第一楽章‐3:微妙な二人の豪快なショッピング
午前8時18分。
アリシアの目の前に美咲が降り立った。
病院の屋上ではあるが、美咲にとっては音波振動で登れる範囲内であるため、問題はなかった。
「その車椅子降りられないの?」
「………無理だ、歩けない。」
美咲は腕を組み、口を尖らせた。
そして車椅子を押し始めた。
「何するんだ!」
「さっさと買いにいくわよ。少し尻痛くなるかも」
美咲は車椅子をフェンスの端で内側に向けた。
大きく深呼吸し、精一杯車椅子を押して走り出した。
アリシアはあわてて美咲を見た。
美咲は音波で車椅子を振動させた。
前を見るとフェンスが目の前で…………
突き破った。
風を切り、美咲と車椅子は空中に飛び出した。
下は道路、人、建物、全てが小さく見えた。
まるで鳥のようだ。
「最高でしょ?」
アリシアは空を見た。
いつもより近く、自由に見えた。
隣のマンションの屋上にふわりと二人は降り立った。
「さぁ、桜通りに向かうわよ」
「おい、アルニカ!病院は………」
「本屋行くわよ」
美咲は車椅子を押し、また音波振動させた。
マンションのフェンスをまた突っ切り、ついにアリシアの車椅子は地上に降りた。
「本を買ってきてほしいと言ったんだ!」
「好み知らないし。聞きたいことあるし」
アリシアは平然と桜通りへ向かう美咲にもう何も返さなかった。
桜通りに着くと、人混みで車椅子が通れるような道はなかった。
モールの開店は10時である。
「まだ時間あるわね。朝御飯は?」
「いや、まだだが…」
短い返事とともに美咲はまた車椅子を押した。
車椅子は人混みを掻き分け、小道に入った。
青いのれんがひらりと人を呼ぶように揺れていた。
ちょうどその前で着物の女性が水打ちをしていた。
地面が湿り、透明な滴がキラキラと光りながら跳ねた。
女性が美咲に気付き、微笑みかけた。
「おいでやす、歩海さん」
「おはよう、ざるそば二つね」
女性は摺り足で下駄をカランと鳴らしながら引き戸を開けてくれた。
中に入るなり、女性は呼び掛けた。
「歩海さん来はりましたえー」
台所から返事が聞こえ、美咲とアリシアは温かい笑顔に迎えられた。
木の香りがする小さな蕎麦屋だった。
アリシアは蕎麦屋を初めて見るようで、キョロキョロとその空間全てを見ていた。
女性は素早く台所目の前の席に案内し、椅子を一つ取った。
「どうぞ、お友達どすか?」
「え、あー………」
「そうなの。記念すべき花柳観光日」
「ならうちも混ぜてや、歩海はん!」
かわいらしい女の子がバタバタと美咲のところに突進してきた。
すかさず着物の女性が彼女を叱る。
「こら、しえな!お前は宿題終わってないやろ!」
女の子は頬をいっぱいにふくらませた。
女性はアリシアに微笑みかけた。
「紹介がまだでしたやろ?うちは三善野あきな。この子はしえな、向こうで蕎麦作ってはるのが八潮どす、よしなに」
そう言って着物の女性、あきなは台所に向かった。
美咲がアリシアのきょとんとした表情に気付いた。
「京都出身なの。家と少し縁があってここで働いてるの」
「そうか………」
「箸使える?」
「ああ、問題ない」
美咲はよしよし、とうなずきながら蕎麦を待った。
しえながアリシアをじっと見つめていることに気付いた。
真っ黒な髪をしっかりと三つ編みでお下げにして、丸いキラキラした目でアリシアを見上げていた。
「………何だ」
「お膝のせて?」
アリシアは生まれて初めて聞くお願いに顔をひきつらせた。
この膝に人を乗せる?
美咲がすぐに注意してくれた。
「しえな、これからお蕎麦食べるのよ」
「………」
アリシアはしえなから目を逸らし、車椅子をカウンターから下げた。
「髪を持て」
しえながぱぁっと笑顔になり、すぐにアリシアの長く巻かれた髪を持って膝に座った。
アリシアに振り向き、また笑顔になる。
「ありがとぉ」
「おまちどおさま!ざるそば二つどす」
美咲は丁寧に合掌し、ざるそばを食べ始めた。
アリシアも見よう見まねでざるそばを食べ始めた。
「聞きたいことがあるんだけど」
「何だ」
美咲は蕎麦をすすりながら聞いた。
「隠蔽された事件について」
アリシアがピタリと箸を止めた。
美咲はまだ蕎麦を食べている。
「…………どこで聞いた」
「正義のヒロインは情報早いの」
「タダで教えると思うのか」
「え、これじゃダメなの?」
「この蕎麦は賄賂か!!」
アリシアが初めて全力でツッコンだ。
そして自分は何をしているんだ、というようなため息。
「…………そうだ、こうしよう。お前にも情報を提供してもらう」
美咲は蕎麦をすすりながら首を傾げた。
「もーふぅほろ?」
「食ってから話せ」
美咲は急いで蕎麦を飲み込み、また蕎麦を口にほおばった。
「完食するのか!」
アリシアは舌打ちし、負けじと蕎麦を食べた。
結果、美咲のほうが早く、アリシアはその3分後に食べ終わった。
「で?情報って?」
アリシアはいじわるそうに鼻で笑った。
「アルニカについて」
「うわ最低。とりあえず買い物しながら考えよう」
「賢明だ」
午前9時52分。
しえなの猛烈なお願いを断りながら、二人は蕎麦屋を後にした。
「どうせ来たのだから、お前をふんだんに使ってやろう」
「何言ってんの、私は本屋行ったら帰」
アリシアが大きなショッピングモールを指差した。
「進め!」
「ふざけんなよ本当にもう」
と言いつつ、美咲はモールに向けて車椅子を進めた。
こうして、微妙な二人のショッピングが始まった。
* *
午前10時14分。
美咲とアリシアは本屋にいた。
全体的に聡明な青い店でたくさんの言葉を乗せた本がぎっしりと並んでいた。
アリシアは初めて本屋を目にしたようで瞳をキラキラと輝かせた。
「…………これが本屋…………」
「いつも何読むの?」
アリシアは懸命に売り場を見回し、“えほんコーナー”を指差した。
「連れていけ」
「………わかった」
絵本かいぃぃっ!と心の中で叫びながらも、美咲は“えほんコーナー”へと車椅子を押した。
かわいらしい、どこか懐かしい絵本が並んでいた。
色も様々で、新しいものから古い名作までぎっしりと…………
「あの本とってくれ」
「………ん?あ、はい、これね………って懐かしいもの読むわね」
こどもの頃に読むようなかわいらしいウサギの絵本だった。
美咲はアリシアに本を渡した。
「どうせ来たんだから他にも買えば?」
「…………そうか、では図鑑というのも読んでみよう」
というはじまりで。
結局本屋に2時間居座るハメになった。
買い物かごまで登場し、その額は…………
「●●●●●●円です………」
「ちょっと待て!どこにそんな大金……」
アリシアはポケットから財布を出し、黒光りのカードを渡した。
「これ一括で」
「ブラックカードぉぉおぉっ!!!!」
先に述べておこう、この美咲のツッコミはあくまでも心の中でのツッコミである。
とツッコミはさておき、アリシアは郵送を頼み、本屋を後にした。
アリシアが次に向かったのは、中高生の女子達に人気の服屋だった。
シンプルなものからキラキラしたものまで、季節を先取りしたもの、帽子や靴下まで並ぶ店である。
もちろん、美咲は来たことがない。
何故なら、制服とパジャマ以外に必要性を感じなかったからである。
しかし、この春にピンクのワンピースをもらってから内心気になっていたようで、少しだけその目を輝かせた。
「進め」
「………はいはい」
美咲は店に入った。
レースつきのかわいらしい薄着やスカートのコーディネートがなされたマネキンが目立つ。
夏ということで、だろうか。
美咲は店員の「いらっしゃいませ」に軽い会釈をしながら聞いた。
「病院でこんな服着るの?」
「あー…………そうだな、もう秋になる。先取りでもしようか」
「まだ7月だけど」
「では夏物も買うか」
アリシアは上着売り場を指差した。
美咲が車椅子を押すとアリシアが聞いた。
「そういえば海には行ったか?夏だしな」
「海は………」
美咲は言葉が思うように出なかった。
そういえば約束したような気がしたからだ。
海に行く、と。
行かない、と答えるべきではない。
もしあの夜の襟澤の言葉が嘘だとしても、美咲は信じることにした。
「………そのうち………行くかもしれない」
「そうか、では水着でも………」
「みっ………!」
美咲は赤面した。
実は、水着なんて水泳の授業で何回かしか着たことがないからである。
何故なら、入って水を掻き分けた瞬間に音波振動でプールが大混乱するからである。
一緒に入ったクラスメイトは皆すぐに水からあがり、美咲を見た。
それから、プールには入れない見学生徒になった。
そして今、美咲が想像しかけたのはスクー…………
アリシアは水着を指差した。
ビキニである。
白いレースをあしらったかわいらしい、ビキニである。
美咲は自分の想像の限界を超えた。
そもそもビキニを見たことがなかった。
口をぽかんと開け、停止した。
開いた口からは何かがふわりと浮いていた、ような気がした。
アリシアが首を傾げると、美咲は何も言わずにビキニコーナーから離れた。
上着売り場に戻って一言。
「さぁ、早く選びましょうね」
そうして美咲とアリシアは長い長いファッションショーを経て、やっとモールを出た。
もう夕方だった。
「そろそろ病院に戻らねばな」
「……………そうね」
意外にも疲れた美咲は、また人混みの中で車椅子を押した。
山吹病院に向かって。
「そういえば情報は聞かないのか?」
「アルニカはその全てを誰にも語らず。掟は破れないから話は無しね」
美咲は人の波と車椅子の車輪が当たらないか注意しながら話した。
「あ、でもこれなら。アルニカはね、パソコンとか一切使わないのよ」
「何?!」
アリシアが急に振り返った。
思わず美咲が足を止める。
「………す、すごい発明でしょ?」
「ではどうやって………まさか身体の接続ができるのか?」
美咲はアリシアに感心した。
「音があれば、ね」
「では…………お前は電脳世界で死んだら………」
美咲は微笑み、また車椅子を押した。
アリシアは前を向き、ため息をついた。
病院が見えた。
「アルニカ」
「……それ呼ばないで、バレるから」
「今回の実験“能力喰い”は夜しか活動しない。あれは現実世界でも同じ能力だ。言えるのはこれくらいだ」
「え?!それあの事件の?………言っちゃって………」
「良い」
病院の前には警備ロボットのキャロラインとアンジェリカが並んで立っていた。
アリシアは車椅子に掛けていた紙袋二つを美咲に押し付けた。
夏から秋冬にかけての服一式を買ったものだ。
「え」
「これは蕎麦と買い物に付き合ってもらった礼だ。受けとるが良い」
アリシアは自分の手で車輪を回し、ロボット達のいる病院へと走り出した。
美咲は紙袋の紐を握りしめ、加減して叫んだ。
「ありがとう!」
アリシアは車椅子を止め、振り返った。
「やればできるんじゃないか。音波振動の加減。海、楽しんでこい」
アリシアは病院に入っていった。
午後4時42分。
美咲は長い夏休み初日の思い出を握りしめ、寮に帰っていった。