第三楽章‐1:潜入、山吹病院
神宮愛里沙
芦屋のルームメートであり、友達。
クラスは二年とも違うクラス。
とても活発で文字にしたら元気そのもの。(だろ?わかってんじゃん)
ただし、口が滑りやすく、秘密はすぐにばれるというおしゃべり。(仕方ないじゃん)
部屋を散らかすのが得意で、芦屋にはよく怒られている。(余計なことを!)
まぁ、とにかく元気な愛里沙ちゃんでした(おうよっ!)
午後一時。
山吹病院では大変な騒ぎだった。
美咲と芦屋が駆け付けた時、生徒会の腕章をつけた水無瀬と羽賀がすでに医者と話していた。
医者と入れ替わるように芦屋は医者が離れてから話し掛けた。
「先輩!」
「芦屋さん」
羽賀はすぐそこにあった椅子に腰掛け、水無瀬は芦屋に状況を説明してくれた。
「特に看護師たちは気付かなかったみたい」
「あの……」
美咲はゆっくり挙手した。
「あなたは?」
「一年の美咲歩海です。その高畑を本気で殴ったんですが」
芦屋は次の言葉がすぐにわかった。
自分の音波が原因で何かあったからではないかと疑っていることに。
「強いショックで死んだとか……」
「高畑政一の死因は血管内に大量の空気を注入されたことによるもの。あなたの音波は関与していないわ、音姫さん」
美咲は音姫と呼ばれたことに驚き、少し顔を赤らめた。
というより美咲の心中では、《この人きれい……》しかなかった。
「あなたのことは知っているわ。でも耳から血を出したくらいで人は死なないわ」
水無瀬は微笑み、話を続けた。
「ただ、医者の一人が不審な新人を見たそうなの」
「新人?」
医者曰く深緑の髪が印象的で見ない顔だったので話し掛けたら、浜田と名乗ったそう。
その女性は点滴を入れ替えに行ったそうだけど点滴は入れ替えられていなかったし、そんな時間でもなかった。
「すぐにでも犯人を捕まえなくてはならないわ。明日には資料ができるみたいだから明日学校に来てちょうだい」
「はい!」
「今日は解散!」
羽賀が両手をあげて万歳をした。
その日は時空領域も発生せず比較的平和な午後だった。
* *
午後12時05分。
月の見えない曇った夜空の下、美咲はふかふかのベッドから起き上がった。
「もうさすがに病院閉まったよね」
枕元に置かれた灰色のオルゴールが静かに鳴り始める。
「バラード第2番op.38 」
美咲がそう呟いて音叉を震わせた。
あっという間に美咲はオルゴールの中に消えてしまった。
曇った灰色の電脳世界に美咲ことアルニカは降り立った。
「曇りは私の服映えないから嫌いだなぁ」
「いつだって映えてないじゃん」
「あ?!」
アルニカの隣には既に黒猫のクロがこじんまりと座っていた。
アルニカは静止した。
えーと、誰だっけ。
そう考えながら首をかしげた。
クロの顔が呆れているのがわかった。
「クロ」
「それ!うん、クロちゃんね」
「いや、俺確実に年上だから」
「嘘つけ」
アルニカはクロを置いて病院に向かって歩き始めた。
クロは早足でアルニカに着いてきた。
「てか今日の事件見た?車が落ちてきたやつ」
「えぇ、今日なんてアルニカでもないのに犯人殴ったわ」
えぇ?!と言わんばかりの表情でクロは尻尾をピンとのばした。
アルニカはそれさえ気にせずさっさと歩く。
「何、そいつ病院送りにしたとか………まさかね!だよな―!」
「それどころか死んだわよ」
クロはさすがにふざけられない返事に目を丸くした。
アルニカは腕を組んでクロに振り返った。
灰色の曇った空の下、二人はじっと互いの目を見た。
緊張感のある空気が辺りを包み、アルニカはついに目的地を示した。
「私は山吹病院に資料を閲覧しに行く」
この無謀なアルニカの計画にクロが反対しないわけはなかった。
すぐさまアルニカの行く道を遮るように前に立つ。
「無理に決まってんだろ!?現場に入るとかとはわけが違う!病院っても能力者専用の超厳重警備の大要塞みたいなもんだぞ!!」
「そんな難しくないわよ」
「その自信はどっから来んだよ!」
「じゃついてくる?」
アルニカは何故か自信満々な笑みを浮かべ、クロを見下ろした。
という経緯でアルニカとクロは山吹病院のセキュリティサイトの前にいた。
堂々としたアルニカに対し、クロは辺りをキョロキョロと警戒しながら彼女の隣を歩いていた。
「マジで入るの?」
「ええ」
山吹病院はその名の通り山吹色の立体アイコンを浮かばせていた。
灰色の電脳世界に映える黄金色に似た病院という名の要塞が二人の前にあった。
アルニカはづかづかと中に入っていった。
「クロちゃん、頼みごとがあ……」
「危険じゃないならな。務所行きなんてゴメンだかんな」
クロが慎重な理由もアルニカは知っていた。
山吹病院は能力者の病院であるとともに能力者を研究し、観察するための“監獄”と有名であるために、能力者はよほどの事が無い限り近づかない場所である。
二度と病院から出られないような能力者もいるとまで噂されている。
そんな要塞に能力者がのこのこと正面から歩いてくるなど普通では考えられないのだ。
しかし、
「あんた現実世界には戻れないでしょ?」
「おまえも無理だろ」
「できるわよ?」
通常、人間が電脳世界に入る場合は架空のアイコンを利用して精神のみをログインするので身体はその場で睡眠状態となる。
しかしアルニカの場合、オルゴール(即ち音が出せるもの)があればそこに身体を移せるのだ。
「それ以前に身体ごと電脳世界に入れるから心配ないわ」
「なんか…お前が人間に見えなくなってきた」
「れっきとした人間です!!とにかく頼みごと聞いてちょうだい!」
アルニカはクロを抱き上げ、こそこそと耳打ちした。
「えぇ?!」
クロが顔を引いて動揺する。
アルニカは笑顔でうなずいた。
* *
午後12時29分。
病院は真っ暗に非常口の緑色のライトがほのかに辺りを照らしているだけだった。
何かお化けでも出そうな不気味な雰囲気を醸し出した待合室の椅子の下に小箱がひとつ。
山吹病院は夜中の警備は人間より厳重なロボットに任されている。
能力者に対応して武器まで搭載しているらしいが、落とし物には気付かないようだ。
小箱がほのかに白く光りだし、中からアルニカこと美咲歩海が光とともに出てきた。
しかし美咲は子どもがかぶるようなウサギさんのお面をかぶっていて顔が見えなかった。
小箱を手にとり、辺りを見回した。
「警備ロボットに見つかる前にカルテを……」
美咲は壁に背をつけ、音叉を手に深呼吸した。
素早く音叉を構えて廊下に出た。
仄暗い延々と先の見えない廊下が目の前にあった。
美咲は足音を出さないようにゆっくり、そして急いで廊下を進んでいった。
〔資料室は……あった!〕
しかし扉はカードキーによるロックがかかっているため中には入れない。
心の中で舌打ち。
「パソコンは使えないかな………」
そう呟いた瞬間、美咲はものすごい殺気に気付き振り返った。
美咲の真上には黒髪を一つに束ねた女性がナイフを振りかざしていた。
「!!」
「侵入者確認」
美咲は咄嗟にナイフを避け、女性はバキッと扉にぶつかった。
「警備ロボットか、早いなぁ」
女性のロボットは長身で、動きやすいように上下ジャージのようなものをきていた。
暗いのに目が慣れてきたのか、資料室のシステムが壊れて扉が半開きになっているのに気が付いた。
美咲は鼻で笑い、自信に満ちた表情になった。
「こんなダサいロボじゃ病院潰れるね」
「攻撃体勢に入る」
女性は美咲に向かって真っ直ぐに走ってきた。
振るわれるナイフの音を微かに聞き、美咲は潜り込むように女性の足下を走り抜けた。
そして資料室の扉を精一杯に押しあけた。
少しお面がズレたがそんなことを気にしている暇はなかった。
〔高畑……〕
中はまた薄暗く、大量の段ボールとホコリが詰まっていた。
美咲は咄嗟に新しい段ボールを開けてカルテを探した。
しかしすぐに女性は資料室に入ってきた。
「やべっ!」
女性の突きを美咲はギリギリで避けた。
女性は開けられた段ボールを見てまた美咲を見た。
「何か盗みに来たのか?」
「まぁね。ちょっと高畑政一のカルテをね」
「許可できない。阻止する」
ナイフは美咲に向けられた。
「湿気たプログラムね、残念でした♪カルテは見つけたよ」
美咲は片手に高畑政一のカルテをひらひらとさせていた。
女性は素早く駆けてきた。
美咲は青く細長い機械を取り出し、ナイフを避けた。
少しだけTシャツの半袖と腕を切り裂かれたが、そこまで深手ではない。
美咲はカルテを床に叩きつけ、青い機械を上から下にスライドさせた。
「コピー完了!」
そう言った瞬間、女性が美咲に勢い良く切り掛かった。
そろそろ美咲がナイフを避けきるのも限界がきていた。
〔オルゴールのネジ巻けないじゃない!〕
現実世界から電脳世界に入るためにはオルゴールが鳴っていなければならない、という特殊なシステムのアルニカこと美咲歩海は遂に女性に壁まで追い込まれた。
「名を名乗れ」
…………。
本名を名乗れば万一ここから逃げられたとしてもすぐに捕まるはずだ。
美咲は上腕部から流れる血を押さえてにやりと笑った。
「……アルニカ……」
「アルニカ?彼女は死んだはずだ……」
「まぁね。あんたらが死なせたけどね」
アルニカである可能性は0である、と女性がナイフを構えると急に二人の間に見えない壁が作られた。
女性のナイフが壁に触れ、部屋の外まで弾き飛ばされた。
「?!」
「アルニカ!さっさと帰るぞ!」
「クロちゃん?!」
どこからともなくクロの声がして、美咲はすぐにオルゴールのネジを巻いた。
もう何の曲が流れたかもわからないくらいの速さで美咲は電脳世界へ戻った。
オルゴールごと消え、高畑政一のカルテのみが残されたその場所をみつめる女性に通信がきた。
「キャロライン、彼女は何と?」
「アルニカと」
「……へぇ……キャロライン、そこ何もなかったように片付けて」
女性はロボットなので驚きはしなかったが一応質問した。
「宜しいので?」
「うん、いいよ。真似事じゃないなら、もしかしたらアルニカの再来かもしんないじゃん」
「……了解」
女性ロボットのキャロラインは資料室の掃除にかかった。
翌朝、早番の看護師が見る時には一切の傷を残していなかった。
また、平和な病院の1日が始まった。