第二楽章ー3:歪んだ双子
「俺の空白は自分や人の傷を別空間みたいな所に入れて治せる。だから俺がその時に受けてた傷は全部治ってたわけ。要がそれに気付いたのが幼稚園で俺が指を切った時。母親は俺を気味悪がって、俺を殺そうとして未遂になってから病院にいる」
午後1時3分。
襟澤は終始、美咲と目を合わせずに話した。
美咲は言葉が見つからず、黙ったままで話を聞いていた。
「………痛いのは勿論嫌で、小学二年で一緒に学校行きたくなくて不登校になった」
そう言う頃には、襟澤は涙を溢していた。
「その年の夏、父親の実家に帰省した時に爆発した。俺は自分の血でいっぱいで、それでも死ねなくて、要は森で言ったんだ」
『お前のせいでお母さんは病気になった。お前みたいな怪物、生まれてこなきゃ良かったのに!』
「双子じゃなくて、一人として生まれてくれば、誰も傷付かなかったのに。だって。ただでさえ自分でも気持ち悪いとか思うのに………」
その時、何故か感情が湧いた。
本当の致命傷が人と違うだけで、実は死ぬことは可能なのでは?
今までされてきた事を思い返し、襟澤は血の付いたナイフを首に据えた。
頸動脈の位置は本で読んで知っていた。
誰だって嫌でも死ぬ致命傷。
思い切り首を切ろうとした瞬間、要は何故かそれを止めに入ってきた。
自分はその意味が分からず、怒りが湧いた。
今まで散々殺そうとしてきた片割れが、自殺を止めようとしている。
『死んで欲しいんだろ?止めるなよ!』
そうして襟澤称は要を突き飛ばした。
その先は崖で、下には川が流れていた。
「掴もうとした手を払われて、要は落ち際に笑った。それから………ここで一人にされて…」
いざ痛みが消えると、急にその日々が恋しくなる。
片割れと過ごした日々がどんなに辛かったとしても、もう一人の自分が欠けてしまった感覚は果てしない空虚だった。
その時、声が聞こえた。
『良かったじゃないか、死なずに済んで。ずっと俺が守ってきたんだ、感謝してもらいたいね』
これ以上に奇妙な能力は無い。
自分の声では無かったため、別の誰かが自分の意に反して能力を使っている推測に辿り着いた。
それが別の場所から、とは考えられず、目の前に誰かがいるのでは、と錯覚した。
「その日から日記をつけた。何度も何度も……」
美咲は席を立った。
机に座る襟澤を抱きしめ、頭を撫でた。
言葉は無く、襟澤はそのまま凭れて泣いた。
彼が泣きやむまで美咲は待ち、鼻を啜る音でふわりと両手を放した。
「…話のオチ、聞ぎだい?」
「あるの?」
「日記、今は書いてない。刃物とかは全部捨てて、傷つける事もなくなった」
襟澤は机から降り、本棚の前に乱雑に積まれたノートから一冊を取った。
比較的新しいそれは、半分もページを使っていなかった。
「これ最後」
四月六日 天気 晴
今日は有名人に出会した。
イメージと違って子どもっぽい。
あまりログインしてると支障が出るから早く帰れ、と言われた。
自分も明日の朝に響くから、と。
心配されたのは初めてかもしれない。
どうしたらもう一度あの声を聞けるだろうか。
どうしたらもう一度会えるだろうか。
どうしたら言い忘れたさよならを言えるだろうか。
あの変な亀裂について、調べてみる。
「これ、ブラックホールの……初めて会った日?」
「そう。それからは不登校を覚悟してた高校を生徒会に引っ張られて通う事になったり、あんたと事件を追ったりして色んな人と出会った。家で怪物と罵られてきた俺でも、誰かを助けられるんだなって思った。まぁ、助けてんのはアルニカなんだけどな」
「その私を助けてるのはお前だけどね」
「………そう?」
「襟澤がいなきゃ私は何度も死んでるわよ?」
美咲はにっこりと笑い、最後のノートを前にボールペンを持った。
ページを捲り、机でさらさらと日記を書いた。
「よしよし」
「?」
「よしよしよーし」
11月4日 天気 晴のち曇り
今日は襟澤の誕生日!
プレゼントとケーキでお祝い
私の大切なパートナーへ、
いつも一緒にいてくれてありがとう
これからもよろしくね
お誕生日おめでとう、襟澤
美咲歩海より
「はい、これでノート完成」
美咲は襟澤にノートを渡し、また泣きそうになった彼を笑った。
ラミネート……いや、ノートだしそれはちょっと。と呟く襟澤は、嬉しそうに頬を赤らめていた。
「…ありがと」
「どういたしまして」
「でもこれさ」
と襟澤は文章を読み直した。
そして文を指さした。
「これからもよろしくねって、生涯?」
「生涯…………待って、そういう意味じゃないから」
「卒業したらすぐに就職しよう。あんた組の人だから婿に入るべき?」
「そんな将来設計立ててんじゃないわよ!大丈夫、お前が結婚する時はちゃんとスピーチしてあげるわ!」
自信満々の美咲に、襟澤は即刻バッサリと切り返した。
「大丈夫、あんた以外と付き合える自信無いし、あんたも他の奴とうまいこと付き合えるか不安だから」
「何よそれ?!見てなさい!最高のイケメンと付き合ってやるわよ!」
「嘘おっしゃい。男をボコ殴りして病院送りにする女を誰が彼女にしたいのさ」
沈黙。
美咲は両手で顔を覆った。
ですよね!!
「あんたを鋼鉄の音姫だと思ってる奴は彼氏になれないだろうね」
「襟澤は違うの?」
「んー…未開拓地?」
「私は鉱山じゃないのよ」
「金脈?」
「嬉しくないわ。さ、洗濯物をどうにかしなくちゃ」
と美咲が言うと、襟澤は血相を変えた。
全力で遠慮したのだが、どうせまた溜め込むのだと聞いてはくれなかった。
結果、部屋を飛び出した二人は洗濯機の前で第二の攻防戦となった。
「退きなさい!生活スキル最低値!」
「退いてたまるか!これは俺のプライベートだぞ!」
「開かずの間もプライベートじゃない!何で洗濯物の方が大事なのよ?!」
「デリカシー無いなあんた!下着あるだろ!」
「私が組員何十人分の下着をどれだけ洗ってきたと思ってんのよ!今さらお前の下着見たところで何とも思わないわよ!」
「なんかそれはそれで酷い!」
襟澤は一緒に物干しをする事で妥協し、掃除などで日が暮れてしまった。
誕生日にも関わらずぐったりしてしまった二人は、早めの晩ご飯の準備に取り掛かった。
作り方を覚えるべく、襟澤は美咲の隣でじろじろとクッキング風景を見ていた。
午後4時20分。
二人は豚肉の生姜焼きとご飯、豆腐の味噌汁を囲った。
「手作り料理とか何年ぶりかね」
「いつも本当にシリアルバーなの?」
「コンビニは良い友達」
「………時々お弁当でも作りましょうか?」
「何それ、夫婦体験とか幸せすぎるイベントじゃん」
「今の話ナシで」
二人は黙々と生姜焼きを食べ、洗い物は襟澤がやると言って聞かなかった。
美咲は残ったケーキの準備をしていた。
皿とフォークを並べながら、ふと思いついた。
襟澤称と要は双子の兄弟である。
ならば誕生日は必然的に同じだ。
つまり今日は襟澤要の誕生日でもある。
どう過ごしているのだろうか。
誕生日を、誰かに祝われるのだろうか。
* *
午後5時20分。
襟澤要はある女性に呼び出され、高級ホテルのレストランで食事をしていた。
食のマナーくらいは心得ているため、緊張は無い。
但し、自分を呼び出した人物には問題がある。
全く、とはいえないが関係が無い人物だからである。
白いテーブルクロスと上品に盛り付けられたフランス料理、その向こう側で笑顔を見せる女性は、短い赤髪にネコ耳のパーカーが特徴的だった。
「…あの、何故僕の携帯番号を?」
「うちに調べられへん事は無いわ。偶々、誕生日の人がおったから呼んだんよ」
彼女は鼎梗香、花柳では人気の大学生モデル。
その裏ではある研究に参加していた過去があり、その方面で関係がある。
彼女は満面の笑みで料理に手を着け、話しながらもバクバクと皿を空にしていく。
そんなに食べるならこんな高級な所でなくても…と思う。
もう三皿目ですよ?
「あんさんによう似た子に会いましたえ?」
「!」
「兄弟…いぃえ、双子さんやてな」
鼎は優しげに笑うと、要の皿を見てデザートの手配をした。
確かに空にはしたが、そう早く手配するのか。
そうして届いたのはクリームブリュレ、薄く見えるが、重い。
そんなデザートを大口を開けて食すモデル。
何かの冗談だろう、と要は開けてしまった口を戻すことを忘れていた。
「双子さんなんや、誕生日は同じでっしゃろ?」
「はい…」
「プレゼントは?」
「遭わないので何も」
「そんなん寂しいやないの」
「あの、でも僕」
「死んどるんやろ?」
要は目を逸らした。
そう、鼎梗香は電波使いのトップクラス。
彼では敵わない情報量と、敵に回せば確実に殺される強さを兼ね備えている。
何より恐いのは、彼女が美咲歩海と違って“本物の戦闘”を知っている事だ。
「会えるうちに会った方がええよ。うちはもう二度と会えへんかもしれへん」
「会いたい人がいるんですか?」
「おりますわ。あれは…そう、初めて第二スキル計画の被験者になった時やね。小さい子いっぱいでな?みんな不安やったんよ」
「…それ」
「うちの隣にいた子が研究員の子でな、泣きそうなうちを慰めてくれたん。あれ、初恋いうんやろうね?胸がきゅうっ、て苦しゅうなるんや」
第二スキル計画は“能力は一人一つ”という常識を覆す研究であり、かつて多くの子供たちを対象に行われた。
しかしその結果は
「会うたのはその日だけなんよ」
鼎は悲しげにクリームブリュレを完食した。
「きっともう死んでますわ」
「…」
「そう思うやろ?」
「……被験者の生き残りは、ごく僅かです」
「そうやね」
「でも、僅かでも」
「“死んだ”って言うてや」
鼎は笑った。
要は口を噤み、彼女が何故ここにいるのかを知っているからこそ、涙が出そうだった。
その様を見て彼女が更に笑うと、ウェイターにカードを渡した。
「会計しといてな」
「畏まりました」
「ほな、あんまり変な顔せんとき。うちが出ていかれへん」
「……」
「そんなん、殲滅部隊でやってけへんとちゃいますの?人が死ぬんは慣れへんと」
「慣れるわけ無いじゃないですか!」
「優しい子やね。でもうちは……もう幾何も無いさかい、上もこの命令出したんよ」
ウェイターからカードを受け取った鼎は、最後まで笑顔を崩さなかった。
「最期の晩餐、付き合うてくれてありがとう。要はん」
テーブルに取り残された要は、ガラス窓の向こうの雨模様と、映し出される自分の姿を見た。
呼吸が速い、何を迷っている。
このままにしておく事が殲滅部隊の役目。
何が起こっても、全く関係の無い仕事に首を突っ込んではならない。
例え死人に情が湧いても。
そう心に刻んでレストランを後にした要は、迷わず電話した。
『誕生日おめでとう』