第二楽章‐2:少女達のエピソード
はい、お久しぶりです。
すみません、何ヵ月ぶりでしょうか。
では、どうぞ☆
それはある一人の外国人が、日本人の少女を誘拐した事から始まる。
ちょうど秋頃、少女はたまたま外にいた。
真っ暗な中に街灯がいくつか、男は少女に手を差し伸べた。
「私を、助けてくれないか?」
日本語が片言で、ぎこちなかった。
少女は何か困っているのか、と尋ねた。
男はうなずいた。
二人は近くの森の小さな小屋に入り、鍵をかけた。
男は少女のカバンから電話番号が書いてある紙を奪い取り、電話をかけた。
少女は隅っこに座り、小さな首をかしげた。
小屋は真っ暗で、男が点けた懐中電灯だけが辺りを照らしていた。
男は冷たい声で電話の向こうに言った。
「娘は預かった。返して欲しければ警察に絶対知らせるな」
出たのは父親だったようだ。
大慌てして目的を聞いてきた。
男は冷や汗を垂らしていた。
「………300万」
10分で用意しろ、無理な注文を告げて男は電話を切った。
少女は男を見つめていた。
男がその視線に気付き、電話を懐中電灯の隣に置いた。
「……お父様は出さないよ」
「恐いのはわかるがもう少しの辛抱だ」
「お父様は出さない。必要なのは私じゃなくて能力だから。お母様がいれば私はいらないわ」
少女の目は死んだように彼を見つめた。
男は何を返したら良いのかわからなかった。
この少女は自分の父親が金を渡さないと知っていた。
二つを天秤にかけた時に軽くなるのが自分だと知っていた。
男は心の奥で悲しいことだと思った。
「……お母様に話してみて」
「?」
男は腕時計で10分経ったのを確認し、もう一度電話をかけた。
「金は?」
「そんなもの用意できるわけがないだろう!」
男は少女を見た。
少女はうなずいた。
父親はこの時、用意する気など全くなかった。
すると違う声が飛んで、電話を奪い取る音がした。
「貸して頂戴。もしもし、娘は無事なんでしょうね?いくらだっけ?」
女性だった。
おそらく母親だ。
男はあくまでも強い立場であるとわからせるために声を荒げた。
「300万だ!早くしないと娘の命は……」
「いいこと?うちの子にかすり傷一つさせようものなら」
「何だ、警察か?」
母親の声は冷たく、嫌な笑顔が見えるようだった。
「そんな甘くないわよ。両足をコンクリートで固めて太平洋に沈めてやる」
男は少女を見た。
少女はうなずいた。
「とにかく家に来て事情を説明なさい。今から30分!でなきゃ太平洋に連れてくから」
母親は電話を切った。
男は青ざめた。
まさかこんな事になるなんて。
すると少女は立ち上がった。
「案内するよ」
「待て!これじゃ捕まるのは目に見えて………て子どもに言ってもな」
「話せばわかってくれる。あまり動揺すると心臓に悪いよ」
男がその時怒鳴った。
「でも私の心臓は健全だ!!」
少女は黙った。
二人は小屋を出て、少女に手を引かれた男は一軒家に着いた。
少女では届かないインターホンを代わりに男が押した。
すると母親が扉を開けた。
真っ暗な小屋より数十倍明るい我が家に少女は微笑んだ。
「おかえり。さぁ、あなたには説明してもらいましょ?」
男はカタカタと手を微かに震わせていた。
少女はそれを感じ取ったのか、男の大きな手を握った。
とはいえ手を握った訳でなく、四本の指を束ねるように握った。
少女はうなずいた。
リビングは華やかな洋風でまとまり、上にあるシャンデリアは光を反射してキラキラと光っていた。
母親は濃い桃色の髪を長く二つに三つ編みしていた。
父親がドタバタと駆け込み、少女と男を引き剥がす。
「なんてことをしてくれたんだ!大丈夫だったかい?」
「別に。優しい人よ」
少女はソファーに腰掛けた。
母親が隣に優しくふわりと座り、男にも座るよう促した。
男はローテーブルを挟んで向かいのソファーに座った。
母親がすぐに口を開いた。
「何で300万なの?言いなさい」
男はためらいながらも語った。
「………娘が、心臓を患って…………移植が必要なんです」
どうやら少女と同じくらいの娘がいるらしく、今住んでいる日本では移植ができないようだ。
渡米して移植を成功させるのに必要らしい。
話しながら男は泣いていた。
おそらく考え抜いた結果が誘拐だったのだろう、他に方法がなかったと謝った。
すると母親はその場で電話をかけた。
「もしもし、心臓一つ手に入らない?子どもなんだけど」
男はぎょっとした。
少女がうなずいた。
「じゃすぐに手配して。アメリカに友達がいたわね、えぇ、頼んで」
母親は電話を切った。
男は口をポカリと開けていた。
母親が首をかしげた。
「何よ、切羽詰まってんでしょ?娘も無傷だし、心臓セットでタダでいいわよ」
父親が母親の名前を言った。
300万プラス心臓を無料提供すると言ったのだから当たり前のことである。
「ただし。中国へ家の下っぱと一度行ってきて。心臓は届くけど手続きがあるわ。私と娘はあなたの娘さんの所で手術の手続きをするわ」
素早く段取りが成されていくことに男は更に泣き出した。
大事な家族を誘拐した少女の家族が協力的に救ってくれるとは思わなかったのだ。
泣き声がリビングに響く。
少女はただじっと男を見つめた。
母親がソファーを立った。
「さぁ、罪で汚れてないキレイなお金で娘さんを救いましょ?」
男は強くうなずいた。
二日後、少女は母親とアメリカに着いた。
大きな病院に男の娘はいた。
白い個室で一人、少女は眠っていた。
母親が少女にお話してきなさい、と言った。
少女は一人、病室に入った。
パイプ椅子に足をぶら下げて座った。
小さな口をゆっくり開けた。
「………こんにちは」
少女のベージュの瞳が開いた。
言葉がわかるわけなかった。
男の出張に娘はついてきていなかったため、日本語は一切わからない。
しかし少女は口を開いた。
「……こんにちは」
少女は驚いた。
するとベージュの美しい少女は微笑んだ。
次は英語だった。
訳すと、驚いた?私はどんな言葉もわかるの、と言っていた。
しかし日本人の少女にそれがわかるわけなかった。
首をかしげた。
しかし片言で自己紹介に励んだ。
「あ、ま、まいねーむ………いず?」
少女はうなずいた。
日本人少女は頬を紅色に染めて恥ずかしそうに自己紹介をした。
「……まいねーむ、いず、アルミ!ミサキアルミ!」
少女は日本人が名前を述べる時逆になることを知らなかった。
「マイネームイズリディア。リディア・エアリー」
少女は名前をうまく聞き取った。
お互いに小さな手で握手した。
しかしその手術が始まった頃、病院に向かう男の乗っていた車がトラックによる玉突き事故に巻き込まれた。
男は病院の2ブロック前でそのまま息を引き取った。
娘はそれを手術後に知った。
ひたすら泣きじゃくった。
新しい心臓を震わせて、少女は自分を救った父親の死を嘆いた。
日本人で言葉もわからない少女は泣き止まない少女の前に立った。
小さな手で少女の濡れた頬に触れた。
「………お前のお父様、そんなんじゃ死にきれないよ」
少女は彼女の言葉がわかったようで、さらに涙を両目にためた。
でも精一杯に口の端を上げた。
* *
「そんなことあったな…………」
ちょうどリディアが篠原に過去を話していた頃、美咲は同じように過去を思い出していた。
あの日からリディアは日本語を勉強し、アメリカで彼女の母と二人で暮らしている。
当時の美咲組は悪さもしていたようで、臓器を手に入れるルートがあったらしい。
美咲は歩きながら空を見た。
「……………あ。今思い出した」
美咲は携帯電話を開き、耳に当てた。
電話に出たのはリディアだった。
「どうしたの〜?」
「その猫思い出した。名前はホームズ、今から隅田川来れる?」
リディアはわかった、と言って電話を切った。
美咲はまだ隅田川に沿って歩いていた。
流れる川を見ながらため息をつく少年を見掛けた。
彼は一度会った。
名前は、橋口陸斗。
放浪好きの三毛猫、ホームズの飼い主だった。
「少年」
橋口は振り向いた。
見覚えがあったようであっ、と声を出した。
「この前のお姉ちゃんだ。ホームズならいないよ」
「何で?」
美咲の推測が正しければあの猫少年はホームズである。
ただし…………
少年は寂しそうに言った。
「死んだんだ。急に消えちゃって」
「そうか、も少し時間ある?」
少年は不思議そうに美咲を見ながらも、うなずいた。
三分後、リディアの声が遠くから飛んできた。
その腕に抱えられていたものに少年橋口は驚愕した。
リディアの腕にはぶちぶちの三毛柄の、大きな猫ホームズがどっしりとぶら下がっていた。
しかしその足は微かに透けていた。
リディアが少年の前にホームズを下ろしてやった。
「この子ね、きっともう一度君に会いたかったんだと思う」
美咲はホームズの大きな体をちらと見た。
「………見つからないままで……」
「じゃ言ってほしい言葉があるのかも」
リディアは白い日除け帽を軽く直した。
少年橋口はホームズを見てハッとした。
毎日欠かさず言った言葉を思い出した。
「よいしょっと」と言いながら持ち上げるはずの猫は軽々と持ち上がった。
ホームズの茶色い眼はじっと橋口を見つめていた。
橋口はホームズを抱き寄せ、頬をすり寄せた。
「つーかまえた!」
ホームズは喜んだように一声鳴くと、うっすらと消えてしまった。
橋口は二人に礼を繰り返しながら泣いた。
午前10時24分。
二人の長い“かくれんぼ”が終わった。