せなかった。
なんて非常識な奴なんだ、と自分に言ってしまうくらいである。
その時、ドアをノックする音がした。
「アルミーン、行くよー」
と小声で箕輪が呼んでいた。
美咲は携帯電話を持ち、部屋を出ていった。
* *
午後10時59分。
美咲達は古い木製の旧校舎の前にいた。
ギリギリ建っている、というようなどんよりしたボロ校舎で、とにかく真っ暗だった。
美咲の隣で綿貫が肩を震わせていた。
美咲が上から下へと彼女を見た。
「…………怖いんだ」
「こっ!怖いわけねーだろ?このあたしが…」
綿貫の後ろから箕輪があっ、と叫んだ。
「うわぁぁぁぁっ!」
箕輪が絶叫する綿貫に大笑いした。
霧島が口に手を当てながら微笑んだ。
美咲が綿貫の背をさする。
「帰る?」
「誰が帰るか!さっさと花火やるぞ!」
すると箕輪がおおはしゃぎで校舎の木の扉を開けた。
開くごとに木の軋む音が校内に響き、ついに中が見えた。
真っ暗ではあるが、下駄箱が並んでいるのと、奥に階段が見えた。
とても静かだった。
綿貫の手がガタガタと震えていたので、美咲がじろりと彼女を見た。
そしてふとため息をついた。
「っ?!」
綿貫があわてて自分の右手を見た。
温かい手が綿貫の震える手を握っていた。
隣は前を向いたままの美咲がいる。
「……大丈夫だって」
綿貫は泣きそうな目でうなずいた。
箕輪が霧島に懐中電灯を渡した。
「ライトつけるよー」
美咲は静かに目を閉じた。
綿貫はそれを見て首を傾げた。
すぐにライトがつき、美咲が目を閉じているのがわかったからだ。
ゆっくりと目を開き、平然とライトの点いた懐中電灯を箕輪から受け取った。
霧島が廊下に懐中電灯を向け、かすれた看板を見つけた。
部屋の名前が書かれていたのだろう。
「手分けとかしませんよね………?」
「当たり前じゃーん!行こ行こ♪」
箕輪が看板の方へ歩き出した。
三人もそれに続いた。
ホコリまみれではあったが、看板には職員室と書いてあった。
何の躊躇いもなく箕輪が扉を開けた。
「失礼しまーす」
中には木製の机がズラリと並ぶ教員室だった。
白く古い電話が各机に一つ、棚には教科書やファイルと思われるものが置いてあった。
奥の方に一つ、また古い扉が見えた。
黒板にかすれて見えない文字がいくつも残されており、箕輪は唾を飲み込んでまた進んだ。
それに霧島が続いた。
美咲がそれに続こうと綿貫の手を引いた。
その時だった。
プルルルル………
プルルルル………
霧島と美咲のちょうど真ん中の席の電話が鳴った。
電気は既に切られているはずだ。
なぜ、と考える間もなく美咲以外が悲鳴を上げた。
綿貫が美咲の手から離れ、教員室を出ていってしまった。
「綿貫?!…くそっ……箕輪、後でまたここに集合!綿貫探してくる」
箕輪が涙目で何度もうなずいた。
しかし箕輪は霧島を連れて奥の部屋に入っていってしまった。
美咲が呼び止めたが、遅かった。
電話はまだ不気味に鳴っている。
美咲は教員室を出て、綿貫が走っていった廊下を追った。
美咲が暗い廊下に消えた時、電話は止まった。
受話器が勝手にはずれたのだ。
静かな教員室で、その古びた受話器から微か。
「……………………アルニカ……………また会えたね……………………」
電話は切れた。
* *
美咲は真っ暗な廊下を走っていた。
木を伝って音波振動させながら綿貫の足音を探した。
「綿貫!」
二階に上がり、教室の一つから心音が聞き取れた。
美咲はその教室の古い引き戸を開けた。
「ひっ!」
「綿貫!」
綿貫が古い教卓に背をびったりとつけて肩を震わせていた。
既に恐怖の絶頂に達していたのか、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
美咲はすぐに綿貫の手を握り、なんとか立たせた。
「離れないで、面倒くさいから」
「………あいっ……ごめんな美咲ぃ……」
「?行くわよ、箕輪達が待ってる。」
美咲は綿貫の手を握り、自分が来た階段を降りようとした。
一歩踏み出したところで美咲が足を止めた。
綿貫が心配そうに声をかける。
水の音がしたのだ。
「…………綿貫、教員室の隣の部屋で箕輪と合流して」
「何で!お前はどうす…………」
「いいから早く」
美咲は綿貫を階段へ押し出し、二階の廊下へ消えた。
綿貫は勇気を振り絞り、教員室に向かった。
「お前の死は無駄にしないぞ!」
まだ死んでもいない美咲にそう叫びながら綿貫は階段を駆け下りた。
意外と教員室は近く、扉が開けっ放しだったのですぐにわかった。
恐る恐る教員室に入り、奥の扉に近づいた。
「み、箕輪ー………えっと…………霧島ー……?」
古びた扉にはかすれた文字で“校長室”と書かれていた。
綿貫は扉を開けた。
中は教員室の半分ほどの広さで、箕輪が綿貫を見て安心したような顔をした。
当時はさぞ座り心地が良かったであろう、黒い革のソファーに霧島が倒れていた。
「霧島?!どうしたんだ?!」
「急に倒れちゃって……………アルミンは?」
「二階で何か聞こえたみたいで…」
その時
古めかしいピアノの音色が遠くから聞こえた。
* *
何時かはわからない。
そして美咲は何故か、音楽室でピアノを弾いていた。
それは綿貫と別れ、廊下を走った瞬間にさかのぼる。
美咲は何故か床で足を滑らせそうになった。
そして足に水しぶきがかかった。
まるで上から水溜まりを勢い良く踏んだ時のように。
思わず足を止めた。
水がどこかで流れているようだ。
美咲は恐怖心を必死に押さえつけ、水溜まりの上を歩いた。
そして真っ暗な中に掃除用具などが置かれたシンクを見つけた。
水が溢れていた。
美咲が急いで蛇口をひねり、水を止めた。
何か詰まっていたのだろう、と美咲は懐中電灯で排水口を照らした。
「うっ………わ」
水は少し濁っていたものの、排水口には長い髪の毛がうようよしていた。
その時、全く知らない声がこだました。
「アルニカだ………」
「歌って……」
「アルニカ………」
美咲はゾッとした。
しかし後ろには誰もいない。
まだ声は響いている。
「…………これ………もしかして私じゃないんじゃ………」
この旧校舎はちょうど美咲らの母親くらいの世代が使っていた古いものである。
美咲は音楽室に向かって走った。
どこかもわからなかったが、こだまする声を頼りに走った。
結果、美咲はホコリをかぶったグランドピアノを見つけた。
きちんと並べられた机の一つには赤い防災頭巾が置いてあった。
名前はかすれていたが、『姫』という字が見えた。
ホコリを払い、全て開いていた窓とカーテンを閉めた。
ピアノのカバーを開け、鍵盤を一つ軽く押す。
乾いた一音。
「まだ使えそうね」
美咲は椅子を調整し、座った。
「『姫』………か。いつまでもこんなところにいないで、在るべき場所に行きなさいよ」
美咲は古いピアノで弾いたとは思えないほどの美しい音色を響かせた。
ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』が学校中にこだまする。
最後の音まで優しく弾きあげた美咲は、満足気にピアノにカバーをかけた。
音楽室を出ようとした瞬間、小さな拍手が聞こえた気がした。