第一楽章‐2:隠蔽された事件
これは一週間前に起きた出来事。
最初の被害者は真夜中に電脳世界にログインしていた。
人気のない場所に出ると、真正面から踵を鳴らす音が響いてくる。
一声呼び掛けると、ゆらりとその姿を見た。
と思うとそれはふと消え、息をする間もなく後ろからひんやりした手につかまれた。
か細い女の子の声は言った。
「ハロー、ハロー、貴方を奪わせて」
そして首もとにくちづけをし、消えてしまったという。
現実世界に戻ると、大問題が発生していた。
被害者は能力が一切使えなくなっていた。
少女が奪ったのは能力だった。
「とまぁ、それがここ一週間で続出してるわけだ」
「でもニュースでは全くそんなの………」
「だから、研究所が抑えてんだって」
研究所のデータベースにハッキングした際、たまたま見つけたようだ。
よく気づかれなかったな、とも思うがクロはどこか誇らしげだった。
報道、ネットでの情報、全てを制圧しているようで、一般人には一切を知らされていない。
「ちなみに、その女の子は銀髪で真っ黒ゴスロリだったらしいぜ。」
「何でそんな事までわかるのよ」
「俺の知り合いがまた引っ掛かった」
また?
アルニカは首をかしげた。
何を聞きたいのかわかったクロは聞かれる前にすぐに答えた。
「そいつあらゆるトラブルに巻き込まれる天才なんだ。死にゃあしないから心配すんな」
「そ、そう。なら気を付けて、とだけ」
クロがバッとアルニカを見上げた。
少しショックを受けたような困った目でみつめてきた。
アルニカは思った。
何か今、私は言っただろうか?
「…………」
「………?」
「………俺よりそいつを………」
「…………ちょっと待った!」
アルニカがひょいとクロを抱き上げた。
クロはおとなしく前足をアルニカの手に引っ掛けた。
「今、その知り合いを心配しただけよ?別にお前心配する箇所全く無かったじゃない!何、うらやましいとか思ったわけ!そんなお子様じゃないでしょ?」
クロはふい、と顔を背けた。
アルニカは衝撃の真実を察した。
うらやましいとか思ったんだ。
アルニカはクロを下ろし、小さな額を撫でた。
「………ちゃんと心配してるから。研究所までハッキングした大馬鹿者をね」
「そこは天才って……………あ、また猫じゃらし…………!」
アルニカはピンクの猫じゃらしをクロの鼻辺りでふわふわさせた。
クロは少し耐えていたが、すぐ両前足で猫じゃらしをつかもうとした。
アルニカは笑った。
クロはそれを見て温かいため息をついた。
アルニカがあまり声を出して笑うことがないからだった。
しかし、アルニカが何か思い出し、その笑いを止めた。
クロの現実世界での名前は襟澤。
そういえば今朝、芦屋が“襟澤要”という奴に頬キスをされた、という話を聞いた。
急に思い出したアルニカは冷や汗を垂らした。
聞きたい。
しかし、この前聞いたばかりの名前をもう一度聞くのは失礼だ。
彼女は必死に頭を回転させた。
「そ、そういえばさ………………」
「?何か?」
「………………」
アルニカは口を固く閉じ、視線をそこらじゅうにチョロチョロと動かした。
クロが首を傾げた。
「きっ!気にしないで!私帰る!」
「?!ちょっ!」
アルニカは素早く立ち上がり、両手をパシッと合わせた。
「ドロロンッ!!」
アルニカは消えてしまった。
クロはその場にちょこんと残されてしまった。
「……………その場ログアウトできないくせに……………」
アルニカはその頃、音速全力で寮に向かって走っていた。
勇気が出たら聞くとしよう。
そうだ、そうしよう。
アルニカは自分に言い聞かせた。
こうして本日のウィルス退治は中断された。
* *
午前7時54分。
美咲は薄暗い部屋でゆっくり目を開けた。
手探りでカーテンを握り、勢いよく開いた。
太陽の光が急に部屋に射し込んだ。
しかし、美咲は下を向いていた。
太陽の光を全く見なかった。
頭をぐしゃぐしゃと掻き、ベッドから降りる。
「…………今日から……………」
そう、今日から、夏休みである。
美咲はだらだらと制服に着替え、部屋を出ていった。
彼女は制服とパジャマ以外の服を持ち合わせていない。
何ヵ月か前にピンクのフリルワンピースをもらったが、部屋着化しているので外向きの服は制服しかないのだ。
ふわふわの小さなカラビナポーチが歩く度に揺れる。
たった一人で寮を出た美咲は、桜通りに向かった。
応力発散事件でぼろぼろになった桜駅は大分修復され、ショッピングモールも全て営業を再開していた。
というわけで、お買い物に行こうとしていた。
私服の学生達がわいわい歩く中、美咲は無言で歩いていた。
その時、携帯電話が鳴った。
知らない電話番号が映っていた。
美咲は気分で電話に出てみた。
「もしもし」
勿論小声だ。
音波で誰かに被害が及ばないかがまだ心配なのだ。
「君、これからどこ行くんだね?」
「誰?」
相手は女性だった。
少しだけ幼げな声だった。
「私はアリシア・フリーデン。一度会ってるな?」
美咲は背筋に寒気がした。
辺りを見回したが、彼女はいない。
アリシア・フリーデン、能力者の監獄とも言われる山吹病院の管理人である。
長い金髪を膝に乗せ、車椅子に座った小さな女性だ。
探していると、アリシアが笑った。
そして美咲は、すぐ近くに山吹病院が見えることに気付いた。
屋上に遠見ながらも、金髪と車椅子が見えた。
美咲はゆっくり病院に近づいた。
「見えたか?」
「何か用?」
「お使いを頼まれてほしい」
何を言われるかと思えば、お使いである。
美咲は先ほどまでの緊張感を無駄に思った。
アリシアは数少ない“アルニカの正体を知る者”で、警戒しなければならない人物だ。
それが何故いきなりお使いを頼まれなければならないのだ。
「実は………」
「………」
アリシアは一度ため息をつき、こう言った。
「………適当に本を買ってきてほしい」
「はぁ?」
何故いきなり本。
しかも適当。
「てめえで買えよ」
「そう言わずに買ってきてくれ」
美咲は考えた。
もしかしたら、彼女は一度も外に出たことがないのかもしれない。
何かがほしい度に、誰かに頼んでいるのかもしれない。
「…………うん、やっぱりてめえで買えよ」
美咲は電話を切り、ため息をついた。
* *
午前8時16分。
アリシアは風に頬を撫でられながら、ため息をついた。
本日、隣につかせている警備ロボットのキャロラインとアンジェリカは中に残らせている。
休憩がてらにたまたま屋上に出て、本が読みたくなって、たまたま遠くに美咲を発見したのだ。
「外は出たことないしな………やはりキャロラインに………」
「やっぱりね」
アリシアは驚き、声の主を探した。
空から声がしたからである。
まるで響くような声が届いた。
しかし、それはすぐに現れた。
空から、青と白のセーラー服をふわりと風に乗せて、彼女はアリシアの前に降り立った。
美咲歩海だった。
「さっさと行くわよ」
アリシアは言葉を失った。