第一楽章‐3:疑惑
アリシア・フリーデン
スウェーデン出身の山吹病院管理人。
幼少に事故で足が一切動かないため、車椅子でプログラマーとして働いている。
髪は切らず、膝の上で巻けるほど長い。
美咲のクラスメートの箕輪なぎさは知り合いのようだが………?
美咲は少しだけ危機を感じていた。
研究所の前で指名手配されそうになっている青年と喧嘩を始めたのだ。
この人目を気にしなければならない時間帯、場所でバリバリと音波を使うのは不可能である。
どうにかして、切り抜けなければ。
午前9時16分。
美咲はストレスと互角の争いを続けていた。
彼は喧嘩をやめる気は全く無いようだった。
また大きな衝撃が走り、爆発音が響く。
そろそろ野次馬が集まってしまうのではないか、というくらいに爆発していた。
しかし互角では終わらせるのは難しい。
美咲はついに右手拳を震わせた。
そこで、ひ弱な声が飛んできた。
「いっけぇ〜!」
すると二人の間に深緑のボールが落ち、黒煙を吹き出した。
目の前にいたはずの相手が互いに見えなくなり、美咲は誰かに腕をつかまれた。
黒煙に思わず口をふさいでいた美咲は頭の中でパニック状態だった。
ひんやりした手は美咲を太陽の見える町並みに連れ出した。
「大丈夫?美咲ちゃん?」
ふわりとした声が美咲を呼んだ。
美咲は聞き覚えがあったようで、ふと顔を上げた。
白い日除け帽と丈の長いワンピース、ベージュのふわりとした髪からは花の香りがした。
すらりとした足が履くサンダルは涼しげに夏を思わせた。
まるで幻覚かとでも疑うような声を上げる美咲に彼女は微笑んだ。
「リディア?」
「久しぶり♪」
全身真っ白にさえ見える少女リディアは美咲とつないでいない手の先にはあの猫少年がいた。
「にゃっ」
「お前が呼んだの?」
少年がうなずいた。
美咲は一度黒煙の方に振り返り、逆にリディアの手を引っ張った。
「菊通りなら寮があるから」
「寮に住んでるの?」
走りながら美咲はうなずいた。
美咲のいる寮はすぐに見えた。
三人は走った。
その頃、黒煙を振り払ったストレスが不気味に笑った。
まだ周りには黒煙が渦巻いている。
「………おもしれぇ」
これが実際ニュースになったのは三時間後である。
この三時間の間に、研究所による隠蔽が成されたのだろう。
彼はまた町の中に紛れ、消えていった。
* *
午前9時32分。
女子寮の寮長である篠原ことはが庭の整備を中断し、寮長室に入った時間である。
美咲歩海が見知らぬ少年少女を連れて飛び込んできたからだ。
茶色でシックにまとまった寮長室で、四人はそれぞれソファーに腰掛けた。
「一体何があったんだ?」
「私もよくわかりません」
「まずこの二人は何だ?」
美咲は一度深呼吸をして二人を紹介した。
「彼女は私の知人でリディア・エアリー。隣のは…………」
少女リディアは軽くお辞儀した。
美咲が言葉を止めると少年が首をかしげた。
するとリディアが割り込んだ。
「美咲ちゃん、この子は人間では無いわ」
美咲と篠原が思わず席を立つ。
多くの能力者を抱え、一般人と共生させるこの“何でもあり”な花柳人でも驚きを隠せない新事実。
この猫語少年が、人間であって人間でない。
美咲は内心うなずいてしまった。
篠原は何故それがわかるのか咄嗟に聞いた。
「何でそう言える」
「私はどんな言語も母国語に変換できます。この花柳なら、可笑しくないでしょ?」
上品に笑うリディアは猫少年に微笑んだ。
少年は一声鳴いた。
「そういえばそうだったわね。ごめんリディア、忘れてた」
「もしや美咲、友達なのか?名前で呼んだりして」
篠原が美咲を茶化すように小突いた。
その攻撃を避けた美咲は鼻を鳴らした。
「色々あるんです。とにかくこの二人匿ってくれませんか」
「………そんなヤバい喧嘩買ったのか?」
美咲は少し唸り、うなずいた。
たしかに危険な喧嘩を売られた。
チャンバラどころではなく、命を賭けた喧嘩かもしれない。
「喧嘩を売られた相手も知らない。姿形しかわからない。調べるところから始めます」
これから土日を迎えるというのもあり、篠原は許可をしてくれた。
美咲は寮長室を後にし、自分の部屋から荷物を数分で持ってきた。
とはいっても黒のスクールバッグである。
すかすかでもパンパンでもなく、程よく入っているようだった。
「寮が壊されても困るんで、私週末は家出します」
リディアがすぐに立ち上がった。
引き止めようとしたが効くわけもなかった。
「他の人に聞かれたら、実家でバカンスって言って下さい」
「その理由二度目だぞ。まぁ、何かあったら連絡しろ?」
美咲はうなずいてからまた寮長室を後にした。
庭まで出ると彼女は寮を振り返った。
水に濡れた緑の匂いがした。
「どうしようかな」
すると携帯電話が鳴った。
クロから電話だった。
何かあったのだろうか?と思いつつ出るのをためらった。
正体を知って間もない、まだ動揺している根源でもあるからだ。
しかし出た。
「も、もしもし」
「あのさ、俺あんたに学校言ったっけ」
こいつは馬鹿なのか、と疑った。
つい数時間前に自分で言ったではないか。
「花柳第二?」
「うわぁぁっ!!!」
何故か異常に動揺していた。
少しして落ち着いたようだ。
「……あれ、あんた電話持ってないな………インカムか?」
「お前やっぱり馬鹿でしょ。私がそんな近代的代物を持ってるわけないじゃない。それよりあれから学校行ったの?」
「は?俺を不登校者と一緒にすんなよ。皆勤賞目指してんだから」
?
二人とも声が止まり、無言の通話時間がしばらく続いた。
皆勤賞?
つまり登校時間である8時30分には学校にいた。
しかし美咲が一緒にいた時はすでにその時間を過ぎていた。
というよりは、完全にサボる気だった。
クロがやっと意見を述べた。
「あんた今どこ」
「え…………自分の寮の前……」
「あんた今日俺に会った?」
「病院で」
クロが長いため息をついた。
「せっかくバレないように帰ったのに………」
「は?だって今日………え、帰った?じゃあれ…………」
「俺も今あんたと同じようなイベントに遭遇している。困ったな」
美咲はショック状態でうまく喋ることができなかった。
クロはいたって冷静に話していた。
「俺何か食った?」
「え……たしか」
美咲に差し出し、そのまま白いシリアルバーを食べていた。
「白いシリアルバーを…………」
「お前ビター99%チョコ好き?」
美咲は嫌な顔をして即答した。
彼女は密かにチョコが好きである。
甘いスイートチョコ。
いつもカバンに常備であったりする。
「わ、私実は甘党だし…………食べたことも………」
「じゃ俺達は偽物と朝を共にしたみたいだな」
美咲はすぐに聞き返した。
病院から一緒にいた彼、襟澤は偽物だったというのか?
「今日午後フリーだし、偽物潰しも悪くないな。」
クロの呟きは本気だった。
さも楽しそうに言っていた。
美咲がふと思い出す。
「じゃ彼連れてった如月さんは………」
「如月?会ったのか?そういや今日見てな……………まさか!」
「私探す!」
美咲はクロが何か叫んだのを無視して電話を切った。
すぐに寮を出て、時間的に人通りの少ない菊通りを歩き始めた。
偽物探しが始まった。
* *
病院の朝は退屈だ。
午前10時。
たくさんのパソコン画面には病院の至るところに設置されている監視カメラの映像が敷き詰められていた。
患者も医者もみんなここから見通せる。
ここの監視はすべて少女に一任されている。
アリシア・フリーデンである。
彼女もこの山吹病院の一患者である。
事故により足が動かないのだ。
長い間入院し、いつの間にかパソコンの技術を買われて管理者として働いている。
彼女は今ある言葉だけについてネットワークを駆け巡っている。
ネットワーク管理都市である花柳では珍しくもなんともない。
むしろ当たり前とも言える。
恐いのはネットワークより首都花柳に隔離されている能力者達である。
どのような、と言われると答えがたい能力者ばかりだ。
それは超能力であったりIQ値が高かったり、神経などの異常な発達などを言う。
それらを管理するのがこの山吹病院、それと萩研究所である。
アリシアはその研究所のデータベースにアクセスしていた。
たくさんの情報をかき集めていた。
“アルニカ”
“子供”
「アルニカはあの日死んだはず!子供も死んだはずだ!」
アリシアは頭を抱えて考え込んだ。
黒のポニーテールの警備ロボットであるキャロラインが白い電話を持ってきた。
そこから奪うように受話器を取り、素早くボタンを押した。
「アリシア・フリーデンだ。朝霧はいるか」
電話先の交換手は保留音に切り替えた。
すぐに違う声が出た。
「やあフリーデン。何かトラブルか?」
出たのは男性だった。
「朝霧!アルニカの件はあの日の事件で解決したのではないのか!」
急な質問に男性朝霧は思わず、とでも言うように笑いだした。
アリシアは続けた。
「美咲歩莉は子供もろとも死んだはずだ!」
「いや、それは違う」
男性の低い声がアリシアの言葉を止めた。
不気味な笑いが聞こえるような口調だった。
「私の娘は生きている!」
アリシアは言葉を失った。