第三楽章-3:大音響
午後7時09分。
襟澤は音速で駆け抜ける美咲を呼び止めた。
彼女がビルの上に飛び上がったり、その間を飛んだりするからだ。
襟澤の足はジンジンと麻痺していた。
美咲は低めのビルの屋上で足を止めた。
下でたくさんの光に包まれた町とは対照的に、屋上は暗い夜に染まっていた。
「まっさか!………いきなり走るとはっ……」
「仕方ないでしょ。急いでるの」
「あの黄緑について知っとかなくていいのか」
襟澤はその場に座り、麻痺した足を揉みほぐし始めた。
美咲は膝をついた。
「いいか?奴の能力は“手を強く握る力から衝撃波を生む”ことだ。」
「だから音波かと思ったわけだ」
「で攻略法を考えた」
襟澤は一度欠伸をし、説明を始めた。
おそらく応力発散の衝撃波はその一発に持続力が無い。
最初に大きな波を発し、すぐにそれは消えてしまう。
対抗するには持続力を持った波が必要である。
衝撃波は音速を超えることもあるが、彼の場合はすぐに波が消える。
つまり、こちらは持続的に音波を流し、彼のレベルを超えればいい。
そして超えた時に生じる衝撃波が止め。
超音速による衝撃波。
「ソニックブーム、てやつだな」
「それを私に出せと」
襟澤はうなずいた。
「私に限界を超えろと。まぁ…………やってみても…………頑張ろう」
音波を出す際、襟澤の空白の壁が周辺を守るので問題はない。
しかし襟澤はひとつ問題を提示した。
「問題はあんたの止め方だ」
「私が声を止めても音波は空気の壁で囲われてるから止めようが無い。私まで死ぬわ」
「俺が止める」
そう言うと彼は立ち上がり、黒い運動靴の踵を直した。
美咲の腕をつかみ、軽々と引き上げた。
「どうやって止めるのよ」
「ちょっと考えがあってな。言うと授業になりそうだからやめる」
美咲は頬を軽く膨らまし、襟澤とまた音速で駆け出した。
空を裂くように走る二人は花柳中の誰もが気づかなかった。
そして梅通りでリディアを見つけた美咲は建物と建物の間で音速走行をストップ。
襟澤は大慌てで美咲を呼んだ。
美咲は自分が命綱無しでビル並みの建物の高さから落下する事実を理解し、笑った。
「てへっ」
「てへっ、じゃね―――――――――」
そして襟澤の悲鳴、しかし美咲は大きく息を吸い込み、叫んだ。
という前置きで現在の大音響に至る。
午後7時13分。
空気が振動するのが目視できるほどの衝撃波が二人の間で起こった。
リディアが美咲を呼んだ。
聞こえるわけもなく美咲はまだ超音波を発していた。
応力発散が発していた衝撃波も消え、その手は音波に傷ついた。
赤い滴が地面にポタポタと落ち、応力発散はついに膝をついた。
それでも彼が手を伸ばしたので、美咲は自分の声を止めた。
何か喋ったが、ソニックブームによる爆音で何も聞こえない。
美咲は黒い耳栓を応力発散に無理矢理はめた。
髪を結んでいた二つのリボンがほどけ、どこかに飛んだ。
二つまとまった長い髪が音波振動で激しく揺れた。
頬を自分の音波が傷つける。
襟澤がリディアとの間に空気の壁をつくった。
リディアが何か叫んだが、襟澤は手を振った。
「大丈夫、俺が止めてやるから」
それがリディアに聞こえるわけもなく、襟澤は自分の顔の周りに空気の壁を作った。
そしてソニックブームの巻き起こる二人の戦場に入った。
彼を見た美咲は大きく息を吸い込み、止めた。
襟澤が言った。
「空白領域」
美咲、応力発散、そして襟澤のいるソニックブームエリアから、音がなくなった。
何もなくなった。
衝撃波がまだこの空間を走る。
今解くとまた衝撃波が町を荒らし始める。
襟澤はこれが大音響を止める唯一の方法と考えていた。
ソニックブームは空気抵抗をもとに発生している。
つまりソニックブームを減衰、消滅させるには空間内を無重力状態にし、音波振動を低下させるしかない。
しかし人間には限界がある。
美咲がそろそろ限界のようだ。
頬を膨らまし、首を振っていた。
襟澤は衝撃波が消えるのを確認した。
「解除!」
音も無く壁が無くなり、美咲が咳き込むのが聞こえた。
襟澤は美咲の前に駆けつけ、彼女の肩を揺らした。
「おーい!無事か?まだ生きてる?」
「………生きてる」
美咲は頭を揺らされた反動でがっくんがっくんさせながら言った。
いつもの音速を超えたためか、美咲は息を切らしていた。
襟澤がホッとしたように微笑んだ。
午後7時15分。
美咲は頬を撫で、自分が結んでいたはずの髪がほどけている事に気付いた。
つまり現在アルニカヘアである。
遠くからサイレンが聞こえた。
おそらく電脳警察と生徒会である。
しかし。
「美咲さーん!!」
芦屋の声がどこからか飛んだ。
美咲がパニックになった。
自分はアルニカヘア。
隣で指名手配が気絶。
そしてこの惨状。
「手伝って!こいつ運ぶから」
リディアが美咲の所へ駆けてきた。
こいつ、とは応力発散のことである。
「何でこれ連れてくの!」
「ここで捕まったら研究所で殺される」
襟澤は美咲の言葉にため息をつき、応力発散を担いだ。
超音速の直後で足の立たない美咲をリディアが支え、四人は隅田川の橋の下に隠れた。
美咲はまだ息を切らしていた。
懸命に口をふさぎ、四人は静かに彼女達の到着を見た。
「……………」
「美咲さーん!」
芦屋はちょうど橋の前で止まった。
追って安西と神宮が止まった。
ソニックブームが先ほどまで暴れていた惨状を目の当たりにし、言葉を失った。
芦屋はその場に誰もいないことに不安と恐怖を感じた。
何があったのか。
美咲は本当にここにいたのか。
立ち尽くしていると電脳警察のパトカーが到着した。
警察官らと一緒に各学園の生徒会達が降りてきた。
花岡が芦屋の方へ駆け寄ってきた。
「芦屋さん!これは…………」
「来たら既にこの状態で、誰もいませんでした。」
電脳警察が包囲し始めた。
襟澤は美咲に呟いた。
「逃げるぞ。どこかアテはないか」
美咲は考えた。
一番近く、四人とも匿える場所。
美咲はリディアを横目でちらと見た。
リディアがうなずき、小声で言った。
「美咲ちゃんの実家があります」
「行こう」
四人は静かに隅田川を後にした。
あまり音を出さないように歩き、現場から遠ざかった。
梅通りの家々から人の顔が覗き始めた。
もうすぐ人だかりができる。
リディアの手を離れ、美咲は実家への案内を始めた。
先頭に立ち、暗い夜道を突き進んだ。
「こっちに………」
美咲は言葉と足を止めた。
三人の足も止まる。
美咲は何も言わずに息を吸い込み、素早く振り返り、蹴りを入れた。
しかしその足は大きな手に掴まれた。
「美咲ちゃん!」
足はすぐに振り払われ、美咲は地面に叩きつけられた。
筋肉質で短髪の大男が立っていた。
襟澤はその顔に息を飲んだ。
ふと美咲を見ると時が止まったように言葉を失っていた。
呟いた言葉はひとつ。
「………露木………光……………」
オンラインゲーム事件で自殺したはずの露木光がそこに立っていた。
野太い声がゆっくり笑った。
「悪いな。俺は光じゃない。陽向だ」
彼が足を上げた。
襟澤は応力発散をリディアに押し付け、美咲と露木の間に空気の壁を作った。
足は弾かれ、露木が舌打ちした。
襟澤が美咲の上体を起こした。
「おい、あんた大丈夫か!」
「………多分大丈夫」
しかし美咲の手は震えていた。
襟澤は露木を睨んだ。
露木は応力発散を見てまた笑った。
「あれが応力発散だな。回収に来ただけだが、目撃者は死ぬ」
「渡してたまるか!」
美咲が苦し紛れに言い放った。
彼は容赦無く殴りかかってきた。
襟澤が美咲を庇うように前に出た。
瞬間だった。
長い金髪が美咲の前でふわりと舞った。
竹刀が露木の拳を弾き返した。
「美咲!大丈夫か?」
振り向いたのは美咲の同級生であり、先日美咲組に入った綿貫菜穂だった。
しかし美咲はここで名前を呼ぶはずが、首をかしげた。
「………だ」
「綿貫だ!覚えろ!」
すると下駄が道を擦る音がした。
ゆっくりと、彼女は煙管から白い煙をプカプカと吹かした。
「家の前で喧嘩すんなら先に言っとくれ」
美咲が真っ青になる。
紅い口紅、一本の簪で結い上げられた濃い桃色の髪、美しい菊柄の着流し、美咲組の当主である美咲歩遊が立っていた。