第二楽章ー3:芦田千代の大作戦その3
大変お待たせいたしました。
どぞっ!
午前10時40分。
名門お嬢様学園である椿乃峰学園でチャイムが鳴った。
次で今週末最後の授業である。
二年生である芦屋千代は教室で心配そうに窓の外を眺めていた。
そんな彼女の肩をバシバシと叩くクラスメート、神宮愛里沙。
「どーしたんだよぅ、ちー!!」
「………いや、なんかね?美咲さんに恋の疑惑があるらしいの」
神宮はびっくり仰天!というなんとなくなジェスチャーをした。
そして目をキラキラと輝かせた。
「誰?!わかってるの?やだやだかっこよかったらどうしよー!」
一人で勝手に盛り上がる神宮に構わず芦屋はため息をついた。
神宮にその話題を放り、芦屋は違うことを考えていた。
オンラインゲーム事件で会った黄緑髪青年である。
桜駅前での事件発生時の映像で見えた中心の青年が、彼に似ていた。
嫌な予感がしていたのだ。その時、窓の外にちょうど通りかかるのが見えた。
あの黄緑髪の青年が。
芦屋は思わず席を立ち、神宮の両手をヒシッとつかんだ。
「私、今熱が40℃出た」
「んなわけあるかいこの大間抜け!」
神宮は呆れたようにため息をつき、自分の席に着いた。
もうすぐ最後の授業が始まる。
「熱が40℃ね?塗り替えといてやるからさっさと行ってきな」
芦屋は強くうなずいて、一人教室を後にした。
神宮はルーズリーフを一枚机に置き、黒い万年筆を出した。
縦書きで“芦屋千代”、“体温40℃”、“早退”と書いた。
先生が教室に入ってきた。
神宮は呟いた。
「芦屋千代、体温40℃、早退、此処に結ばん。」
するとルーズリーフに書かれた文字が音もなく消えた。
先生が教卓に教材を置いた。
「芦屋さんが熱で早退したので、欠課は3人ね。では授業を始めましょう」
神宮は心の中で、自信に満ちたように短く笑った。
(あたしに塗り替えられないもんはないの♪)
芦屋が下駄箱への階段を下り出した途端、チャイムが響いた。
静かに階段を下りると下駄箱が見えた。
誰もいないようだ。
「そんな鈍感で学園を出れるとでも思ったか」
芦屋は振り向いた。
階段の陰にバッサリと切った黒髪の女生徒、安西潔子が腕を組んで立っていた。
その上腕には風紀委員会の腕章が光った。
「いくら神宮の書き換えがあっても私を騙せると思うなよ?」
芦屋は安西の前で両手を合わせ、拝むように小声で言った。
「お願い!見逃して!ってか時間ないの!あの男の子見失っちゃう!」
「男の子?何じゃ、そんな趣味とは知らなかったな」
「違う!この前言った、マインドコントロールのこと聞いた子!テレビで見た子にそっくりで」
安西は表情を変えずにそれを聞いていた。
そして静かに下駄箱に向かって歩き出した。
あわてて芦屋がそれについてきた。
「きよ?」
「早く靴を履け。行くぞ」
芦屋は予想外の言葉に笑顔を隠せなかった。
二人は門から出て、青年が歩いていった方に向かった。
芦屋は懸命に辺りを見回し、あの目立つ青年を探した。
そして一人でのったらと歩く彼を見つけた。
芦屋は一人で先に走っていった。
それを安西が追った。
「ねぇ、君!」
黄緑髪の青年は足を止め、顔だけ振り返った。
額に丸い傷が二つ、間違いないと芦屋はうなずいた。
「君今、指名手配中よね?爆発起こしたの本当に君なの?」
「何だよ、捕まえんのか」
青年は右手を解すようにぶらつかせた。
安西は警戒して片足だけ引いたが、芦屋はさらに近づいた。
すると青年は思い付いたようにニヤニヤした。
「おい、美咲歩海ってどこにいる」
「?美咲さん?今日は学校にも………てか今日退院で………何で美咲さん探してるの?」
青年は曖昧に誤魔化した。
「別に」
「じゃあ一つだけ教えて」
芦屋はたった一つ、質問した。
それだけ聞けば、芦屋の中で事件は大きく進展する。
「君、何者なの?」
その場が緊張感で静まり返った。
実際、全く報道されない彼の身元がわかる事はこれを逃せば二度と聞けない。
芦屋は緊張で唾を飲み込んだ。
「………実験体“応力発散”。今は仕事を受けている。そいつを探してんのはそれが根底にある」
「実験?…………仕事?」
青年、応力発散はケタケタと笑った。
「俺の仕事は………………美咲歩海を殺す事だ。」
そして応力発散は右手を前に出し、強く握りしめた。
安西が芦屋の手を強く引いた。
「聖域!!」
大きな衝撃がその道を走り、大爆発が起きた。
* *
午前10時42分。
美咲は葵通りの小さな公園にいた。
あるのは鉄棒と小さな滑り台、そして砂場だけである。
美咲はその、ベンチさえない公園に一人でいた、はずなのだが大変なことになっている。
襟澤が来たのだが、本物か否か判別ができないことに今さら気付いたのだ。
なにか合言葉でも決めるんだった。
美咲はそう思いながら苦笑した。
しかも問題はこの後である。
その数秒後、息を切らしてもう一人の襟澤が公園に来たのだ。
どちらも全く違いがなく、他人のドッペルゲンガーを見ているようだった。
「……なにこれ」
二人は美咲を前に睨みあった。
「あんたが俺の彼女の朝をめちゃくちゃにした奴だな?」
「あんた人に濡れ衣着せんなよ、偽物が」
二人とも制服で、見分けがつくわけもなく美咲はため息をついた。
「…………あのさ、もうどっちでも良いから帰っていい?」
「ダメだろ!」
まさかの声を揃える二人。
すると一人が切り出した。
「てか簡単なんじゃね?こいつが絶対知らないこと知ってるもん。抱っこしてもらったことないだろ?」
もう一人が首をかしげ、鼻で笑った。
「ありますけど?」
美咲は二人を交互に見ていた。
切り出した方が誇らしげに腕を組んだ。
「こいつのバスト」
美咲は数秒石化し、近くに転がる小石を彼に投げつけた。
ちょうど頭に命中したため、襟澤は当たった所を撫でた。
「ま、冗談はさておき。絶対知らないこと知ってるからさ」
そして彼は言った。
「アルニカ三原則」
美咲が目をいっぱいに開いた。
「一つ、アルニカは他人に正体を知ら」
美咲が襟澤の口をふさいだ。
音速で彼の前に現れた彼女は、『言うな!』と言わんばかりの顔をしていた。
襟澤は口をふさいだ小さな手を優しく握り、指を軽く組ませた。
「ほら、簡単だろ?」
もう一人の襟澤が舌打ちし、拳銃を構えた。
しかし彼が撃つ前に襟澤が言葉を発した。
「空白」
すると偽物の襟澤は宙に浮き、苦しみだした。
美咲は見覚えがあった。というよりは体験したことがあった。
息ができなくて、苦しくて、酸素がない、まるで宇宙にいるような、水中にいるような感覚。
美咲は彼が本物だと確信した。
すぐに空白は解かれ、偽物はその場で膝をつき、咳き込んだ。
「で?喋ってもらいましょうか?」
すると彼は小さな声で笑いだした。
「俺がご主人様に許された情報は“応力発散”、“位置発信”、“目標との実戦による実験”」
それだけ言うと偽物の彼は持っていた拳銃で素早く自分の頭を撃ち抜いた。
美咲が思わず口をふさぎ、ちらと襟澤を見ると驚きながらも冷静な表情だった。
銃声がまだ町にこだましていた。
すると美咲には見覚えがある女性が彼の遺体の前に立った。
何故か襟澤も驚いた。
山吹病院を管理するアリシアの一つ結びかつダサダサロボットだった。
ゴムが青いのでたしか…………。
「アンジェリカ」
「覚えて下さって光栄です、アルニカ」
アンジェリカは偽物の襟澤を背負い、二人に一礼した。
「これはご主人様からの伝言です。“応力発散と戦え”と」
「実験ね。でもそうとわかれば戦う必要ない」
アンジェリカが一切表情を変えずに言った。
「しかし大勢の民間人が死にます。貴方の行動によって」
アンジェリカは二人を置いて、小さな公園を後にした。
襟澤が美咲をちらと見た。
奥歯を噛み締め、真剣に悩んでいた。
ように見えた。
しかしすぐに悩む様子は消え、深呼吸するようにため息をついた。
「で、本物ね?」
「まぁな。するとさ………さっさと帰りなさい発言でしょ?」
美咲は腕を組み、図星であることにまたもやため息。
「その通り、さっさと帰りなさい」
「であのヤバそうな指名手配と喧嘩しに行くんだな?」
美咲は黙りこみ、襟澤を横目に見た。
この発言実は、また図星である。
「………あんまり勘が良いと嫌われるよ」
「アテは?」
「ない。探す」
美咲は公園を出た。
後ろから襟澤がついて来ようとしたため、止まって振り返った。
「一人で行くから」
「何で」
「多分、音波衝突時の衝撃波実験だから」
美咲は片足を地面で鳴らし、靴音は彼女を風のように走らせた。
彼女は襟澤の前から、一瞬にして姿を消した。