砂漠の鷹華 (レオ×サイラ)
時系列的には、『サイレント・プレア』の前になります。
砂漠の鷹華 (レオ×サイラ)
~放浪の止り木~
――砂漠の鷹華
俺にとって君は高嶺の華
決して手に届かない、麗しの姫君……
いつでも
いつまでも
僕の双眼に宿る、気高き鷹――
* * *
恨んではだめよ。人を恨んではいけないわ。
恨むなら、争いを、戦争を起こす人の醜い欲を恨みなさい。
そして、愛して。
人をたくさん愛して。
いつかあなたが、他人からの愛を信じられるくらい、愛して。
* * *
だれも、なにも、いらない――。
湖面に映った、片違いの色の眼をぼんやりながめて、男はふいに顔をしかめた。まるで、今目の前にいる人物が――自分自身であるにも関わらず――憎くてたまらない、というように。
「……馬鹿が」
彼はつぶやくと、手でサッと水面をたたき、波紋を広げて自身の歪んだ顔を消した。ゆらゆらと揺れる水面にかき消えた自分自身にほくそ笑むと、男はため息とともに立ち上がる。
三日三晩、飲まず食わずで過ごしてきたためか、足元が心なしかおぼつかない。いや、もしかすれば盗賊に襲われたときに頭を打ったせいだろうか。それとも、この身体から水を奪おうとするような太陽の日照りのせいだろうか……?
彼は飛びかけた意識を保つため、足を止めてため息をこぼす。目頭を押さえ、しばらく目眩が去るのを待つ。
(……まずいな)
死ぬのかな、と一瞬いやな予感が頭をよぎった。よぎってから、それを『いやな予感』と思ってしまった自分を嘲る。
(どうせ、生に執着などないくせにね)
ハッと息を吐くと、彼は再び歩を進めた。足場が悪い。足裏の砂がサラサラと流れて、すぐにでも弱った足腰が崩れてしまいそうだ。情けない、と思いながらも、どうしようもない。疲れはピークに達していたのだから。
三日前、うつくしい湖で休憩をとり、砂漠へ入った。まさか、三日歩きつづけても終わりがないとは。果てしない砂の道程に、男はついに天を仰いで額の汗をぬぐった。
遠出の許可が出てから、彼ははじめお供を連れて他国を見て回っていた。しかし、やがて彼は従者を振り切り、撒くようにして、ひとり旅を決意したのだった。
自由が欲しかったのかもしれない。だれにも邪魔されない、ひとりの時間が欲しかったのかもしれない。
それに、自信はあった。ひょろりとしてはいるが、これでも彼は剣の腕には自信があるほうだ。自他共に認める腕前だ。だが。
(現実はあまくない)
たとえ、どれほど剣の稽古を受けようと、実戦で使えなければ意味がない。まして盗賊のような、それこそ自由奔放な野蛮な剣や攻撃をひとりで受けることは容易ではなかった。
彼は襲われて金目のものはすべて奪われてしまった。幸い、この日照りをよけるマントを残してくれたことだけが救いであった。もともと羽織っていた上等なマントは略奪されたものの、ボロでも着れるものがあるというのはよいことだと、半ばあきらめるような気持ちで彼は思った。
視界がぼやける。暑さで立っていることすらままならない。もう、無理かもしれない――。
死ぬことは怖くはない。むしろ、生きるほうが怖い。
ふらつく足。ついに彼は、意識を手放した。
* * *
頬に触れる、心地よい冷たさに、彼はそっと目をあけた。
(……てんし……?)
まだきちんと定まらない視界に、宝石のような――いや、むしろそんな人工的なうつくしさではない、自然的なうつくしさを持つ――瞳が映る。トパーズを思わせる、人を惹きつける色が、そっとうるんでいるような気がした。
彼――レオは力の入らない腕をなんとか動かし、その瞳に触れようとする。もし、この宝石をつかむことができれば、きっと自由になれる……そんな不思議な確信が胸に迫っていた。
しかし、彼の手はトパーズに届くまえに、やわらかなものによって阻止された。
「ご気分はいかが」
きゅっと握られた手にぬくもりを感じる。ゆれる川の流れのような声音が、自分に向けられたものだと気づくのに数秒かかった。
ハッキリと意識を取り戻すと同時に勢いよく起き上がる。頭は真っ白で、ただ驚きに支配されていた。
自分は死んだはずだと、そう思っていたのに、生きていた。なぜ。ここはどこだ。
彼の行動に、一瞬目を見開いた彼女であったが、すぐにかすかな笑みを見せる。
「さすが野蛮人。威勢がいいのね」
ハッとして、レオは彼女をまじまじと見つめる。高い鼻、きりりと凛とした眉の、整った顔立ちの女性だ。クリーム色の髪をひとつに結い、今は微笑を浮かべてこちらを見ている。とてもではないが、彼女が今自分を小馬鹿にしたような発言をしたとは信じられなかった。
「……今の、俺に言ったわけ?」
レオはまじまじと彼女を見つめたまま尋ねる。こういう反応の相手ははじめてで、いささか怒りよりも好奇心のほうが強かったのは事実だ。
彼女は肩をすくめると、さらに馬鹿にしたように軽く笑った。
「そなた以外にだれがいるって言うの?」
そうして、きょとんとしているレオに構わず立ち上がると、くるりと踵をかえした。
「拾ってしまったからには、体調が良くなるまで世話してあげる……感謝しなさい、野蛮人の男の子」
くすり、と最後に笑った彼女に、なぜか惹かれた。
いまだ手に残るあたたかなぬくもりを探すように目を落として、しばらく、レオは動けなかった。
* * *
「サイラ!」
太陽がぎらぎらと輝く天。手を振る向こうにいる彼女は、すこし顔をしかめて振り返った。
「レオ、声が大きい」
「いいじゃん。だれも聞いてないって」
足をとめた彼女に追いつき様、レオはくすりと笑って彼女のクリーム色の、絹糸のような髪にキスを落とす。首をすくめ、サイラはため息を呑みこんだような表情をした。
「わらわは、一応姫なのだけれど? わかっていて?」
「もちろん。もしだれかに狙われたら、助けてあげる」
だから心配しないで、とささやき、レオは名残惜しそうに彼女の髪から手を離した。
彼女――サイラに拾われて、一週間。彼にとってはすばらしい日々のはじまりだった。
砂漠の王宮・シラヴィンド。主に内乱であるが争いの絶えぬ不毛の土地とされており、他国からは嫌煙されがちであるが、レオにとっては楽園だった。
城下にある小屋を借りてレオは生活をしていた。ときどき城から抜け出しやってくるお姫さまを待ちながら過ごす日々は、思いの外快適だったのだ。
シラヴィンドの第一王女・サイラ。彼女の父が今の国王であり、失脚を狙っているのが時の大臣であり、王の座を狙っているのが実の妹であり……と、彼女の周りは安定しているとは言い難い。
サイラに男兄弟はなく、妹のソフィアという少女がいるだけだ。ソフィアには大きな後ろ盾はないが、大臣が手を組もうとしているほか、彼女のそばにはいつも騎士のヴォルトという男がいた。彼は剣の腕前は国一で、軍の多くの力ある若者があこがれ、彼の下についているらしい。長女ゆえに、第一継承権を確固たるものとしているのはサイラだが、周囲の力の大きさから、大臣がソフィアに目をつけており、今やサイラの地位も危ぶまれている。
城ではさぞかし窮屈な生活を強いられているにちがいない。城下でお供もつけずぶらついているほうが、城のなかにいるよりよっぽど安全だとこぼしていたくらいだ。
レオはそんな彼女の癒しになりたいと思った。こんなに心ひかれ、興味のわく対象ははじめてだったから。
(砂漠の太陽の熱にでも浮かされたか……)
いまだぎらつく太陽。トパーズ色の瞳を求めて彼女のあとを追う。そんな自分に苦笑しながら、レオは思うのだった。
蛮族の土地――そう揶揄されているシラヴィンドであるが、本国からすれば周囲の国が『野蛮な国』なのであるのだとか。
たしかに、シラヴィンドは内乱の絶えない国である。だれが権力をもつかで荒れ、争いはとめどない。しかし、皮肉なことにそのお陰か他国へ侵略する、という考えがなかった。故に、すぐに領土を広げたがる周囲の国のほうが野蛮だというのだ。
特に、近年力をつけてきたメディルサや、大国でありながら平定より攻めを好む前国王の影響のあるカスパルニアなどは『野蛮な国』の代表なのである。
そんなわけで、蛮族の国の姫であるサイラに『野蛮人』と言われるレオは、不満はあっても言いかえすことができずにいた。
はじめ、サイラはつんけんとしてレオの談笑に応えようとはしなかった。怪我の手当てや万全になるまでの世話はしてやるが、それはあくまで姫さまの『暇つぶし』であり、お情けなのだ。
けれど、三日が過ぎたころからだろうか。レオの人懐こい笑みと過度なスキンシップに、とうとうサイラも返事をかえすようになった。というよりも、応じなければ手当たり次第に触られるので他にどうしようもなかった、というのがサイラの本音である。
一週間が過ぎれば、互いのこともそれとなく知れた。
サイラは国の王女。そして、レオはメディルサの王子。
「どうしてそなたは、王子のくせに放浪できるんだ」
ある日、いつものように城からくすねてきた焼き菓子を広げて、サイラが問うてきた。
「わらわの祖は遊牧民と聞いている……それなのに、今では同じ場所にとどまり旅などしたことがない。そなたばかり、ずるい」
「俺ンとこは弟がいるからね。俺のほうが弟ならよかったけどさ、ほら、お兄チャンはいろいろ期待されちゃうだろ?」
ぽい、とひとつ菓子を口へ放り込み、咀嚼しながら答える。あまい味のあとに、独特の苦みが広がる。
「王位継承の火種にならないためにもってこと? 随分弟想いなのね」
「そんなんじゃないよ……」
レオは口のなかでもごもごと答え、視線をそらす。
そんなんじゃない――ただ、自分はちゃんとした『王子』とは呼べない。いわば『罪の子』なのだ。
愛し合ってはいけないふたりの間に生まれ、死に損ないの運命を拾われたにすぎないのだから。
だから。
「わらわは妹とあまり話したことはない。幼いころはいつもそばにいたが、口をきいてはくれなかった」
ぽつり、と唐突にサイラはこぼす。
「そなたが羨ましいよ」
「サイラ……」
沈黙がおりた。
どれくらいたっただろう、唐突に、サイラが言った。
「わらわ、明日から幽閉されるんだ」
無意識に口を閉ざし、思いつめていたレオに向かって、明るすぎる声で彼女は言ったのだ。
「は……え、は?」
「だから、もう会えない」
思わずぎょっとして顔をあげれば、まっすぐにこちらを見つめるトパーズとかちあう。そんな些細なことにさえ心臓は反応するのに、もう会えないとは何事か。
「城から抜け出しているのがバレちゃったから。わらわは鳥籠のお姫さまなの」
にっこりと、きれいに彼女は笑った。
「さようなら――自由な、王子さま」
* * *
人なんて、きらいだ。
だってみんな自分勝手なんだ。
やさしさを素直に受け取ることができない。その裏になにがあるのかを想像し、怯える自分を誤魔化すために笑顔を重ねて拒絶するのだ。
だってそうしなければ、生きていけないから。
サイラと別れ、レオは人通りの少ない路地へ入り、しばらく行って空き地へとたどり着いた。そこに腰を下ろす。
サイラが『飛べないカナリア』と呼ばれているのを知っていた。王位継承を守るためだと城に軟禁され、いいように使われていることも。
旅をしてシラヴィンドの国境へ近付けば、そんな噂はどんどん入ってきたから。
争いの国、野蛮な国――そんな国に住まう姫は、どれほど欲にまみれ汚れた瞳をしているのだろう……。
そんなことをチラと考えながら、シラヴィンドの国境を渡ってきた。
けれど、実際目の当たりにした彼女のなんとまっすぐでうつくしいことか。
(汚れなんて、ひとつもなかった……)
腕で目を隠し、仰向けになってレオは想いを馳せる。砂漠の国の夜風は、凍えるほど寒い。
たしかに、メディルサもカスパルニアも、『野蛮な国』だ。その歴史は血にまみれ、女は政治の道具でしかなかった。レオの母親も、国のためにカスパルニアへ嫁いだと、そう聞かされてきた。
愛することが怖かった。
腹違いの弟のまっすぐなまなざしが、継母の柔らかい笑みが、すべてすべて偽物のように思えて。
ちがうとわかっているのに、どうしても受け入れたくなかった。恨むほうが楽だった。
父には――無関心を貫いて、その実心から恨んでいた。
母はどうなった。俺を生んで、国を去り、ひとりではないか!
人間がきらいだ。
取り入ろうとする。権力に近づこうとする。弟と争わせようとする。
きらいだ、きらいだ、きらいだ。
(結局、俺はあまえただったワケだ)
ごろんと寝返りをうつ。
遠ざけようとしながら、完全に切り放つことなどできなかった。
「レオン」
舞い降りてきた青い鳥に腕を伸ばす。身を起し、壁に背を預けた。そうして脚に括りつけられていた紙を取り外し、中をさっと読む。
今、レオには情報がある。
サイラの妹が、彼女を亡き者にしようと計画を立てているらしい、という旨だ。幽閉は、そのための口実か。
知っているのは自分だけ。そして今、自分は遠ざけようとした弟に頼ろうとしている。
レオは懐から紙とインクを取り出し、走り書きをして再び青い鳥の脚へ括りつけた。
(サイラ……)
君が飛べないというのならば、代わりに俺が空を見よう。嗅いだ匂いと、感じた気配と、聴いた音を君へ伝えよう。
空へと飛び立つ青い鳥。レオは立ち上がり、ぐんと伸びをした。
弟への手紙には、『あとは任せた』とだけ書きしるした。それだけでよかった。それだけが支えだった。
自分が死んでも、自分になにかあっても、弟がいるから大丈夫――そう思えることは、すでに彼を頼っていることなのだから。
* * *
牢屋ごしの再会は、なんとも間抜けなものだった。驚愕と、そして呆れ果てた表情をしたサイラがこちらを見つめてくる。
「もう……まったく……馬鹿はきらいよ」
「でも、逢いたかったし」
肩をすくめレオは言い切る。どこか清々しい気さえした。
レオはサイラが幽閉されてしばし経ったころ、単身王宮に忍び込んだ。そして、眠る男――王位を争おうとするサイラの妹・ソフィアを亡き者にしようとしたのだが。
もう少しというところで姫のピンチに駆けつけたヴォルド騎士により武器をはじかれた。そのまま衛兵に取り押さえられ、レオは投獄させられたのだ。
その場で首を切られてもおかしくはなかったのだが、他ならぬソフィアが殺しをよしとはしなかった。そのため嫌疑にかけられるという。
レオは首を捻る。話、というか噂に聞いていたソフィアの印象ともちがう。それに、騎士ヴォルドは後ろ盾というよりも――
(あれは恋仲に近い。なにか、裏がありそうだ)
そう考え、さて、ウルフォンが動き出すまでどうしようかとお気楽なほどのんびりしていたところへ、幽閉されていたはずのサイラがやってきたのである。
聞けば、明け方近くにヴォルドに連れられたサイラがやってきて、レオの存在を告げたのだとか。
サイラ本人も面喰っていたが、やはりソフィアは王位を狙っているわけではないのではないか?
「うん、きっとそうだ。俺がこの黒幕を暴いてやるよ」
レオがにやりと不敵に笑う。
逃げるわけにはいかない。己が自由なれば、鳥籠の彼女ごと自由になりたい。
(だって俺は――)
サイラははぁ、とため息をついて、がちゃりと牢屋の鍵をあける。
「はやく逃げて。捕まったら、もう二度と自由になれないのよ?」
その瞳をじっと見つめかえす。レオは、ぼんやりしたまなざしのまま、ほとんどつぶやくように口をひらいた。
「もう、捕まっているよ」
――君に。
がしり、と華奢な彼女の手首をつかむ。絶対に、離さない。見失わないように。
・~・~・~・
やはり黒幕は大臣で、ソフィアはサイラにあこがれなかなか話し出せないでいたとか、王位継承権などいらないのだと主張したとか、またヴォルドとは実は恋仲であったとか……
このあとレオを偶然助けてしまった男がとある国の第一王子だったり、友情を深めたり、ウルフォンのブラコンっぷりを再確認するのは……また別の話。
ただ。
「あんたを引きとめることはできない。だけど待っててあげるから」
そう言ってくれた彼女のもとへ戻り、数年後、家族となるのも、また別の話である。
あとがき
ずいぶん前に書き残しておりました。
2010年7月3日と、メモがしてありましたので、およそ二年ほど前に書きはじめ…なかなかまとめられず、放置してたんですね。
結局、最後まで書くと本当に連載ものなみになりそうだったので、ここで切らせていただきました。
いつか余裕(というか余力)があれば、つづきとか書いてみたいです。
サイラとレオの出逢いですが、
レオの荒れていた、というかスレていた当初だったので、
わたしとしてはとても大好きな時代の彼です!(ぇ)
アルもそうですが、レオだってとっても大きな闇を抱えた少年だったはず。
なので、本当はもっともっと掘り下げたかったんですが…
サイラとヴォルドも、サイラ同様に本編登場以前からこのように考えていたキャラでしたので。
もう二年も進んでいないし、と思いまして、断念。
もっと書きたいことあるんですがねー、うう。
スレたレオはアルにほどよく似ております(笑
楽しかったです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。