赤毛の女
部屋には気化した薬と、官能的な香で満たされていた。
床は、かなり厚みのある、透明な緩衝材で覆われていて、薬の効果と相まって、まるで雲の上のようだ。
薬のせいで、朦朧とするのに、なぜか触感は研ぎ澄まされた感じがする。
柔らかな緩衝材に体を預け、目を閉じると、とても幸福な気分になる。
「冷たいのね」
横に佇む赤毛の女がアダムに問いかける。
「何が?」
「あんたの手よ」
あぁ、そう言いながら、さりげなく重ねられた手を払いのけると、女が手にしている金属製の飲み物入れを奪いとった。
「何すんのよ」
気の強そうな言い方を物ともせず、アダムは女の目の前で手中の物を握り潰す。
厚紙で出来ているかのようにみるみる潰れる入れ物を見て、女はあっけにとられている。
その様子を見てアダムは満足げに目を閉じる。
「惚れた?」
アダムは柔らかい女の肌にもたれかかる。
「そうね」
そういいながら、女は母親が子供にするように、体を撫でてくる。
女の手が、アダムの丁度肘の少し上のあたりでぴたりと止まる。
そして、その指先が、一定の場所を不思議そうに調べ始める。
「ここから下は冷たい、だけどここから上は暖かい・・・」
見た目の割に馬鹿な女ではなかったのが幸いだった。
女は、義手なの?とか手をなくしたの?とかいう質問を一切してこなかったから。
しかし、どう見ても継ぎ目のない一枚の皮膚を不思議そうに撫でている。
暖かい所と冷たい所の境目の、神経線維のほんの僅かな入力ミスから生まれる違和感が、アダムにあの日の痛みを思い出させる。
今は過去となったその記憶と、その痛みから救ってくれた兄の事を思い出して、アダムはほんの少しだけ切なそうな笑みを浮かべた。
「ねぇ、なんか外が騒がしいわ」
「あ?ほっとけよ」
そういうアダムの耳にも、先ほどから叫び声や低い大きな声が届いていた。
「またあの占い師」
「占い師?」
「なんか、ちょっといかれちゃってんのよ。そいつ。まあよく占いは当たるらしいけど」
「ふぅん」
アダムはなぜか嫌な予感がして、女のクッションから身を起こした。
「あッ、いっちゃうのォ」
そう言う赤毛の女を残して、アダムはドアへと向かう。
ドアから出て、騒ぎの方へ目を向けると、初に目に飛び込んできたのはイシュレの後ろ姿だった。
そして、その背後に、緑のマントをまとった老婆の姿。
しかしその姿は少々奇怪だ。
禿げた頭から、皮膚から、瞳まで、血が通っていないように真っ白だ。
足がないのか、それとも使い物にならないのか、地面を這いながらこちらに向かってくる。
「そいつは世界に禍をもたらすゥゥゥ」
叫ぶ老婆を横目で見ながら、アダムは背後からイシュレの腕をつかんだ。
腕をつかまれびくっと反応したイシュレは、アダムを見て安堵の表情を浮かべた。
「何してんだよ」
「別になにもしてないわ」
「あきれるぜ、じゃぁこの状況を説明しろよったく」
小部屋からは、多くの野次馬の顔が覗いている。
しかし老婆は床を這いながら叫ぶ事をやめない。
「だれかそいつをつかまえろォォォ」
「行くぞ」
足早に階段に向かうアダムにイシュレも続く。
イシュレは老婆が視界から消える前に、一回だけ後ろを振り返った。
瞳の無い眼と目が合うと、老婆は再び叫んだ。
「そいつが片れに出会ってしまう前にィィィ」