第二楽章‐1:如月、奪還
如月まりあ
クロと同じ高校に通う女子高生。
美咲よりはるかにスカートは短く、お辞儀をしたら完全に見える。
後にクロが言う百合女というのは事実で、彼女も認めている。
午前9時59分。
美咲は梅通りに来ていた。
隅田川が近かったりする昔の風景を思わせる通りである。
まだ川に船頭付きの舟が行き交っていたり、際を歩くと声をかけられたりする。
歩海ちゃん、と。
実を言うと、美咲の実家である美咲組本家はこの近くである。
本当なら家に帰ってもいいが、それどころではない。
今花柳を騒がせている黄緑髪青年に喧嘩を売られ、安全な場所はないと感じているのだ。
家も寮も絶対に壊されてはならない。
つまり家出、放浪の状態での喧嘩が一番だというのが美咲が考え抜いた結果だった。
そして今、クロとして近づいた襟澤が偽物とわかり、彼を連れていった如月まりあが危険とわかったのだ。
今の花柳では何が起こってもおかしくない。
「でも手がかりは一切無しだしな」
「何の?」
美咲は咄嗟に振り向いた。
その先には襟澤と如月が並んでいた。
まさかのセット!!!
「あ……あわ、あ、えと………」
「どしたの美咲さん?何か遊んでるならアタシも混ぜて♪」
と呑気な如月。
しかし美咲はすぐさま言葉が出た。
「如月さん、そいつから離れて!」
如月が首をかしげる。
しかし襟澤は視線を一瞬だけ揺らがせた。
「そいつ偽物で、本物は学校にいて!……その……」
襟澤が如月をぐっと引き寄せた。
首もとにナイフでもちらつかせれば、よくある脅しの現場になるようだった。
美咲は言葉を切って腰に提げてあるカラビナポーチから音叉を取り出した。
「もう少し引き延ばせると思ったのに」
「………如月さんを放せ偽物め!」
「すぐにでも放すって。足止めできればいいんだから」
偽襟澤は笑いだした。
「応力発散はすぐにここに来る!鈍いなぁ」
美咲は半歩引いた。
応力発散?
ここに?
人なのか?
美咲は色々と思案を始めた。
そして一つの仮定にたどり着いた。
その応力発散は黄緑髪の青年なのでは?
「だとしたら研究所に彼が来たのは……」
すると襟澤は如月を前に突き放した。
美咲にぶつかって二人とも倒れてしまった。
そのうちに襟澤は桜通りに向かって逃げていった。
美咲が追いかけようとしたが、上に如月が乗っていてそれもかなわなかった。
「………あの、如月さ………?」
美咲はゾッとした。
如月が色っぽく顔を赤らめて、美咲を見つめていたからだ。
まるで飲み過ぎて酔った時のように。
彼女の右手が美咲の顔を撫で、口元に親指をやった。
「…………なんて可愛い子ウサギさんなの………」
「こっ?!」
その時、倒れた拍子に落ちた携帯電話が鳴ったのが聞こえた。
左手で通話ボタンを押した。
クロだった。
しかし如月がセーラーの中に手を入れ、横腹に触れたので思わず変に声が出た。
「……ひっ!!!ちょ………如月……さ……」
まるで腰を抜かしたように力が出なかった。
やけに顔が近く、今にもくっついてしまいそうだった。
美咲は今まであったことのないシチュエーションに頭が混乱した。
吐息が温かく、自然に顔が赤くなってしまう。
電話の向こうでクロは何が起きているのかわかったようで、すぐに如月を呼んだ。
「おい、如月」
「あら?なぁにエリザベスぅ?」
「今すぐ放せ」
こんなに可愛いのに、と如月が美咲の首筋を撫でる。
美咲が目を瞑った。
「わかった。今からそこに行く」
クロの声色は冷たかった。
如月が酔いを覚ますように青くなる。
「どんだけ罪深い事したか教えてやる」
「……………わかったわ。そんな大事なの?」
クロは短くまぁな、と返事をした。
「ならあまり野放しにしないことね。食べられちゃうわよ?」
美咲は思考回路が停止していたために、電話を聞いてもきょとんとしていた。
如月はふと美咲の上から退いた。
急に体が軽くなった気がした。
「まぁ、今日はこれから学校行こうかなぁ」
「次で最後の体育だ」
「やーめた!」
美咲はゆっくりと立ち上がった。
背中やスカートを軽くはらい、携帯電話を拾った。
「美咲♪」
呼び捨てかよ、と美咲は思ったが返事はした。
「ありがとね」
満面の笑みで如月は去っていった。
携帯からすぐに声がした。
「アルニカ」
「は、はいっ!」
あわてて携帯電話を耳に当てた。
「大丈夫か?」
「う……へっ、へ平気よ?こんなことで動揺するわけ……」
「無理すんな」
美咲は思い返した。
触られて、顔が近くて、力が抜けて、何もできなかった。
いわば襲われかけた。
女に。
「うぅ………」
実際、恐かった。
「まぁ、あいつ百合だからな。気を付けろ?」
「百合?」
美咲には何のことかわからなかった。
クロがそれを察したようで、説明を添えた。
「女好き」
美咲は青ざめた。
そんな人が本当にいるんだ、と思った。
無言になった通話は少し続いた。
「………ちなみにあんたは違うよな」
「へ?!そそそんなわけないでしょ!」
「よかった。あと一時間で授業終わるからおとなしく待ってな」
美咲は一度深呼吸してから首を振った。
「でも偽物は追うわ!狙われてるのは私だけで………巻き込んでごめんなさい、もう大丈夫」
「狙われてるのか?」
美咲はあっ、と口を押さえた。
しまった。
口がすべったとしか言い様がない。
「あ、ぃ今のは…」
「待ってろ、今から行くから」
美咲が賛成するわけがなかった。
どうにかして止めなければ。
偽襟澤は応力発散なる奴がここに来る、と言った。
足止めできれば、とも言った。
足止めされたのは確実に美咲である。
つまり狙いは美咲であると推測される。
あの桜駅前を惨状に変えた危険な奴との喧嘩にクロこと襟澤を巻き込む必要は全くない。
偽物に利用された時点で彼は棺桶に片足を突っ込もうとしている。
全身入って『チーン』と出来上がってしまう前に止めなければならない。(例えがわかりにくいぞ美咲歩海!)
「皆勤賞どしたの?!来なくていいから」
「待ってろ!!!」
音が割れるほどの怒鳴り声がした。
そのあとクロが周りに謝る声が聞こえた。
美咲は携帯を耳から離した。
先ほどまで必死に考えていたことが一気に抜けてしまった。
「と、とにかく後で葵通りの…………いいや、小さい方の公園で!」
それだけ言ってクロは電話を切った。
美咲はゆっくりと携帯電話をカバンにしまった後、少しの間立ち尽くしていた。
何も喋らず、川の流れを聞いていた。
「…………クロちゃん、何で怒鳴ったんだ?」
5分後、美咲はやっと葵通りに向かって歩き出した。
* *
午前10時17分。
リディア・エアリーは猫少年と寮長篠原と寮長で話していた。
猫少年は寮長のデスクに座って遊んでいた。
篠原がやけに目を輝かせていた。
「美咲ちゃんとの関係、ですか?」
篠原は何回もうなずいた。
つい最近まで『友達?何それ』だった美咲には実は友達がいた、となれば篠原にとっては興味深いことこの上ない。
いわば出会いがわかれば友達かわかるのだ。
リディアは手を組んで目を閉じた。
まるで祈るように。
「私は美咲ちゃんのお母様に救われた命なんです」
少年がふかふかした革の椅子に座って首をかしげた。
篠原は思った。
この二人の関係は友達よりも深いかもしれない、と。
リディアは静かに語り始めた。
美咲歩海、そしてその家族との出会いを。