~間奏~
それは庄司龍一郎が街中である広告貼り紙を見上げていた時の事。
そこはCDショップで、『宮園あおい』として再出発したアルバムの発売記念ポスターが貼られていた。
生き生きとした笑顔でギターを手にポーズを取る彼女に、庄司は目を留めたのだ。
「はぁ…」
「あ、気になります?気になりますよね、わかります」
「?!」
庄司は心臓を跳ねさせ、真隣に立つ男子学生に向いた。
するとそれはよく見覚えのある人物だった。
「貴様!!クソ猫!!」
「公衆の面前で煩くしないでよ、目立つじゃん」
それは襟澤称であった。
チョコレート味のシリアルバーをくわえ、モゴモゴと手を使わずに器用に食べていた。
「せめて手使って食えよ」
「言われる筋合いゼロ」
沈黙。
やがて、襟澤はポスターを見上げて呟いた。
「良かったね、お姉さん」
庄司龍一郎には姉がいた。
幼い頃に、離婚によって離れ離れになった。
姉はその行方を知らないが、弟は知っている。
姉の名は宮園葵。
このポスターの彼女である。
「………美咲歩海は姉に会え、と言った。今更どの面下げて会えば良いかわからん」
「少し口角上げると良いよ」
「誰が表情の話したんだよ」
「だってどの面って」
「話しててイライラする奴だな」
「俺に蹴り入れた奴」
「根に持つな」
「相手が生きてるなら、ちゃんと会った方が良いよ」
庄司は目を丸くし、目を逸らした襟澤に聞き返した。
すると、彼はボソボソと語った。
「伝えたい事を伝えられるうちに」
「…貴様は」
つっかえかけた返事をする前に、襟澤の背後で眼鏡をかけた男子学生が声を掛けてきた。
「見つけたぞ、問題児」
「!!」
襟澤は血相を変え、即刻振り返った。
舌打ちをした。
「ちっ、見つかったか!」
「先輩に舌打ちしない!」
「あんたがパトロールなんて無駄なものに連れ回すからだ!そんな事しなくても俺はパソコン一個で全マップ見れるんですー」
「実際に見た方が良いの!」
「無駄の塊。その曇った眼鏡ちゃんと拭けば?」
その間にも、先輩は襟澤の制服の後ろ襟を掴み、庄司にぺこぺこと頭を下げた。
右腕の生徒会の腕章を見て、庄司は深々と一礼した。
「お疲れ様です」
「いやいや、こっちこそごめんね?うちの子が」
「うちの子?!」
「兄貴分だからね。花柳第二生徒会、秋津だよ。よろしくね」
「兄貴分らしいこと一切してない。ただの近視眼鏡」
と襟澤が言うと、先輩は少し後ろ襟を引き上げた。
「制服伸びるじゃん!放して!俺は帰る!」
「はいはい、パトロールしたらな」
「一人でやれ!」
と襟澤が自分の胸に手を当てると、秋津は唱えようとした口を手で塞いだ。
「モゴッ!」
「それは使っちゃ駄目」
「モゴモゴモゴモゴ!!」
「分かった、カフェ奢るから」
「モゴゴ?」
「ケーキセットまで」
「……」
「よし、コーヒーおかわりつけるよ」
襟澤は頷いた。
交渉は成立したようだ。
襟澤はやっと解放され、携帯電話をいじりだした。
「良かったら、君も食べるかい?」
「え」
庄司が応えようとすると、襟澤が即答した。
「知らない人とお店入らない」
「僕がいるじゃない。それに知らないなら何で話しかけてたの」
襟澤はポスターを指差した。
それは『宮園あおい』。
秋津は衝撃を受けた。
「え?!何、ファンなの?!」
「俺は違う」
「僕、発売日に買っちゃったんだよね!やっぱ歌詞とか惹かれちゃうんだよね!貸してあげようか!」
「俺はいらない。てか美咲から借りる…あ」
「ははーん?やっぱり彼女?」
「違う!!」
「よし、そこら辺根掘り葉掘り聞いてやるから覚悟しろ問題児」
「ふざけんなあんたの彼女について根掘り葉掘りだ馬鹿眼鏡」
ぐちぐち。
庄司は恐る恐る後退りした。
「あの、俺は用事があるので」
「あ、そうなのかい?それじゃあ、またの機会に」
秋津は襟澤を引き摺りながら、手を振った。
引き摺られながら、襟澤は特に表情もないままひらひらと手を振った。
「あんたも聴けば?どの面下げれば良いかわかるかも」
そして俄に笑った。
人混みに二人が消えていくと、庄司はまたCDショップに目を向けた。
入ってみると、手前に大きくそれは展開されていた。
空色のジャケット写真、手に取った彼はレジに進んだ。
その足で真っ直ぐ家に帰り、広いリビングで一人ソファーに腰掛けた。
プレーヤーにCDをセットし、ヘッドホンを着けた。
流れてきたのはミディアムテンポに乗った姉の歌声。
歌詞は人を前に進ませてくれるような、勇気をくれるようなもの。
歌詞カードを眺めているうちに、二曲目に移った。
するとバラードに彼女の声が乗った。
その歌詞は、ずっと誰かを待ち続ける、それでも希望を失わない歌。
最後のページ、スタッフ達の名が連なる中で、最後の行に目を見張った。
「そして私の大事な弟へ あなたに逢えるその日まで、私は何度でも歌います」
庄司は顔を歪ませた。
両手で覆い隠し、嗚咽が小さく聞こえた。
会いたい、いつまでもあなたの影を探している。
雑踏に幼い記憶を見るの。
どこにいるの?
何をしているの?
笑っている?幸せ?
今でも記憶の中のあなたに頬笑むの。
あなたが好きよ、会いたい。
「……会いたい」
* *
「葵さん!お待たせしました」
午後3時20分。
美咲歩海はある音楽事務所の一室にいた。
レコーディング用のスタジオでギターをチューニングするのは、宮園葵。
ちょうど、これから帰る所のようだ。
美咲に気付くと、喜んで彼女を手招いた。
「歩海ちゃん!来てくれてありがとう!」
「いえ、何があったかと思えば」
「早く暇になっちゃったからカフェ付き合って!とか驚いちゃった?」
「私で良ければいつでも」
二人は事務所を後にし、近くのチェーン店カフェに入った。
宮園曰く、ここには女性限定ケーキセットがあるのだそう。
勿論、二人はそれを頼み、ボックスソファーの設置されたテーブル席に着いた。
「気になってたんだよね!なかなか一人で入れなくって!」
「有名人ともなると入れないですね」
「この前、入ろうとしたらサインの嵐に巻き込まれたんだよ」
人が一緒ならばカモフラージュもでき、本人とはバレない。
そう話していると、ウェイトレスがケーキセットをテーブルに置き、一礼して下がった。
このカフェのいち押しはザッハトルテにあり。
二人は早速、フォークを手に取った。
「美味しそうですね」
「いっただきま」
「へぇ、鋼鉄の音姫さんは有名人さんとザッハトルテにご執心ですか」
「?!」
フォークの位置をそのままに、美咲は真隣を見た。
そこにはコーヒーを啜る襟澤称と、向かいには秋津悠がいた。
「げっ!襟澤!」
「ザッハトルテと扱いが違いすぎる」
「秋津先輩、こんにちは」
「うん、こんにちは。そちらの方は?」
美咲が言葉を詰まらせると、宮園は笑顔で自己紹介した。
「庄司です!歩海ちゃんとは友人です!」
「そうなんですか、どうぞよろしく」
その間、美咲は襟澤の視線に気付いた。
先はザッハトルテ。
女性限定メニュー。
「……少し、食べる?」
「クレープはヨシとしてもケーキ半分こはちょっと」
半分もらおうとしていたのか。
「一口よ」
「ケチ」
「分かったわよ!交換してげるわ」
「いや、そこは一口で手を打つ。もし、良かったらさ……後日、また」
ニヤニヤ。
襟澤は眼鏡を横目に見た。
宮園と揃って目を輝かせていた。
「青春か」
「若いって良いね」
「あんた一つ上だろ!」
「私は邪魔かね?」
「僕も邪魔ですかね?」
『邪魔じゃないです!寧ろここにいて!』
後、四人は一時間ほどの談笑を経て、カフェの前で解散した。
襟澤も帰ろうとすると、美咲は半歩後ろに着いてきた。
「?」
「ねぇ、好きな色は?」
「は?」
「さっさと答えなさいよ」
「黒」
沈黙した。
襟澤は妙な雰囲気に眉をひそめた。
「あの?」
「……ありがとう、探してみるわ」
「何を?!」
「じゃあね、襟澤」
突然の質問と素っ気ない別れ方に、襟澤はちんぷんかんぷんであった。
この問題が解決するには、もう少し時間がかかる。