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アルニカ交響曲  作者: 結千るり
48/110

終曲:七夕

午前5時58分。

襟澤はゆっくりと、何度か半開きの目を瞬きさせながら起きた。

目が覚めただけで、体は起こしていない。

できれば一時間くらいこのままグダグダしていたいものである。

しかし彼は起き上がった。

外からの日差しを障子の和紙が和らげる。

精一杯に伸びをし、欠伸をした。

襖を開け、目を擦りながら階段を降りた。

遠くからご飯を炊いた匂いがした。

もう料理を作っているのか、と思いつつ彼はその匂いをたどった。

近づくにつれ、包丁が何かを切る音がした。

しばらく歩くと、匂いのする湯気に揺れるのれんが見えた。

一応笑顔で中に入る。

「おはようございま」

ストッ

襟澤の髪の隙間を風が通り、彼の全てを停止させた。

恐る恐る隣の木の柱を見ると、垂直に出刃包丁が刺さっていた。

少し間違えれば襟澤は今日、葬式を挙げなければならなかった。

それをきれいに投げた女は一切こちらを見ていなかった。

「さっきも入るなって言ったけど?この酔っぱらいどもめ………」

古い日本風の台所にいたのは着物姿の美咲だった。

藤色の小袖を着ていた。

ちょうど彼女が卵焼きを切り、皿に乗せて一息ついた。

「ったくいつまでい………………」

やっと美咲が気配の正体を確認した。

襟澤がヒラヒラと手を振った。

「おはよう」

「おはよう」

そして沈黙。

昨夜、ものすごい嫌な別れ方をした、気がする二人は停止した。

しかし美咲はすぐ卵焼きに視線をもどした。

「食べるから箸持って。お客さん用にたくさん黒い箸あるから」

たしかにシンクの脇に黒い箸十何膳か分が計量カップに入っていた。

一膳を取り、美咲を見ると彼女のものと思われる青い箸が見えた。

美咲に続いて襟澤も台所を出て、昨夜にどんちゃん騒ぎした広間に入った。

まだ組員達がいびきをかいて眠っている。

言ってしまうと、本当に酒臭い。

なので美咲は彼らより遠く離れた端の机に盆を置いた。

外への障子が全て開いており、ある程度臭いは軽減されていた。

むしろ机は完全に外へ向いていたため、全く臭いはしなかった。

お互い机を挟んで向かいに座り、白飯に鱈子を半分乗せた茶碗を前に置いた。

美咲は親指と人差し指の脇に箸を挟み、合掌した。

あわてて襟澤が真似しようとすると、美咲がクスクスと小さく笑った。

「わざわざ真似しなくてもいいよ、別にルールはないから」

「あ、そうなの?じゃいただきます」

襟澤は箸と茶碗を持ち、さっと卵焼きに手を伸ばした。

「お、美味い。あんた作ったの?」

「…………そうよ、腹壊しても一切責任取らないからね」

「いやいや、美味いもんで腹は壊さないでしょう」

それからしばらく無言で黙々と食べ、美咲がついに話しかけた。

「…………あの、言っておきたいことが」

「あ、俺も」

二人は声を揃えて同じことを言った。

「私達(俺達)会わない方が良いかも」

もちろん現実世界での約束で、電脳世界とは関係ない。

ただ、お互いの秘密のためには会わないほうがいいと思ったのだ。

二人は強く頷いた。

「あ、そうだ。あんたの母…………」

美咲が目をぱちくりさせる瞬間。

「Good morning!」

「美咲ぃ!」

二人が勢い良く箸と茶碗を置いた。

ドタバタと部屋に入ってきたのはリディアと綿貫だった。

すぐに美咲の隣で綿貫が襟澤を指差した。

「みっ、美咲!昨日二人で話してたんだけど」

「何?朝から騒がしいな」

リディアが綿貫の肩から顔をひょいと出す。

「この人誰?」

「もしかして彼氏か?!そうなのか?」

リディアがキラキラした目で指を組み、綿貫がまじまじと美咲を見つめて返答を待っている。

美咲はちらと襟澤と目が合った。

襟澤が頷いたので、美咲も頷いた。

そして彼女は二人に返答した。

「彼は………今回の件でたまたま出くわした人で、いわば被害者の一人よ」

それを聞いた二人は落胆の声を揃えた。

美咲が苦笑いしているのを見ながら、襟澤は何事もなかったようにまた茶碗を持った。

この後、それぞれ家に帰り、リディアは美咲に手を振られながらアメリカへ帰った。

それから美咲は、しばらくクロにも襟澤にも会わなかった。

一人で夜を駆け、ついに花柳から開校指令が下された。

事件から四日後のことだった。

久しぶりに騒がしい教室に入った美咲は自分の席の前で立ち尽くしていた。

周りもざわざわと美咲を見ている。

机の上に小さなプレゼント仕様の紙袋と、封筒が置いてあった。

封筒には宛名なども無く、「これは海の色」と書かれていた。

まじまじとそれを見下ろしていると、箕輪が軽々と走ってきた。

「アルミーン!おっはよーぅ!それねぇ、朝早く黒髪の男の子が机に置いてくれってぇ♪彼氏?ねぇ彼氏?」

美咲は一瞬で差出人がわかった。

箕輪に続き、綿貫が欠伸をしながら話に加わってきた。

「でもこの前彼氏じゃねーって言ってたぜ?」

「照れ隠しだよぅ♪」

など話を進ませている間に美咲はそっと封筒に手を伸ばし、中を見た。



“夜11時50分に初めて笑った場所”



それしか書いていなかった。

しかし美咲には理解できた。

白い紙袋には赤いリボンシールが貼ってあり、中を開けて美咲は頬を赤らめた。

箕輪と綿貫がそんな美咲を見て静止する。

紙袋から取り出されたのは少しだけ薄めの青色の、リボンだった。

両手で大事そうに持ち、指でその色を撫でた。

目を輝かせ、微笑んだ彼女に箕輪達は言ってやった。

「つけないの?」

美咲はハッとした。

先日ぼろぼろになった赤いリボンにストックは無く、本日はただの小さなヘアゴムのみで結んできた。

普段はこの上にリボンをつける。

しかし美咲は急に頭が混乱してきた。

こんなに綺麗なのに。

「つっ、つけられない!」

「何で!!!」

二人は声を揃えた。

「その、あーと、えー、…………綺麗すぎて……………」

美咲が視線を窓の向こうにそらした。

「つけるんだよぅ!さもないと強引にでも」

「つ、つけます」

箕輪の目が本気だったので、美咲は緊張しながらもリボンを髪に結び始めた。

そして美咲は一息つき、二人の拍手を受けた。

「たしかに綺麗だな」

「うんうん、アルミン最高だよぅ♪」

「………ありがとう」

美咲はその日、このリボンをつけたまま夜まで過ごした。

そして月が昇った頃、真っ暗な部屋で彼女はリボンを外した。

ベッドに寝そべり、またリボンを撫でた。

目を閉じ、呟いた。

「…………海……」

午後11時39分。

美咲は桜色のオルゴールを鳴らし、静かに消えた。




    *   *




午後11時49分。

美咲ことアルニカは葵通りへの入り口に到着した。

真っ暗で人通りもない道である。

そして、美咲がクロの前で泣きながら初めて爆笑した場所でもある。

珍しく明かりが一切なく、白い月が唯一の光だった。

辺りをキョロキョロと見回すと、下からあの声がした。

「学校楽しかった?」

「うわっ!」

アルニカが飛び上がって下を見た。

クロが凛として座っていた。

「クロちゃん!………あ、今朝は、その……」

「さて、今日は何の日でしょうか?」

アルニカは首をかしげた。

クロが空を見上げ、そろそろだ、と呟いた。

アルニカが同じように見上げると、真っ暗だったはずの空がキラキラと輝いていた。

午後11時50分。

空からたくさんの星がキラキラと舞い降りてきた。

星は雪のように地面で溶けるように消え、アルニカの手の上でもふわりと消えた。

「クロちゃん、これは…………」

クロは何故か照れくさそうに額を撫でていた。

そして目を合わせずに言った。

ゴニョゴニョ。

アルニカが首をかしげた。

するとクロはアルニカを一瞬だけ見上げ、またうつむいた。

彼の前でアルニカが膝をつくと、やっと決心がついたようで、また言った。

「………た、誕生日だろ?ぉおめでとう」

美咲は目を丸くした。

そして思い出した。

7月7日。

七夕であり、美咲歩海の誕生日である。

あの青いリボンは誕生日プレゼントだった。

少し目元がじわりとしたがなんとかこらえた。

「…………ありがとう………」

星はキラキラと花柳に降り注ぎ、もう一度空を見ると羽衣のように流れる星の川が見えた。

「実は、この日の最後の10分間は星が降る。何故かは俺も知らないがな」

「…………」

クロは説明をやめた。

アルニカは空を見上げ、見惚れるような顔をしていた。

初めて星を見た時かのように。

「ねぇ、お願い事した?」

「は?今さらそんな年頃じゃ………はい、やりましょうか」

アルニカがこちらを睨んでいるのがわかり、彼は七夕の願い事を考え始めた。

「実は私はもう決まったからお願い先にしちゃうもんね!」

子供だね、と言いたいところをクロはぐっとこらえ、ため息に変えた。

「何にしたの?」

すると彼女は急に顔を赤らめた。

「それは秘密でしょ?!」

「ふーん」

クロは彼女を見上げ、さらに雪のように降る星を見上げた。

「じゃ、俺はそれが叶うようにお願いするか」

アルニカは石化した。

そして首を振って両手をじたばたさせた。

話題を咄嗟に変えた。

「そっ、そうだクロちゃん!」

「んー?」

「現実世界で言いそびれたことがある」

アルニカはクロを見て言った。

「偽物に自己紹介して、お前に自己紹介してないの」

「…………あ、そうだった」

名前さえお互いに覚えていなかった。

美咲はもう一度勇気を出し、手を差し出した。

「私は美咲歩海、今日16歳になった」

「俺は襟澤称、これから少しの間年下だな」

クロはアルニカの手のひらに手を乗せた。

しかし、彼は今猫である。

前足をアルニカの手のひらにちょこんと乗せただけである。

アルニカがため息。

「それじゃあ“お手”だよ!」

「仕方ないでしょ!さて、もうすぐお願いができなくなるぞ、早くしろ」

「あ………うん、わかった」

アルニカは頬を赤らめながら手を合わせた。

それを見てクロは隣で星を見上げた。

二人は静かに目を閉じ、同じことを願った。

星の降る美しい夜に。



ここまで読んできて下さった方へ、本当にありがとうございます。

第三章、終了です。

実はまだ続きます。

長々とだらだらと続いておりますが、よろしくお願いします。

それでは、間奏、後に第四章です。


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