LuCk of ReD (ドロテア×ウィル)
時系列的には、
『サイレント・プレア後、王国の花名の本編登場前』
になります。
LuCk of ReD (ドロテア×ウィル)
〜運命の赤、君の存在、恋の枷〜
「こんの泥棒があァア!!!」
朝。気持ちのよい爽やかな風に水面を揺らめかせ、太陽の光にきらきらと反射してきらめく海。港にはカモメが暢気な声をあげて我が物顔で居座っている。
人々が目を覚まし活動しはじめる、その最中。停泊していた一隻の船に、けたたましい怒声が響き渡った。
なんとも清々しい朝日を拝み、大好きな海を緩やかな気持ちでながめていたドロテアは、思わず顔をしかめて声の主を見やった。
「どうしたの、ダリー」
前歯の欠けた小男が、甲板のそでで顔を真っ赤にさせ怒り狂っていた。しかしドロテアの声を聞き、すぐに涙目になって応じる。
「最悪だ!こそ泥が……俺の林檎を盗みやがった!」
ダリーの指し示すほうを見れば、小さな赤毛の猿がいた。器用に帆を張る綱に手をかけ躯を支え、まるで悪戯なこどものようにキキッと口をあけて笑っている――ように見えなくもない。
林檎のひとつくらい、と言いたいところだが、そうにもいかない。なにを隠そうこの男、林檎を我が子のように愛している。それほど大好きなのだから。
ドロテアはため息を飲み込み、眉間にシワを寄せた。
と、そこへ今度は図体のでかい海賊仲間がゲラゲラ笑いながら登場する。
「やられたな!奴さん、海賊から盗もうたぁ、いい度胸してやがる」
「カイン……」
なんだか悪い予感がする。ドロテアは諌める気持ちで彼の名を呼んだが、しかし、聞くはずもない。
「野郎どもお!海賊の恐ろしさ、あの餓鬼に教えてやろうぜぇ」
カインの声とともに、どこからともなく船員が飛び出す。吠えて獲物を得んとみな協力的だ。
ダリーは仲間たちの惜しみない協力に涙する勢いだが、実際に心から林檎を求めようとする輩はいない。彼らはダリーの林檎よりも、退屈を埋める刺激のほうが大事なのだ。ただの小猿相手ですら力を抜かないほどに。
(ああ、もう)
猿を捕まえようと躍起になっている海賊たちに呆れる思いでため息をつきつつも、ドロテアはそんな彼らがきらいではなかった。
「どうかしたの」
背後から声をかけられる。振り向かずとも、気配でいとしい人だとわかり、ドロテアは柔く笑った。
「ダリーの林檎を、猿が盗ったのよ。それでカインたちが……」
大の男たちが小猿に翻弄される姿は実に滑稽で愉快だ。つい吹き出してしまう。
ウィルもドロテアの視線を追い、ほほえましいと目を細めた――が。
「……ウィル?」
様子のおかしい彼の姿に首を傾げる。目を見開き驚愕の色に染め、ウィルは固まっていた。
「どうしたの、なにか――」
「逃げやがったあ!」
「待ちやがれェエ!」
海賊たちの声に視線をやれば、小猿は小さな林檎を片手に船から港へ、つまり地上へと降りて逃げてしまったのだ。
それでも追いかけようとするダリーに、とうとうカインは止めをさす。
「だめだ、街に逃げられちゃあ敵わねぇ」
「悔しいが、俺らが港で暴れるわけにも行かねぇだろ」
「諦めろ」
仲間たちも次々降伏する。たしかに、関係のない人間を巻き込むほど猿を追いかけるべきではない。
悔しそうに唇を噛みしめたダリー。
これでひとまず、この事件は幕を閉じた――はずだった。
「ちょっと、ウィル?」
「僕が行く!」
ぎょっとするドロテアに構わず、優雅な身軽さで船を降りた海賊船の船長は、なんとそのまま小猿を追いかけていってしまったのだ。
「はぁ?なにやってんだ船長は!」
がしがしと頭を掻きむしるカイン。ダリーは「船長〜」と感涙の涙を流す。
しかし、先程様子のおかしかったウィルを思い出して、ドロテアは顔をしかめた。
(心配、だわ)
さすがに海賊船員全員で港街へ繰り出すことは不可能だろうが、自分だけならば……
「あたし、行ってくる!」
留守を頼んだわよ、とウィルの背中を追いかけ駆けてゆく少女。カインがうなだれたのは言うまでもない。
‡・†・‡・†・‡・†・‡
ドロテアがウィルを発見したのは、それからしばらくしてのことだった。
すばしっこい小猿はもとより、ウィルも風のごとく疾走する脚を持っているようだ。なにが彼をそうさせるのか、必死に逃がすまいと食らいつくように前方を走る青年の姿に、ドロテアは置いていかれる不安を感じていた。
そうこうしているうち、ついに彼を見失い、仕方なしに港街をぐるりと回る。しかしどこにもいない。
(もう!いったいどこへ行ったのよ……)
とうとう諦めかけたそのとき、あらぬ方向から声が聞こえた。
(ウィル?)
たしかに、それは恋する人の声。しかしドロテアには信じられなかった。思わずのぞいた店先に、当の本人の姿を見とめてさえ。
(な、んで……だって……ここは……)
思わず眉間にシワが寄るのも仕方のないことだ。ドロテアがウィルを見つけた場所は、あろうことか花街――娼婦を買う店が軒を連ねた街道だったのだから。
(ウィル)
そして彼は、娼館とおぼしき店前で、ひとりの妖艶な女性と話し込んでいた。
優雅な出で立ちの彼は目立つ。そして娼婦であろう女も、豊富な胸と引き締まった腰、漂う色気を持ち合わせ、実によく目を引いた。
美男美女――そんな単語がぐるぐるとドロテアの頭をしめる。
(ダメ、ゼッタイ!!!)
首を振って妄想を頭から追い出し、やきもきしながら再度耳をそばだて盗み見る。
じくじくと痛む胸が切なかった。
だが、ここまでなら我慢できた。冷えた頭で考えれば、きっとなにか理由があってウィルは娼館なんぞに寄ったのだろう、そう思えた。
柄にもなく必死で猿を追いかけていたことも気がかりだし、それにも関わらず猿を探さず女性と話し込んでいるのにもきっと訳があるはずだ、と。
――しかし――
「かわいい」
ぎょっとした。今の台詞がウィルの口からこぼれ出たことが信じられない。
びっくりしてさらに見ていると、突然女性の手を握りしめるウィル。
「運命なんだ」
がやがやと周囲が騒がしいせいで雑音が入ったが、たしかに、ウィルが喋っている。
前のめりになりそうな勢いで身を乗り出したドロテアに気づかず、彼はさらに言葉を重ねる。その眼は愛おしげにうるんでいた。
「買いたいんだ……一目で……惹かれたんだ。できれば側に……」
よく聞き取れなかったが、その言葉は確かに聞いた。『彼女を買いたい』と彼は言ったのだ。
(そんな!)
彼が言うはずない、しかし確実に彼の口からもれた言葉を己は聞いている。
承諾したのだろう、艶やかな笑みを浮かべ、娼婦はウィルをともない、娼館へと姿を消した。
そんなふたりの後ろ姿を目に、ドロテアは立ち尽くす。脳内ではウィルが女の服を脱がせながらあまくささやく様子がみるみる浮かび繰り広げられる。
「君を一目見て惹かれたんだ。こんな気持ちははじめてだ……」
「あら、でもあなたには恋仲がいるんでなくって?」
「ああ、忌ま忌ましい!そうさ、僕にはドロテアという枷がある」
「お可哀相な方……」
「できれば君にずっと側にいてほしいけど、僕は自由じゃない……今夜君を買いたい……それだけが幸せの一時!」
そうして重なる、ふたつの影――
(いや、いや――なぜ!)
嫉妬だ。醜い感情がどっとわく。
怒りと悲しみとやるせなさに苛まれ、しばし呆然とするしかなかった。
(ウィルは、あたしが重荷だったのね……)
だからこれ幸いと、小猿を理由に必死で彼女に会いに来たのだ。
ドロテアはよろめきながら、花街から姿を消した。どこかで思う存分泣き叫びたかった。
‡・†・‡・†・‡・†・‡
ショックと怒りで頭が真っ白になったドロテアは、ひとり船に戻る道をぼんやりと歩いていた。渦巻く嫉妬が黒く胸のなかでよどんでいる。
(これからどうすれば……)
「ねぇちゃん、ひとりか?」
ふいに声がかけられた。見上げれば厭らしい笑みを浮かべた三人の男。
どうやら人気のない路地裏へ来てしまったらしい。花街が近いためか治安もよいとはいえない通りだ。
「相談なら聞いてやるぜ」
「なんなら肩でもかしてやろうか?」
ニヤニヤと欲求を隠すことなく笑みにのせて言う男たち。ひとりがヒューと口笛をふいてドロテアの肩を抱いた。
わずかに眉をひそめたが、すぐに無表情を作り出し、ドロテアは男の手を払いのける。
「悪いけど、急いでるの」
他を当たって――そうつづけようとしたとき、わずかに香るアルコールの臭い。
(酔っているのかしら)
それなら好都合かもしれない、と考える。千鳥足の男を倒すなど、彼女にとっては造作もないことだ。
もとよりウィルのことがあってイライラしていたドロテア。なかば八つ当たりのごとく無表情をやめて眉間にシワを寄せた。
「なんだぁ、その目は。俺たちじゃ不満だってのか」
「こっちこいよ」
「邪魔、どいてよ」
ふんと鼻をならしそっぽを向き、歩みを再開する。
これには男たちが黙っていない。ニヤニヤした笑みを引っ込め、眉根を寄せる。
「おい、いい気になるなよ!」
がしりと力強くつかまれた肩。ドロテアはその勢いを使い、相手の腕を引っ張り足払いをかけた。
男は無様に転倒する。それを冷めた目で見やると、転ばされた男も仲間たちも馬鹿にされたと思ったのだろう、みるみる顔を真っ赤にさせていく。
「こんのクソ女ぁ!」
男が吠えたと同時にキン、と響く金属音。
見れば、ナイフを取り出す男たち。
(えぇっ?!)
ぎょっとしたのはドロテアだ。まさか刃物まで取り出すとは。
動揺が見て取れたのか、余裕を取り戻す男たち。すでに下種いた笑みを顔中に広げている。
「卑怯ね、刃物なんて」
ドロテアが嫌悪をありありと浮かべる。
「けっ。生意気な女は痛い目みねぇとわからないみたいだなぁ」
目に目にうろんな怪しい光を宿した悪漢たちを一瞥、ドロテアは片足を引いて重心を落とした。
(あまり酔ってないのかも……三人……いけるか)
素早く足場を確認し、構える。
「……はっ、可愛いげのねぇ女だ」
「従順ならかわいがってやったのによぉ」
「やっちまえ!」
一斉にかかってくる男たち。ドロテアはちくりと痛む胸を無視して臨戦態勢を立て直した。
(あんたらに言われなくったってわかってる)
可愛いげがないことくらい。元暗殺者の自分に、可憐なお姫さまなど似合わないことくらい。
ウィルは王子さまそのものだ。優しさも厳しさもすべて、彼の魅力そのもの。
隣に並べるほど、自分はいい女ではない。
それくらい、わかってる。
(でも、好き――好きなのに……)
一人目の突きをかわし、手首をひねってナイフを取り落とさせる。そのまま肘鉄を食らわせ昏倒させ倒した。
二人目には一人目の男を押しつけ、怯んだ隙に顔面を強打。呻いたところを手刀で意識を奪った。
しかし最後の男が問題だった。ふたり倒され焦ったのだろう、なりふり構わずナイフを振り回し刺してくる。
三人目の男は先のふたりに比べ大柄だ。腕をつかもうにもうまくいかない。
(しつこいわね)
舌打ちしたくなるのを堪え、避ける。避けるだけなら朝飯前だ。
「ヒッ――ば、化け物め!」
殺気を込めたからだろう、男は怯み後退する。
ドロテアは自嘲的な笑みを浮かべた。
(そうね、化け物は王子さまには似合わない――)
「なめやがって!」
突如ぐいと引かれた足。見れば、気を失っていると思っていたうちのひとりが、倒れながらもドロテアの両足をつかんでいた。
「さっさとやれ!」
仲間が意識を取り戻し再び優位にたったからだろう。ナイフを振り回していた男はニヤリと顔を歪め、ドロテアへ向かって突進してきた。
本気で殺されそうになるなど思ってもみなかった。たしかに最初のふたりは脅しでナイフを突きつけてきたが、気が動転したのか、三人目は殺す気で襲ってきたのだ。
目を見開く。避けられない、と瞬時に判断できた。
ナイフの切っ先が首へ届く、そのとき――
「ぐはっ」
呻き声をあげ、ナイフを持っていた男が動きをやめる。
ドロテアが顔をあげた先には、男の首根っこをつかんで立っているウィルがいた。
「なっ、なにしやが――」
「その汚い手で彼女に触れないでもらおう」
言うなり、ウィルは男の首をつかみ壁へ押しつける。
悪漢はウィルよりも横に大きい体格をしている。が、ウィルによって軽々と押さえつけられ、「ひっ」と声にならぬ悲鳴をあげる。
さらに、男の取り落としたナイフを足で蹴りあげ見事手中におさめると、おもむろにその刃をずんぐりした男の首へと当てた。
青ざめる男だったが、耳元でウィルになにかささやかれるとさらに血の気の失せた顔になる。
「わかったらさっさと消えてもらおうか」
にっこりと告げたウィル。ドロテアはそれを呆然とながめていた。
そのせいだろう、油断した。
いつの間にか解かれた足の拘束、そして――
「動くな!」
――突き付けられた刃物。
(しまった)
気づいてももう遅い。首にひんやりとした感触を感じ、ドロテアは後悔に苛まれる。
なにをほうけていたのだ――いや、むしろ見惚れていたといってもいい。
来てくれたことがうれしくて、切なくて、信じられなくて……
それがこの様だ。
「よぉ、色男さんよお」
ドロテアにナイフを突きつけた男は愉快そうに口をひらく。
相変わらずウィルに首を押さえられている男も、仲間の逆転にほっと安堵したようだった。
「よくもやってくれたなぁ」
「彼女から手を引け」
ウィルは眉間のシワを消し、淡々と告げる。
「馬鹿言うな。おまえこそ武器を捨てて手をあげろ。このまま帰すと思ってんのか」
ぴくぴくと青筋を浮かばせ、男はドロテアの首に腕を回した。
密着度が高まり、ドロテアは奥歯を噛む。
「いい女だな。おまえの女か」
問うが、男はウィルの答えを待つつもりはないらしい。ナイフをぺたぺたとドロテアの白い頬に当てつつ、つづける。
「……この女にはたっぷりお礼してもらわねぇとな」
そうして、彼女の亜麻色の髪を一房つかむと、匂いを嗅いでニヤニヤと口を歪めた。
――拷問だ。好いていない男にされる行為ではない。ドロテアは鳥肌が立つのがわかった。
ウィルに取り押さえられている男が羨ましそうにこちらを見るのも、調子にのった男がドロテアの顎をとらえ頬を撫で回すのも気持ちが悪かった。
(たすけて、ウィル)
そうして視線を愛しい彼に向ける。
「動くなよぉ……この女が死んでいいなら動いてもいいがな」
無表情なウィルに男は構いもせず、ゲラゲラ笑いながらさらにドロテアに触れた。
「色男はそこで、てめぇの女が傷物にされんのを黙っ――」
「がっ――!」
男が皆まで言うまえに、それはウィルに押さえられていた男の呻きによって遮られる。
ウィルはこちらに顔を向けたまま、男の首を押さえていた手に力を入れて昏倒させたのだ。
そして泡をふいて足元へ崩れる男など気にもとめず、ドロテアたちへ歩みを進める。
「なっ――!」
焦ったのはドロテアを捕らえていた男だ。まさか反撃されるなど考えもしなかったにちがいない。
「くっ、来るんじゃねぇ!こいつがどうなっても――」
ウィルの眼帯をしていないほうの眼には冷たい光が宿り、縮み上がるほどの恐怖を植えつける。いつもの柔らかい笑顔からは想像できぬほどの無表情だ。
「近づく――ぎゃっ」
男が蛙の潰れたような声をあげて振り上げたナイフを取り落とす。
ドロテアの視界に、赤い毛をした小猿が入った。
「ご苦労様」
「キキッ!」
まるで従者、いや仕える騎士のように返答し、小猿はウィルの肩へ飛びのった。赤毛の猿が悪党に噛みつき助けてくれたらしい。
なにも言えず見上げたドロテアを一度強く抱きしめてから、ウィルは再び形勢逆転し、震え後退る男に近づく。
「や、やめっ」
腰が抜けて立ち上がれない男を見下ろし、ウィルは唐突にしゃがみ込み――次の瞬間、男は白目を向いて倒れていた。
なにが起こったのかわからず目を見開くドロテア。立ち上がり振り返ったウィルの顔に毒気はない。
「ウィル……」
「ごめん」
ふいに謝罪し、ウィルは再度強くドロテアを抱きしめた。
目を白黒させる彼女に苦笑をもらしたあと、ウィルは真剣な表情でつづけた。
「怖い思いをさせたね……護れなくて、ごめん」
悔しさからだろうか、ウィルがぎりりと奥歯を噛みしめたのがわかった。ドロテアを抱きしめる腕にいっそう力がこもる。
(なによ……そんなこと……)
うれしかった。
けれど同時に蘇るのは、娼婦との姿。
ドロテアはなんとか涙を飲み込んで、顔をあげた。
「ウィル、正直に話してほしいの」
「うん?」
押し返すように顔を離し口をひらいたドロテアに剣呑な雰囲気を感じ取り、顔をわずかにしかめるウィル。
「あなた、他に好きな人がいるのでしょう?」
「――え?」
「相手は娼婦のきれいな人で……あ、あたしが邪魔なんでしょ」
「ちょ、ちょっと待――」
「だって見たのよ。聞いたのよ。彼女を『買いたい』って、言ったじゃない!」
キッとにらみつけた――つもりが、涙で失敗した。
ウィルは予想外のことだったのか、しばしぱくぱくと口の開け閉めを繰り返し――実に彼らしくない行為だ――やがて思い当たったのか困ったように肩をすくめた。
「ごめん、どうやら勘違いさせたみたいだ」
「かっ、勘違いなんかじゃ……」
言わせない、とでもいうように、ウィルは唐突にドロテアの唇をふさぐ。
ぱっちり目を見開き固まる彼女に苦笑をもらし、彼は再度口をひらいた。
「僕はこのこを探してたんだよ」
そう言って肩にのる赤毛の猿を示す。
小猿はふたりの口づけをどう思ったのか、両手で顔を隠しつつ、指の隙間から眼をのぞかせるという格好をしていた。なんともおかしな猿である。
ウィルの話はこうだ――
小猿は娼館にもぐり込んでしまった。ウィルが追いついたときには警備員が店のものを壊し悪戯をする猿を殺そうとしている最中であったらしい。
あわてて店の女主人――ドロテアがうら若き美人の娼婦だと思った女性はすでに三十路を越えていたという――と交渉する。
「あなたのペットじゃないのでしょ?」
それなのに庇うの、とあきれ顔で言われ、ウィルは首を振る。
「まだこどもの猿だろう、悪戯とて『かわいい』ものです」
「でもねぇ……」
「壊したものは僕が弁償する。どうか見逃してやってくれませんか」
渋っていた女主人だが、ウィルの熱意に負けたのか、苦笑をもらした。
「いいわ、手をうちましょう」
「ありがとう!」
途端に笑顔で握手に出された『手を両手で握りしめる』ウィル。
「それにしても、どうして猿なんか……」
「『運命なんだ』」
運命?と訝る女主人に頷き、やや自嘲ぎみに笑う。
「妹のような存在のこに似ていると思った……飼い主がいないなら『飼いたいんだ』」
「あらあら、そこまで大切なの?」
「『一目で』あの赤毛に『惹かれたんだ』。あのことは――スーとはもう会えないかもしれない……だから、『できれば側に』あの小猿がいてくれれば……ってね」
ウィルは苦笑し肩をすくめる。一目で赤毛が妹のような存在の少女と結びつき、懐かしくなったのだ。
「ふふ、まぁいいわ。中へ入って。小猿ちゃんを引き渡すから」
そうして無事交渉は終わり、なぜか運命的に惹かれあったひとりと一匹。
すぐに懐いた小猿とともに船に戻ろうとした矢先、不穏な気配――もとい、ウィルのドロテア・ピンチ・センサー――を察知し、駆けつけたという訳である。
話を聞き終わったドロテアはきょとんとしたあとで状況が飲み込めると、みるみる顔を赤くさせた。
真相は単純だった。とんだ勘違いだ。穴があったら入りたい。
だから気まずさを紛らわすために、わざと頬をふくらませた。
「……ふ〜ん、ウィルはあたしより小猿さんと一緒がいいのね」
「それは、」
ちがう、と言いかけたウィルの唇を、今度はドロテアが奪う。
「ごめん、嘘」
べ、と舌を出して仕返しとばかり笑ってみせる。
「ヤキモチやいたの。助けてくれてありがとう、うれしかったわ」
満面のほほえみを浮かべると、柄にもなくたじたじになるウィル。
(う〜ん、これが『きゅん』って気持ちかしら)
やっぱり好きだなぁ、と思う。ドロテアは満足げに眼を細めた。
‡・†・‡・†・‡・†・‡
それからどれほど経っただろう。
いじけるダリーのために林檎を買い、ついでにカインたちの好きな酒も手に入れ、ぶらぶらと街を歩く。
やがて人のあまり集まらない海岸で、ふたり肩を並べた。
もうすっかり夕方だ。
「ねぇ、ドロテア」
赤い夕焼けが海を染め上げていく様をながめていると、ウィルがぽつりと言葉を落とす。
なぁに、と小首を傾げるドロテアの亜麻色の髪をなで、彼は微笑した。
「妬いてくれてうれしかった」
「な、なに――」
「だけどね、僕はどうやら嫉妬深いみたい」
言うなり、彼女の髪に幾度となくキスをふらせる。そのまま「消毒」と言って、彼女の首筋に唇を寄せた。
「ひゃっ、ウィルっ」
真っ赤になったドロテアの頬を両手で包み、こつん、と額を合わせる。
「他の男に触られるのも、目に映るのも気に食わない……」
深い紫色の瞳を見つめ、短く、ついばむようなキス。
「僕は君が思ってるよりずっと君が好きなんだけど」
――わかってくれた?、と首を傾け微笑する青年に、ドロテアも困惑からやっと笑みを見せる。
「でも、あたしだって、あなたが他の人に触られるのは我慢できないわ」
――その笑顔は、自分だけに向けてほしい。
そんな我が儘は胸のうちにしまい、きゅ、とウィルの一見細身だが逞しい胸板に顔を寄せて抱き着く。
「ウィル、大好きよ」
ふたりは再度見つめあい、深いキスを――
「キキ〜ッ」
はたと固まるふたり。見れば、小猿が顔を隠しつつ指の間からこちらを見ている、例のポーズをしていた。そのまま、「どうぞつづきを!」と言わんばかりに跳びはね肩を揺する。
「ああ、タイムリミットだ」
ウィルの声に海を見やれば、馴染みの船がゆったりとこちらへやってくる。今はただの漁船と偽っているが、正真正銘、我が海賊船である。
船から仲間たちが顔を出し手を振っているのが見て取れた。
「船長ぉお〜!」
「姐さぁああん!ご無事で」
「うるせぇ、てめぇら声がでけぇ!」
「おめぇの方がでかいよ」
「ったく、ふたりとも心配させやがって」
いい仲間に恵まれたものだ。
ドロテアとウィルは目配せし、肩を揺らして笑いあった。
‡・†・‡・†・‡・†・‡
「ところで、小猿の名前は決めたの?」
「キキィ?」
「ああ、『スー』にしようと思って」
「却下」
「……」
「そんな顔をしてもだめよ」
ドロテアは、まだ会ったことのない少女に同情した。
(……猿と同じ名前なんて……)
肩を落としがっくりと落ち込む恋人に苦笑をもらしつつ、話題を変える。
「そういえば、不思議だったのだけど……」
「ん?」
「あの男の人たち、顔を真っ青にさせていたけれど、なんて言ったの?」
そう、ドロテアは聞き取れなかったが、ウィルは悪漢たちになにかささやいた様子だった。最後に関していえば、相手は白目をむいていたはずである。
「……」
「ウィル?」
「…………」
「…………ねぇ」
「………………」
「……………………」
「……秘密、だよ」
「キキッ!」
ウィルはほほえんで答えた。そしてなぜか、びしりと小猿は敬礼する。
思わず吹き出し、ドロテアは小猿の赤毛をなでた。
(あか――赤は、運命のアカ)
ひっそりと笑みをもらし、夕日を、そして色を為した海へと目を向ける。
赤は、運命の色――
ウィルは「もう赤毛の少女には会えないだろう」と言っていたが、ドロテアにはちがうという漠然とした確信があった。
(だって、赤は運命の色だもの)
きっとこの小猿――のちにティティと名づけられるのだが――が運命を引き寄せてくれるだろう。
(あたしはあなたと、ずっと一緒よ)
彼の瞳から緑が消えても、海のような深い色合いはなくなっていない。そこになかった憂いが含まれてしまっても、ドロテアはずっと傍らで支えていくつもりだ。
たとえ、重い枷に縛られたとて。
(恋の枷なんて上等だわ)
それはよろこび以外のなにものでもないのだから。
ドロテアはそっとウィルの手を握った。握り返してくれた手は強く、あたたかかった。
――ところで。
「貴様、死ぬ覚悟はできているんだろうなぁ?」
「身の程知らずが、うつくしい人魚に触れていいと思っているの?――殺すよ?」
なんて、慈悲深いといわれるウィルが、弟王子に負けず劣らずの真っ黒い笑みで脅していたなど――だれが知り得よう?
無意識に相手の男の喉仏や頭をわしづかみ、死への恐怖を与えつつ、低い声で、けれど顔には極上の笑みを張りつけて――やさしい彼の面影などどこにもない姿を、だれが信じられよう?
二重人格?いや、これはウィル本人にも無意識だ。
だから自分がはっきりなにを言ったのか覚えていないが、ドロテアには見せられない姿だなぁとはなんとなく察している。
物腰柔らかに相手を笑顔で抹殺できる元王子さまなどだれも想像できまい。
彼のこの顔を知るのは、愚かにも彼の人魚姫に手を出した輩と、それから陰で見守っていた赤毛の小猿のみだった。
(僕は君にそばにいてほしい――たとえ、重たい枷をつけたとしても)
泡になりゆく人魚姫を引き止めるため、彼はなんだってするだろう。王子という地位も、血族を示す瞳すら、彼女の前ではガラクタにすぎないのだから。
やさしい心根を持ち、柔らかい笑顔――けれどその瞳にある憂いは、彼の弟とそっくりなのだと知る者はいない。ウィル自身も含めて。
アルティニオス王子と彼が、実は似ている兄弟ということ――それを垣間見、知り得るのは、運命の赤をもつ、小猿だけなのだった。
そして、『運命の赤』が引き寄せる巡りあわせが、ふたりの間に新しい命を宿すのは……もうすこし先のお話……。
行間ちょい多めに入れてみましたが……読み難かったりしますかね?
……という疑問はさておき。
『ドロテアとウィルのあまいお話』をリクエストにいただき、書いてみました。
あまい話=ピンチを救うヒーロー→いちゃいちゃ、みたいな王道セオリーに、すぐにプロットはできて、
時間軸的にティティ絡みにしようと悩みなく決まり、じゃあ『買う』と『飼う』で勘違いで喧嘩とかしたら?とかいろいろ妄想しつつ……どうしてこうなった?!orz
執筆行為がノリにのっているときに書きはじめたためか、考えてたより膨大になってしまいました。
前半は「……あまい?え、どこがっ?!」て焦りました。
だから後半がんばってみたのですが……
わたし、らぶいの苦手なんですね、改めて知りました←
とりあえず変態さんに登場してもらったら、
なんか予想外にウィル君が怒っちゃって……
「えっ、えっ、おまえそんな奴だっけ?」
みたいな。。
そこで、ああ、ウィルもやっばりアルのお兄ちゃんなんだなーと実感(遠い目
喧嘩するかと思ってたら、ドロテアもちょっぴりツンデレ気質を漂わせはじめて、てんてこまいでした笑
今回のお話で彼らの新たな一面が見れて、わたし自身は楽しかったです。
ウィルってドロテアを溺愛してるんですね……
ちなみに
このときのウィルとドロテアは相思相愛ですが
ウィルはちょっとドロテアに申し訳ないと気兼ねしてたりしますね。
自分という枷で縛りつけてますので……
ここは本編でちらと語らせた(はず!)のですが、もしかしたらわかりにくく混乱したり違和感あるかな〜と思い解説……いらなかったですかね、すいません。
長くなりました。
ドロテアとウィル、ひいてはリアとフィリップはうちでは根強い人気のあるキャラなので(ありがとうございます!)、
こうして書けて楽しかったです。
案:2011/12
執筆:2012/01/29〜2012/02/03