第一楽章ー1:電脳亡霊の仮面
午前11時13分。
美咲歩海は庄司龍一郎とともにショッピングモールを訪れていた。
あるプレゼントを購入するために。
「黒猫の誕生日?」
「そう、私もプレゼントを貰ったし、何かお返しをしたいの」
本日、11月3日。
明日、11月4日。
文化の日の翌日、それはクロこと襟澤の誕生日である。
美咲は誕生日に現在も着けている青色のリボンを貰ったため、礼儀としてお返しを考えていた。
が、男性に贈り物をする自体が初めてのため、贈るものすら決まっていなかった。
「ケーキ買っときゃ良いんじゃね?」
「ケーキは前提よ!ねぇ、男の子ってどんなもの喜ぶの?」
庄司は視線を宙に泳がせ、圧倒的に趣味まで違うであろう黒猫を思い浮かべた。
憎たらしい、しか出てこない。
「………普通に一般人が喜びそうなものを喜ばなさそうだな」
「どうしよ…………パソコン関係とか分からないし」
「奴の家、生活感無かったからそういうの買えば?」
「あぁ、それもそうね!…って襟澤の家知ってるの?」
庄司は白いマフラーで口元を隠した。
「変な奴に襲撃されてたのを乱入した」
「え?!そんな事ひと言も」
「男という生き物はそうバカスカ自分の失態言わねぇよ。それより、貴様には話がある。歩きながら説明する」
二人はモール内の店を回りながら、ある事件についての話を始めた。
それはニュースにも報じられていない、研究所で起きた事件である。
事の始まりは古く、電脳世界が作られた頃である。
電脳亡霊というシステム上のバグが生まれ、被害者が出ていた当時、それをとある研究者が条件緩和に成功した。
以来、亡霊になる被害者は少なくなり、比較的安全といえる電脳世界が実現した。
しかし、その研究者がいなくなると、残された者達がそれについての研究を始めた。
「電脳亡霊は被害者の能力を暴発させる事もある。自我が保てなくなるからな」
「その研究に問題が?」
「母のファイルを見た」
庄司は服屋の前で足を止め、美咲が指差したのを一緒に見に入った。
「どうやら被験者に電脳亡霊バグを仕込み、過程を記録しているようだ」
「それ、危険じゃない!」
「しかもその被験者が………」
その時、モール内を警報が支配した。
『ただ今、電脳にて損害が発生いたしました。ログイン中のお客様は直ちにログアウトして下さい。繰り返します……』
「損害?!侵入者かしら」
「どうだかな。ログインできる場所を探さねぇと」
「私、ちょっと行ってくる!店員さん、これ包んでおいて頂けますか?!お願いします!」
美咲は一人人混みに消えてしまい、商品を預かった店員と庄司がきょとんとしたままそれを見送った。
すると店の奥で別の店員が歓喜の声をあげた。
「アルニカだわ!」
* *
襟澤は冷や汗ものであった。
突然の襲撃、美咲は独断専行、隣には一般人、自分がどうにも動くことが出来ない状況で、彼はともかくパソコンの画面を出すしかなかった。
「てめぇ、クソ猫!」
「!!」
襟澤と綿貫の前に小さめの紙袋を持った庄司がパソコンを目印に人混みを抜けていた。
「何でここに!」
「そりゃ、その」
「そんな事より、お嬢はどちらに?!」
「……………」
襟澤と庄司が目配せする。
《言ってないのか?!》
《言うわけないじゃん、あのアルニカなんだぞ!》
「お二人さん?」
「この騒ぎの途端に走って行っちまって…」
「騒ぎが収まれば見つけられる。とりあえず見るぞ」
クロとして動くことが出来ない事を嘆きながら、襟澤はパソコン画面でモール内の電脳世界を見た。
そこには、アルニカもクロもよく知るあの仮面が事件を引き起こしていた。
* *
午前11時時37分。
青い電脳世界で、桜色の正義のヒロインが咲いた。
まだログアウトしていない客アイコンを目下に、空中で大きな音叉を構えた。
桜色の髪と胸元のリボンが揺れ、アルニカは黒い塊を一つ音叉で斬った。
「アルニカだ!」
そう見上げるアイコン達。
アルニカは塊の上に着地し、白いバイオリンのツールを出した。
「さぁ!いくわよ!」
ヴィヴァルディ作曲、『四季』
「秋」
呟くとともにアルニカは弦に弓を滑らせ、穏やかな秋を奏で始めた。
ウィルスが空に溶けるように消えていき、アイコン達が歓喜した。
そこに威勢の良い声があがった。
「アルニカァァァッ!!」
声だけでもわかる正体にアルニカは振り返った。
しかし気まずくはなかった。
「あ、ウィズだ」
藤色ポニーテールの着物姿の生徒会、ウィステリアがアルニカを指さしていた。
「友達みたいに呼ぶな!」
「呼んで良いよって言ったのそっちじゃない」
「近くにいたから来てみれば!遅れをとったみたいね」
アルニカは『残念でした』という嫌な表情をして見せた。
「今日こそあなたの正体突きとめるんだから!おとなしく捕まんなさい!」
「警察みたいな事言っちゃって。正義のヒロインは捕まりませー…」
瞬間だった。
電脳世界から音が消えた。
二人は消えていくウィルスの黒埃をちらと見た。
すると埃を黄色と赤の閃光が貫いた。
アルニカの目の前に閃光がさしかかり、咄嗟に避けた。
避けるのに精一杯で、アルニカは手を地についた。
後ろにはアイコンが、と振り返ると客アイコンがアルニカを見下ろしていた。
生気がない。まるで無人アイコンのような目だった。
「え!」
辺りを見ると、全てのアイコンが何も言わず、生気のない目で、棒立ちしていた。
閃光の先を見ると、空中に両手を広げるアイコンが一つ。
真っ赤なショートカット、ノンスリーブのピッタリとした際どい丈のワンピース、指の見えない長手袋に太股からブーツに切り替わるように色が変わっている靴底の無さそうな靴、手の甲と足首の位置には青白いプラズマリングが浮いていた。
二人はその顔を見て目を丸くした。
適当なぐるぐる書きの顔が描かれた白い仮面だった。
それには見覚えがあった。
アルニカも、ウィステリアも、その仮面を被った女に電脳世界で会っていた。
「…嘘……ジュリさん…?」
しかし電脳亡霊のジュリは金髪で、既に電脳世界にはいないはずだ。
「………ちょっ!あなた誰!?」
ウィステリアが叫んだが、赤髪は喋らない。
右手を挙げ、一言だけ呟いた。
『アルニカ』
すると彼女の周りに電脳世界の壁を形成している青いブロックがいくつも浮遊し、十本程度の鋭利な剣に形を変えた。
フロアが真っ赤に染まり、アクセス不可の表示と、危険の表示がいくつも出た。
生気のない有人アイコン達がアルニカとウィステリアを捕まえる。
このままではあの剣の的だ。
アルニカは左足でフロアに地鳴りを起こし、有人アイコンとウィステリアを怯ませた。
咄嗟だったので自分も少しふらついたが、それも一瞬、大きな音叉を構えた。
ウィステリアが日本刀を構えたが、赤髪が右手を振り下ろすと剣が二人目掛けて飛んできた。
後ろにはログアウトしていない有人アイコン。
有人アイコンが電脳世界で死んだ場合、現実世界の本人に意識が戻る可能性は低い。
五感ネットワークのデメリットは、二つの世界を行き来する際のリスク。
電脳世界にいる間に本人が死ぬと、秋元珠里のように電脳亡霊になる。
電脳世界で意識が死ぬと、本人は脳死状態に陥る。
このままでは後ろにいる全員がそうなるのだ。
ウィステリアも同じだ。
しかしアルニカは違う。
ここにいるのが本人だから。
アルニカの考えはまとまっていた。
ウィステリアを後ろに蹴飛ばし、音叉で剣を二本打ち返した。
何本かは手前に刺さり、アルニカはまた一本打ち返した。
剣は赤髪のほうへ飛んだが、青いプラズマリングに護られた。
「?!」
最後の一本を跳ね返したが、音叉が音を立てて真っ二つに折れた。
赤髪は跳ね返された一本の剣をウィステリアに向けて飛ばした。
アルニカはウィステリアの前に立ち、両足を強く踏み込み、剣が自分を横切る瞬間、端をつかんだ。
「ふっざけんなバカヤロォォォォッッ!!!!」
重く、硬く、電気を帯びていた剣は異常な熱さだった。
アルニカは素手である。
血が電脳結晶になって流れた。
右肩にもチリチリとした熱さは及び、火傷になった。
剣を振り回すように飛ばし返し、赤髪の頬を掠めさせた。
仮面に傷がつき、アルニカが大笑いした。
「誰だか知らないけど!有人アイコンに危害が加わるなら、許さないわよ!」
「………」
赤髪は赤と黄色の閃光になり、フロアから消えた。
有人アイコンが何故か生気を取り戻し、何があったかがわからないようで首を傾げた。
ウィステリアがアルニカを見上げ、言葉を失っていた。
アルニカはウィステリアには振り返らずに言った。
「さ、私帰るから。またね、ウィズ」
「………あ、ちょ、待ちなさい!」
アルニカはドロン、とその場から姿を消した。
「……」
ウィステリアは目を閉じ、拳を握りしめた。
庇われた。
アルニカに。
* *
午前11時時49分。
美咲は非常事態だった。
アルニカで屋上までは上がったものの、電脳での傷は現実世界では悪化するため、両手と右肩が大火傷だった。
「フザケやがって赤髪ジュリさんもどき!!」
どうにかして止血と処置をしなくては。
じわじわと熱さが増し、美咲が痛みに顔を歪める。
プレゼントを受け取りに行かなければならないのに。
明日、それを渡さなければならないのに。
制服から血が滲んできた。
寮にストックを買っておいてよかった、と冷静に考えながらも、血が止まるわけではない。
美咲は立ち上がり、設置されていた水道の蛇口をひねった。
おそらく掃除用だが、汚水ではない。
痛いのを承知で手を洗い、右の袖を捲った。
火傷を冷やし、ポケットティッシュで拭いた。
さて、問題はここからだ。
庄司龍一郎のところへ戻らなければならない。
血のついた制服で、火傷の手で。
無理だ。
せめて上着くらい着ないと帰れない。
庄司はアルニカがアイコンとして入っているのではなく、美咲自身がログインしているのを知らない。
つまり、現在、彼は美咲が大怪我をしていることをこれっぽっちも知らない。
「どうするかなぁ」
「お嬢?」
美咲は目を見開いた。
呼吸が一瞬だけ止まった。
振り返った先には、同じ制服を着た綿貫が立っていた。
もちろん、血のついた制服を着た私を見て顔は真っ青だった。
これは一大事だ。