第三楽章‐2:マインドコントロール
「外でもし、俺と会ったらどうする?」
美咲は考えたこともなかった。
クロと現実世界でばったり会うことを。
病室でただひとり、時間が止まってしまったようだった。
秒を刻むうちに美咲は微かに考えた。
「……正直言うと恐い。」
クロは何も返さずに聞いていた。
「でも勇気が出たら、握手できるかも」
「はぁ?」
返答が予想外だったのか、クロがため息をついた。
ホッとしたような、温かいため息だった。
美咲はそれがどういった意味のため息なのかわからず、自分の言葉を思い返す。
「………よかった」
「何が?」
美咲がそう聞いた瞬間だった。
綿貫がモソモソと起き上がり、目をこすった。
「ん?誰と電話してんの?彼氏?」
「ぎゃあぁっ!」
電話の向こうから「そうでーす」と聞こえた。
違うと叫んだ美咲は電話を切った。
綿貫が美咲のベッドに乗りだし、しつこい尋問が始まった。
この後箕輪が加わり、ガールズトークが再展開したのは言うまでもない。かもしれない。
* *
午後4時41分。
芦屋は葵通りの小さなカフェにいた。
目の前には風紀委員会の安西が座っていた。
まわりにはわりと空席がなく、カップを置く食器の音などがざわつきでかきけされる。
ティーテーブルにはチェックがたくさんついたオンラインゲーム被害者のリスト。
丸印はひとつもなかった。
芦屋が頬杖をついてため息。
安西がすかさずだらしないと注意する。
「まさか情報ゼロとはな」
「ホントよ!時間無駄だったというか……」
安西が美しい装飾のティーカップに入った紅茶を少しだけ飲む。
芦屋も頬杖をやめ、紅茶をすする。
はたまた注意される。
芦屋がむくれる。
「あ、でもひとつ可能性を見つけたよ?」
安西は猿真似でも見るような、呆れた顔で聞いた。
芦屋は黄緑色の青年の言葉を思い出した。
強制的マインドコントロール、洗脳。
芦屋の考えを言葉にした。
ゲームをし、間違える。すると罰ゲームが表示される。
人間は誰しも言葉を見ると想像する。
しかし実際に動くことはない。
そこで一緒に表示されている“従わなかった場合の罰ゲーム”を頭の片隅に閉まったまま。
下には自分の死に方が表示されていて、すべては後日のあるメールで呼び起こされる。
「ソノ答エハ」
自分が手をつけなくてもかかった者だけが勝手に死ぬ。
ちょっとした賭けだができないわけではない。
安西が目を点にしているので芦屋がまたむくれる。
「信じてない!」
「いや、そういう意味ではない。可能性としてはあり得る。ただ、誰に聞いた?お前の考えではなかろう?」
芦屋が返答に困る。
名前さえ聞いていないのだから。
「通りすがり」
「其奴が犯人かもしれないだろう」
芦屋が即座に立ち上がる。
そんなこと考えもしなかったからだ。
あの青年が犯人かもしれない。
これが真実なら大変なことだ。
犯人とすれ違い!
しかもみすみす逃がすとは!
紅茶がカップの中で揺れた。
安西はいたって冷静に座っていた。
「探さなきゃ!」
「無理じゃろ馬鹿者」
「でも」
「それがわかれば良い、確認に行くぞ」
どこへ?と芦屋が首をかしげた。
安西が立ち、カフェを出た。
芦屋もそれについていく。
「殺された被害者のパソコンだ。電子警察が持っているだろう」
安西は芦屋と一緒に電子警察に向かった。
夕焼けが二人を照らし、その影は長く伸びた。
* *
暗い階段を登っていくと、小さな小部屋にたどり着く。
重い扉の向こうには青白いパソコンの光が充満する。
そこに大きな花のカチューシャをつけた女子生徒が入ってきた。
箕輪なぎさである。
部屋の中には車椅子の少女が金髪を膝に丸めて座っていた。
アリシア・フリーデンである。
その左右には病院警備ロボットのキャロラインとアンジェリカが立っていた。
「アリシア?」
「………実験を始めましょう」
アリシアが箕輪に背を向け、パソコンの画面を見ながらカタカタとキーボードを打った。
アンジェリカが珍しく口を挟んだ。
実験とは。
アリシアは嬉しさがどこまでも込み上げるような顔で言った。
まるでこれから始まることを楽しみにして、待ちに待ったものが来るような感覚。
「こんなお遊びは余興よ、ゲームは今から始まる」
キャロラインが笑顔を全く崩さずに立っている箕輪を横目で見る。
「応力発散が遂に起動する」
アリシアが笑みを浮かべ、箕輪が可愛らしく小首をかしげた。
これから何が始まることも知らずに。
こうして、作戦は始まった。
同じ頃、美咲は病院の屋上にいた。
風当たりのない入口の陰に隠れた美咲は黄色のオルゴールを鳴らしていた。
まだ日が落ちたばかりで薄暗い景色に美咲はため息をついた。
オルゴールの美しく、簡単な旋律が風に乗る。
「フルートとハープのための協奏曲ハ長調、299………だったな」
美咲は病院から一瞬で消えた。
その瞬間、美咲は電脳世界に咲いた。
アルニカとして。
群青の空からはポツポツと小雨が降っていた。
久しぶりのアルニカ姿に美咲は微笑んだ。
「いっやぁー、なんかもう照れちゃうねヤバい久しぶり!」
誰もいないのをいいことにアルニカははしゃいだ。
ピョンピョン跳んでみたり、くるりと一回転してみたりと、とにかくはしゃいだ。
目指すは葵通り。
アルニカは音速で電脳の空を駆け抜けた。
景色が見えないくらいの速さで流れ、彼女の桜色の髪ははしるようになびいた。
そして何秒も経たないうちに、葵通りのメインにたどり着いた。
その入口を守るかのように、仮面の少女がポツンと立っていた。
顔こそ見えないが、どこか寂しげだった。
「………マリモ?」
少女ジュリの前でアルニカは足を止めた。
二つのひよっと長い髪が前に出て揺れた。
「久しぶり、ジュリさん。どうしてもあなたと話がしたくて」
ジュリが小さな首を人形のように横に傾ける。
アルニカが口の端をきゅつと引き締める。
「あなたのこと、わかったよ。何故ここにいるか、何故ここを守っているか」
「ねぇ」
ジュリが小さな声で囁くように呼び掛けた。
ふわっとした金髪を揺らしながらアルニカの手を握った。
「あなたアルニカでしょう?」
「そうだけど」
見上げた仮面が微笑んでいるように見えた。
同じ変でテキトーな仮面なのに、不思議なものである。
「何か聴かせて」
アルニカが聞き返す間もなくジュリは、精一杯の心をこめたように言った。
「死ぬ前に」
まるで運命を知っているかのような言葉にアルニカは少し悲しい顔をした。
しかし、それはすぐに強気な笑顔に変わった。
右手に銀色のフルートを出し、器用にくるりと回転させた。
「もちろんよ」
ジュリが笑顔になった気がした。