第一楽章‐4:謎の爆発
アルニカ
美咲歩海が使う電脳世界専用アイコン。
楽器はツールとして扱い、曲は主にログインする時に使ったオルゴールなど。
もとは自分のものではなく、誰かから譲り受けたらしい。
由来(?)
アルニカは少しマイナーなハーブの一種。
化粧品関係で時より出てきたりする。
黄色い花を咲かせ、日本ではウサギギクと呼ばれる。
花言葉は「愛嬌」
春だというのに、今日は雨によりとても寒かった。
午後4時17分。
びしょ濡れになった美咲と芦屋は女子寮の青の棟305にいた。
ルームメイトの神宮が美咲の突然の来室に目を輝かせていた。
「いらっしゃい!びしょ濡れじゃない、何か着替えなきゃ!」
大きな窓から雨模様の空が見える。
青のじゅうたんに白い壁、クローゼットにドレッサー、色とベッドが二つということ以外は美咲の部屋と何ら変わりはなかった。
ただ、ベッドが一つ入るだけでこんなに広さが違うのか、と美咲は実感した。
芦屋は白いバスタオルを用意した。
神宮がクローゼットの中まで入って服を探している。
「美咲さん、風呂で体あっためてらっしゃい」
美咲は白いバスタオルを受け取り、小さめの声で質問した。
「先輩は?」
「いや、普通お客さん先でしょ。さっさと入ってらっしゃい」
美咲は少しためらいを交えながらこくりとうなづいた。
「お借りします」
美咲のバスルームへ歩く背を見送った芦屋に神宮が何やら服を二枚もって寄ってきた。
「どっち着せようかなぁ」
芦屋はちらと二枚の服を見てぎょっとした。
「何だそれ?!」
神宮が持ってきた服はとても美咲には着せられないものだった。
右手には黒に赤いリボン、黒のフリルのついた全体的にブラックなメイド服(チョーカーには鎖つき)。
左手には白にピンクの縁取り、胸のあたりにリボンのついた超ミニスカート(しかもこれまたフリル)。
芦屋は両方とも美咲が着る姿を想像するのが恐ろしかったため、腰に両手を当てて言い切った。
「却下!!」
「え、マジで?じゃぁ………着物とか?」
「シャワー浴びた後そんなもん着る奴どこにいるの!!」
それ以前にそんな服をどこから持ち出したかもわからない芦屋はため息をついて自分のクローゼットをガラリと開けた。
「これでしょ」
一枚の服を手に深くうなづいた。
* *
バスルーム。
美咲歩海は絶望の窮地に立たされていた。
青と白のタイルできらびやかなバスルームでシャワーを浴びているが、美咲にとっては大問題が発生していた。
美咲がアルニカになる時、髪は下ろして結んでいた部分だけ少し長めに垂れる。
つまり、
「このまま出たらアルニカだよね…………」
まずいよ!
まずいって!
しかし、濡れた髪をまた結んでいたらおかしいだろうし、疑われてしまう。
シャワーを止め、白いバスタオルを胸の少し上で巻いた。
太ももが半分くらい隠れるくらいの長さで、美咲は巻きおわるとドキドキしながらドアノブに手をかけた。
このドアの向こうは更衣室、その向こうが生徒会プラス一般人に正体を知られてしまう運命の部屋。
更衣室でどうにかしてこのアルニカヘアーをどうにかしなくてはならない。
そう思いながらドアを開けた。
すると、
「美咲さん!服はこれ着てね!」
笑顔満開の芦屋千代が桃色のワンピースを両手で広げて見せびらかすように、そこにいた。
美咲は硬直するしかなかった。
まだアルニカヘアーなのに………見られてしまった。
ワンピースは二部の半袖で、胸のあたりに紐リボンがつき、膝上3センチくらいのミニスカートだった。
しかし美咲にそんなことを気にする余裕はなかった。
芦屋が美咲のアルニカヘアーを見つめたのがわかってさらに緊張感は高まった。
呼吸がこれほど難しいものとは思わなかった。
あのクロとかいう謎い有人アイコンの謎い能力とはまた違う呼吸と緊張感だった。
芦屋は黙っている。
美咲の緊張感は更に高まり、頂点に達した。
「…な、何でしょう」
すると芦屋はにっこりしてすぐ下にあるプラスチックの籠に入ったびしょ濡れの制服とワンピースを交換した。
「これ干しとくから、今日はそれ着てなさいね!反応見ようと思ったのにまさかノーリアクションだなんて、まだまだ甘いわね」
芦屋はくるりと美咲に背を向けて、更衣室から出ていった。
美咲はその場に立ち尽くした。
ばれなかったのか?
まさか、濡れていたからわからなかったのか?
まだ緊張感は止まらなかった。
一応バスルームから更衣室に一歩、二歩と足を踏み入れてバスルームのドアを閉めた。
深く、大きなため息。
少しホッとして先ほど置いていったワンピースを広げた。
硬直した。
上から金ダライが落ちてきて、いい音で頭に叩きつけられたような感覚だった。
4時36分。
仕方なく美咲歩海はピンクのワンピースを着て更衣室を出た。
芦屋と神宮がその姿に目を輝かせたのが美咲にはよくわかった。
胸のあたりにリボンがあり、スカートの両端は少し紐で絞めていてくしゃっとしている。
美咲は軽く顔を赤らめていた。
「ほら、似合うって言ったじゃん」
「めっちゃかわいい!美咲さん、それあげる」
「私のよ!」
芦屋は神宮の頭をはたき、背伸びした。
「美咲さんは私のベッドに座ってなよ。風呂入ってくるから」
そう言いながら芦屋は更衣室の扉を閉めた。
わりとすぐにシャワーの音がした。
美咲は叩かれた頭を撫でる神宮の前、芦屋のベッドに座った。
メモに書いて見せた。
〔大丈夫ですか?〕
神宮はそれを見ると、歯を見せて笑った。
「大丈夫!もう中学から一緒じゃ慣れるって」
〔そんなに一緒なんですか?〕
「まぁね。あと小声なら喋れるんだよね?喋ってよ」
美咲はメモを閉じ、ベッドの上に置いた。
「では小声で」
「よしよし!ちーは多分風呂浸かるからそれまでお話しよ?」
美咲は微笑んでうなづいた。
ちーとはおそらく芦屋のことだ、と予想した。
「で、ちーが君に喧嘩売ったんだって?」
「二度」
美咲は眉をつりあげて睨むような顔で答えた。
「まぁ、ちーはどこまでもまっすぐだから喧嘩売ってるように見えたのかもね」
美咲は首を傾げた。
いつもはセーラー服で見る無愛想な美咲も、少し可愛らしく見えた。
「背負い投げはまっすぐな行動なんですか?」
「そりゃちょっとやりすぎだけどね」
神宮はあぐらをかいて笑った。
「でも君もちょっとちーに興味わいてきたでしょ?どうして音波の振動が効かずに背負い投げされた、とかね」
美咲はズバリと当てられ冷や汗を垂らした。
確かにそうである。
あの部屋で美咲は音叉で部屋中を響かせ、手首にさえ触れられなかったはずだった。
何故なら、音波の振動で傷を負わせられるからである。
しかし芦屋千代はそれを平気で触り、背負い投げまでした。
美咲の中ではあり得なかった。
音波振動を無視できるような能力を芦屋はもっているのだろうか、と考えたりしたがそんなわけもなかった。
何故なら、そんな能力を持っているなら美咲の能力値測定で懸命に耳を塞がなくても良いはずだからである。
この矛盾が不思議でならなかった。
「ちーはそんな能力なんて無いよ?」
「?!」
「さてこれはどーゆーことでしょう」
神宮が足をばたつかせてまた笑いだした。
まるで馬鹿にされているようだった。
しかし美咲はあまり動くのをやめた。
何故なら、アルニカヘアーがばれてしまうからである。
「じゃあ何で……?」
神宮がふと視線を上に向けた。
美咲が上を向くと風呂上がりでバスローブ姿の芦屋が立っていた。
ドアの開く音さえ聞こえなかった。
気付いたらそこにいました、のようなシチュエーション。
まだ少し湿った紫色の髪を一まとめに結い上げてあった。
芦屋はにっこりと(どこか黒い)笑顔で二人に告げた。
「私の能力は“根性”よ」
「ははは……」
芦屋は美咲の隣に座り、手足を組んだ。
バスローブから見えるすらりとして少し濡れた足が女の色気を代弁していた。
「で?どんな話をしてたのかしら?」
神宮は両手を前に突き出し、芦屋の言葉の攻撃をガードするようにひらひらさせた。
美咲はもう苦笑いで黙っているしかなかった。
「いや、これは美咲さんとちーを仲良くしてみようかな計画で………」
「そんな話してないじゃない」
「でも誤解を解くあたりから始めようかな、なんて思うじゃん?」
「何の誤解よ。あんたのただの無駄話になってるだけじゃない!」
「先輩」
美咲の小さな声に芦屋だけ気付いた。
神宮はまだわけの分からない言い訳を繰り返している。
美咲は芦屋の目をじっと見た。
「単刀直入ですけど、最近よくある爆発ってやっぱり事件ですかね」
神宮はさすがに聞こえたのか、美咲に笑顔で返答。
芦屋は神宮の首をつかむ手をどけた。
「あ、今ちーが調べてるやつじゃん」
「でも部外者には教えられないわ」
「昨日爆発見ました」
芦屋は少し沈黙し、ベッドに座りなおした。
美咲の隣で話しはじめた。
最初の事件は先週。
電脳世界の通報で『空が割れて何もかも吸い込まれた』と男性が動揺しながら言ってきた。
嘘だと思って現場に向かうと、そこにはあったはずの建物や通報してくれた人までいなかった。
目撃者も遠目でしかおらず、みんな口を揃えたように言う。
『空に何もかも吸い込まれていた』
建物も人も、ファイルデータさえなくなる。
それが今週にかけて四件…………昨日ので五件起きている。
現場も特に共通点はなく、全てがなくなってしまうのが唯一の共通点だった。
しかし昨日の現場では何一つ吸い込まれてはいなかった。
まだ原因は不明。
全てを無差別に跡形なく吸い込む電脳世界の空にできた穴。
私たちは極秘ながらもこの事件をこう呼んでいる。
「時空領域事件、と」
芦屋はもう生徒会芦屋千代の顔だった。
美咲は少し昨日の現象を理解できた。
「ブラックホール……………でもあれ…」
その瞬間だった。
外で大きな爆発音がした。
三人とも窓に釘づけになった。
外は雨が降り続くそのままの街並みだった。
芦屋はノートパソコンを開いた。
美咲と神宮も画面を覗くと、そこには花柳全体の電脳世界のマップが表示されていた。
その中で一点、赤く点滅していた。
「公園だわ!私行って来る!」
そういって芦屋は更衣室に駆け込み、わずか五秒でジーンズとTシャツ姿に着替えてきた。
颯爽と部屋を出ていった芦屋に神宮が手を振った。
美咲もこうしてはいられなかった。
「先輩、私は念のため部屋に戻ります」
すると案外簡単に、
「そっか、じゃまた来なよ?」
「はい、お世話になりました」
美咲はお辞儀をして305号室を出た。
扉を閉めた瞬間、美咲は音叉を手に震わせた。
鞄から群青のオルゴールを取り出した。
「導いて、アルニカ」
美咲はオルゴールに吸い込まれ、その瞬間、電脳世界に咲いた。