第一楽章‐3:初めての
綿貫菜穂 (わたぬきなほ)
美咲のクラスメイト。
今現在は昭島組。
長い金髪は毎日朝シャンプー、そしてトリートメントを欠かさない彼女の努力の結晶。
少しでも汚されるとキレるらしい。
午後3時26分。
美咲は帰り道をそれて葵通りにいた。
電話をかけていた。
「もしもし、お母さん?歩海」
すると電話口から陽気な声が飛び出した。
「おー!歩海!どうだ?学園生活は」
「順調。あのさ、最近何かあった?」
何故そんなことを聞くのか、という口調で何もないと返ってきた。
美咲はホッとしたように目を閉じた。
「じゃあ何でもない。急にごめんなさい」
「いや、いいけどさ。なんか困ったらまた電話しなね」
またね、と言葉を交わして電話を切った。
肩を落とし、大きなため息をついた。
「何かあった?」
「?…あ、この前の」
美咲が顔を上げると、黒髪の青年が彼女をのぞきこんでいた。
青年は眠そうな目をして美咲を見つめた。
「なんだ、喋れるんだね」
美咲はまたため息をついた。
「人の顔見てため息つくと呪われるぞー」
「誰にだよ」
「俺に?」
美咲はさらにため息をついた。
青年を横切って帰り道に戻ろうとする。
するとそれに合わせて青年が美咲の隣を歩いてきた。
すぐに美咲が青年の足を(わざと)踏んだ。
青年の悲鳴。
「ついてくんな。気持ち悪い」
「今日は占いで3位だったのに気持ち悪いって言われたー。しかも赤の他人に」
「赤の他人ってわかってんなら寄るなよ。てかその占い当たんないな」
「いや?占いが当たらないのは知ってるさ」
なら何故見てるのか、と美咲が聞くと青年は人差し指を突き立てて言った。
「面白いから」
美咲はもう聞いているのに嫌気がさした。
「あのね、私そんなに暇じゃないから。お前もさっさと帰れ」
「さっきから何で小声なわけ?」
「鼓膜破ってもいいなら音量上げますけど?」
美咲は帰り道をすたすたと歩いた。
青年はまた隣を歩く。
「なーなー」
「しつこいぞ、赤の他人め!」
「あんた最近流行りのゲームやった?」
美咲が足を止め、振り向いた。
それをちょうど調べている美咲が止まらないわけがなかった。
葵通りはカフェなどが建ち並ぶおしゃれな通りで、放課後を楽しむ学生がわんさかいる。
二人もそのうちの一組にしか見えない。
「何か知ってんの?」
「うん、簡単だからもうすぐラストステージだなー、って」
大した情報ではない。
むしろ、ただの自慢話ではないか。
「でひとつわかったんだ」
美咲は首をかしげた。
青年がニヤニヤしながら自慢するように、謎が解けたアマチュア名探偵のように言った。
「あれを作った奴は一般人だ」
美咲がポカンと口を開ける。
そんなわけがない。
実際、その暗号は難しく、電子警察や生徒会もハッカーの仕業だと捜査している。
「じゃあ、あの問題は……」
「さぁな。また考えてみようかな。暇潰しに」
と青年が言い終わった瞬間、美咲の携帯電話が鳴った。
耳に当てると怒鳴り声がした。
「うぉいっ!美咲!客が来てるぞ!早く帰ってこい!!」
即座に電話を遠く離した美咲はまた携帯電話を耳に当てる。
「あの、もしもし寮長?すぐ帰りますから、お客さん待たせといて下さい」
電話を切った美咲は青年に急用が入ったと言って携帯電話を閉じた。
「んじゃな」
「ん、何か、情報ありがとね」
美咲は音速で寮に向かった。
青年の髪がわずかに揺れる。
「……音速?」
* *
午後3時53分。
美咲は寮がある庭に帰ってきた。
桜の散りきった木の下で、スカートの短すぎるクラスメートが立っていた。
美咲を見るなり笑顔で手をふった。
「おーい、音姫!待ちくたびれたぞー!」
「そのまま干からびてりゃよかったのに」
美咲が彼女の前に立ってぼそりと言った。
待っていた客とはクラスメートの不良、綿貫菜穂だった。
長いサラサラの金髪をなびかせ、綿貫は白い歯を見せて笑った。
「なぁ、音姫暇?」
「アイムノット暇」
綿貫が思わず吹き出し、腹を抱えて笑った。
美咲が寮に入ろうとすると綿貫もついてきた。
舌打ちして勢いよく振り向いた。
「だいたい、お前のいる組の昭島とかいう奴らが喧嘩ふっかけてきたし!お前何か言ったわけ?」
すると綿貫は目を丸くして驚いた。
「昭島さんが?あたしは何も言ってないけど」
「じゃ言っといて。喧嘩売るなら私一人に売れって」
「本当に何でも一人だなぁ。なら喧嘩売らないように頼んどくよ」
美咲は腕を組み、視線を宙に泳がせた。
「それはそれでつまんない」
「じゃなくて、今日は遊びに来たんだ!友達にならね?」
美咲は言われたことのない言葉に口を開けた。
今まで友達やら遊ぶやらワードをかけられたことがなかったのだ。
クラスメートから発せられるだいたいが頼みごとか悪口だ。
友達?
しかし口から出るのは心とは違った。
「却下」
「何でさ?」
「そもそもお前中途半端な不良でしょ?まして成績優秀な音姫が付き合えないでしょ」
「んなことわかってんだ。だからあいつらとつるむのやめるんだ」
美咲は耳を疑った。
今までつるんでいたグループから抜け出すなら、確実に喧嘩になるからである。
綿貫は金髪をぐしゃぐしゃと掻いて笑った。
「昭島組、やめんだ」
「ちょっ…それこそ却下。ボコボコにされるわよ」
「昭島さんは許してくれたし。その下の人達がどうもな」
その後綿貫は言った。
初めてなんだ。
本気で友達になりたいと思ったの。
もし抜けられたら友達になってよ。
美咲は何も言えなかった。
* *
午後5時37分。
夕焼けが町を染め、公園の遊具も重い影を帯びていた。
綿貫菜穂は砂の上でひざまずいた。
口の端からは血がにじみ、息も荒かった。
目の前には昼、美咲に喧嘩を売った生徒達が偉そうに綿貫を見下ろしていた。
「辞める?昭島さんが本当に許すと思ったのか?!」「勝手な奴はシメる。わかってんよなぁ」
一人が綿貫の頬を蹴り、彼女は近くのベンチに頭をぶつけた。
綺麗な金髪に血がにじむ。
綿貫は叫ぶように言った。
「あたしは…絶対に抜けてみせる!」
その目からは、涙がこぼれていた。
椿乃峰学園は各推薦クラス、成績優秀クラス、通常合格クラスで分かれている。
なぜ成績優秀な美咲が通常合格クラスなのかはまた別として、綿貫は一年B組にて、成績優秀A組のお嬢様達と張り合っていた。
「あーら、やはり雑居房なだけあって頭の悪そうなクラスですわー」
茶髪の女子生徒とそのお着き(?)が高笑いした。
その一言にクラス内全員がムカついたが、綿貫が堪えられずに罵声を飛ばしてしまった。
「テメェらそれだけいいに来たのかよ」
「あーら、やはり言葉もお下劣ですわー」
「さっさと帰りやがれ!」
またA組が高笑い。
綿貫が拳を握りしめ、殴りかかろうとした時だった。
「言うことはそれだけでしょうか」
美咲歩海が綿貫の少し前に立っていた。
綿貫の力強い腕を片手で押さえながら。
A組軍団の高笑いが止まる。
「あーら、貴方はオルゴールではありませんの?何故A組にいないのかが不自然と噂の能力値トップですわね」
美咲は首をかしげ、声のトーンを下げた。
「ですから、言いたいことはそれだけかって言ったんだよこの能無し女」
美咲は殺意を思わせる笑顔を崩さずに言った。
さすがに引き下がり、茶髪の女子が帰り様にキーキーと言いながら帰った。
「覚えてなさい!こんな雑居房、この学園に相応しくないんですから!!」
「申し訳ございません。負け犬の遠吠えにしか聞こえませんわ」
さらにキーキー言いながら帰ったA組軍団の背を見つめ、ボソッと呟いた。
「バカ死ねッ……」
それを綿貫は聞き逃さなかった。
そして美咲はクラスに振り返り、小さな声で告げた。
「言ってやった」
そう言った瞬間、B組の教室は歓声で沸き上がった。
お高く止まるお嬢様クラスを好む生徒がB組にいるわけがない。
自分たちをいつも馬鹿にしているからだ。
その後すぐに教室に先生が入ってきた。
A組のキリッとした眼鏡の先生である。
「うちのクラスの子が殴られたようなんですが、どなたですか?」
クラスが静まりかえった。
誰も殴ってないよね?
あの女嘘つきやがった
役者だな
などとクラスメートは次々に思う。
しかしそれを言えないくらいに先生は癇癪を起こしている。
気まずい雰囲気になったB組で美咲は手を挙げた。
「申し訳ございません。私が殴りました」
先生は目を丸くした。
「あなたが?」
意外な犯人だったのか、眼鏡を人差し指でキリッと直す。
「理由は後で聞かせてもらいます」
「あなたのクラスの方がこのクラスを“ガラクタ揃いの雑居房”と言ったものですから。自分のクラスの汚名を晴らすために手が出てしまいました。申し訳ありませんでした」
ちょっと付け足したァァッ!!
とクラス一同の心の声がこだまする。
先生は言葉を失い、職員室に来るよう告げた後、素早く教室を出ていった。
クラスは一気にざわついた。
「美咲さん、何であんな嘘を」
「埒あかないでしょ。任しといて、先生の前でボコボコにしてやるからさ」
全員がうなずいた。
その後、美咲は職員室へと向かった。
何があったのか、その先は知らない。
ただ、帰ってきた時に美咲は勝ち誇った笑顔で、茶髪の女子は泣いて帰ってきた。
綿貫は美咲を純粋にすごい奴だと思った。
それをつるんでた他の女子達は両手を叩いて、面白可笑しく笑った。
許せなかった。
もうすぐ日が落ちる。
綿貫はもう立つ力がなかった。
「絶対………友達になるんだ!!」
「柔なこと抜かしてんじゃねーぞこの野郎が!!」
女子達が殴りかかろうとした時だった。
「確かに柔ね」
綿貫の前で女子達が一瞬で吹き飛ばされた。
一人の少女が片足づつ着地する。
砂ぼこりが舞い、ピンクのリボンつきワンピースに黒のスウェットズボンという不恰好な姿で美咲歩海が公園に現れた。
「でも私の友達ボコボコにした落とし前はきっちりつけてもらうからな!」