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アルニカ交響曲  作者: 結千るり
50/110

序曲:自殺寸前の少女

祝、50話です。

第四章、どうぞよろしくお願いします。

ある朝、少女は黒板の前に立ち尽くした。

いっぱいに書かれていたのは少女に対する悪口だった。

後ろで小さな笑い声がする。

無視して机に向かうと花瓶に一輪の白菊が生けてあった。

教科書は机から出されていた。

少女は拾おうと屈んだが、女生徒が一人、その隣で花瓶を落とした。

水が教科書に真上からかかり、ガラスの破片が少女の手を傷つけた。

「あーら、ごめんなさい。片付けておいてくださいな」

高笑いが響き渡る。

少女は泣きそうな顔を必死に床に向け、教科書を水から救出する。

するとチャイムが鳴り、前の席にいた女生徒らが黒板の悪口を消し、先生が入る頃には少女が床を拭いている以外に変わりはなかった。

先生が心配そうに駆け寄るが、少女は拭き終わった雑巾をベランダにかけ、席に着いた。

また小さな笑い声がする。

少女は背筋をピンとしていたが、申し訳なさそうに座っていた。

これはあるお嬢様学園のある教室の朝の出来事である。




    *   *



午後2時14分。

またある少女は黒板にずらりと並ぶ数式を前に、机にダルそうに突っ伏していた。

隣には金髪ロングの女生徒。

教卓には腰の悪そうなおじいちゃん先生。

少女は黒に近い桃色の髪を少しずつ二つに結び、涼しげな青いスカートにはふわふわのカラビナポーチを下げていた。

少女はため息をつきながらまた黒板を見る。

「…………無理」

おじいちゃん先生が続いてため息。

「君はどうして数学だけできないんですかねぇ。ピクニックとか騒いでましたけどそんな暇あると思ったら大間違いですよ、美咲さん」

少女の名前は美咲歩海である。

学園では“鋼鉄の音姫”と呼ばれ、巷では“喧嘩買いの少女”と呼ばれる有名人である。

あらゆる楽器を奏で、音波さえ操る彼女は能力者を隔離するこの日本の首都“花柳”でもトップに食い込む生徒である。

花柳は世界のネットワークを管理するために東京を丸々改名した都市である。

そんな彼女にも苦手なものはある。

それが。

「先生、7分の3なんて生涯絶対使わないよ」

「使います。ケーキ切るときとか、ね?」

おじいちゃん先生は小首をかしげて聞いた。

しかし美咲はシレッと言った。

「真っ二つ」

言葉を失った。

あ、ケーキを真っ二つ、ですか。

隣で足をブラブラさせるのは、クラスメイトで友達である綿貫菜穂である。

長い金髪を揺らしながら言った。

「マジありえねー!ピクニック言い出しっぺの箕輪は先に帰るし、遊べねーじゃん!」

おじいちゃん先生がにっこりした。

「はい、遊ばないで下さいね」

綿貫が真っ青になる。

美咲は席を立ち、カバンを持った。

数式だらけのプリントは机に残っている。

先生が呼び止めるも、彼女は格好よく手を振って教室を出た。

綿貫はプリントを見て驚いた。

「先生、これ写していい?」

先生が美咲のプリントを見る。

全て埋まっていた。

しかも正解。

「……………やればできるのに……何で捨てるのかな、数学」

先生はため息、しかし綿貫から美咲のプリントを奪う。

綿貫はあきらめ、仕方なくプリントと闘い始めた。




    *   *




午後2時18分。

美咲は動物小屋に向かっていた。

革靴を履き、グラウンド脇を目指す。

途中、人気のない大木に気配がした。

ちらと上を見ると、誰かが木登りをしていた。

葉が揺らぎ、日の光が枝の間から差して心地よかった。

誰か人がいる。

スカートがひらと見えたのでここの生徒に間違いない。

今時木登りなんて珍しいな。

美咲はそのまま動物小屋に向かい、一つの小屋の前で止まった。

花柳が誇るお嬢様学園である椿乃峰では、何故か孔雀が五匹いる。

何故孔雀がいるのかは知らないが、現実いる。

そして孔雀たちは、美咲が嫌いなようだ。

最初、彼女がキレイな彼らを見たときにいっぱいに美しい羽根を広げてくれた。

しかし、用務員のおじさんが笑いながら言ったのだ。

「おや、嬢ちゃん嫌われたね!羽根を広げるのは威嚇なんだよ〜」

それから美咲と孔雀達の戦闘は始まった。

アルミホイルを丸めて投げつけたり、「バーカ」と言ってみたり。

その度孔雀達は羽根を広げ、彼女を威嚇する。

いつかその羽根抜いてやる!というのが密かな夢らしい。

美咲は今日もまた「バーカ」と気晴らしに言いにきた。

しかし、彼らのいつも見る威嚇を前にきょとんとしていた。

木登りしていた女生徒を思い出す。

葉のざわめきであまり聞こえなかったが、彼女は動揺していた。

木登りしていればドキドキするのは当たり前かもしれない。

しかし、嫌な予感がした。

美咲は羽根を収めて様子を伺う彼らに言った。

「ごめん、お前らより気になる奴がいる」

美咲は走り出した。

音速で大木の前に戻った美咲は止まってため息をついた。

木の上には女生徒が一人、手足を震わせて立っていた。

「…………死んじゃうの?」

女生徒は美咲に気付いた。

女生徒は銀色のセミロングの髪を風に揺らし、涙ぼろぼろの顔を上げた。

「………どうして戻ってきたんですか?」

「なんとなく」

美咲は高い木を見上げ、彼女の居場所を確認した。

「とりあえず危ないよ?」

「いいの!みんなに毎日いじめられるくらいなら死んだほうがマシです!!」

「死ぬ勇気があんならいじめてきた奴ぶん殴って来い!」

女生徒は口をぽかんと開け、美咲をまじまじと見ていた。

「そもそも、死ぬってすごく痛いのよ?」

美咲は腕を組み、呆れたように言った。

「え?痛いの?」

「当たり前でしょ、下はコンクリートなのよ。痛くないとでも思ったの?」

女生徒がカルチャーショック状態に陥っているようで、足をガクガクさせながら何も答えない。

「とりあえず降りてきなよ。首が痛い」

「……………ない」

美咲はすでに何分も彼女を見上げているため首が限界である。

一度下を向き、首を振り、また彼女を見上げて聞き返した。

すると彼女はやっと聞こえる声で言った。

「………降りられないわ」

「何で!今登ってきたんじゃないの?」

「落ちるつもりで登ったのよ?!降りるつもりなかったの!」

美咲は面倒くさそうにため息をついた。

「そこつかまってなさいよ」

すると美咲は踵を鳴らし、少女のいる木の上まで音波で飛び上がった。

少女の目の前に着地した美咲は手を差し伸べた。

「ほら、降りるわよ」

「…………怖い」

美咲は呆れた顔で首を振った。

どこのお嬢様だよ。

そう言うあなたもお嬢様ですよ?と言いたいところだが、あえて言わない。

美咲は花柳を統べる“美咲組”という組のお嬢様である。

美咲の母であり、組長である美咲歩遊は初の強い女組長としてその名を広く轟かせている。

幸いなことに美咲は高いところは恐くない。

少女がガタガタと震えており、美咲は何かを決心したように頷いた。

少女をひょいと抱き抱え、お姫様だっこした。

「きゃあぁ!!?」

「つかまってなさい!」

美咲は木から躊躇いなく飛び降り、ダン、と着地した。

「はい、到着!」

「あ、ありがとうございます…」

「……いいよ、別に」

女生徒はまるで外国人のような白い肌に先をカールさせた銀髪、細い容姿の可愛らしい少女だった。

クラスによっては妬ましすぎていじめられるかもしれない。

その容姿に静かなお嬢様がついたら完璧なお嬢様である。

「私………Aクラスで…………その………」

いじめられる理由はその存在自体だ、と美咲は優等生ばかりのクラスであるAクラスの言い分を理解した。

「…………さすがにぶん殴って、というのは………」

美咲はうなずいた。

美咲ならともかく、彼女には無理だろう。

「そうね。じゃぁ………………」

美咲は腕を組み、小声で唸った。

二人は自殺未遂現場で座り込んでいた。

そして頭をフル回転させた彼女が人差し指を突き立てた。

午後3時14分。

「明日、私の言う通りにしなさい」

女生徒は首を傾げた。


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