命の恩人
イシュレは光るパネルを操作する事を、ついにあきらめた。
長い格闘の末理解できたのは、ライトの操作と武器庫のドアの開閉の操作方法くらいだった。
でも武器庫は使えそうね、イシュレはそう思い、武器庫の方へと歩み寄ろうとした。
しかしその途中、操縦桿のフロントガラスから見える、外の景色に目を奪われた。
水が豊かな星なのだろう、隆起に富んだ台地が緑で覆われている。
その台地から、地肌をむき出しにした塔のような形の山が、ぽつん、ぽつん、と天を目指しそびえたつ。
イシュレは、木々の中の吹き抜けてきた風の音を、匂いを、想像した。
とたんに、外にたまらなく出てみたくなった。
そう思った瞬間、足はもうドアへと向かっていた。
後ろでドアが閉まるのと同時にスロープが少しずつ下がり始める。
スロープが完全に地面に届く前に、イシュレは地面に飛び降りた。
ふさふさとした草がその衝撃を和らげる。
久しぶりの新鮮な空気にイシュレの心は躍っていたが、素早く辺りを見回した。
危険――――あの得体のしれない二人の男の姿――――がどこにもない事を悟ると、イシュレは大きく深呼吸した。
一年ぶりの清らかな空気に、体のなかから浄化されてゆくような感覚を覚えた。
しっとりと湿気を含んでいる生暖かい風を、イシュレはその場に立ちつくしながら、いつまでもいつまでも味わい続けた。
暫くして、興奮の波が過ぎ去ると、今度は不安の波が押し寄せて来た。
あの二人は後どれ位で帰ってくるのだろうか、それまでに、取引を有利に進める作戦を考えなくては。
それにしても……イシュレは考える。二人はどこに行ったのだろう。
船が着地した場所は、険しい崖か、切り立った岩肌に四方を囲まれている。
後方の岩肌を見やると、地面に近い場所にある鼠色のドアが目につく。
周囲の景色から浮いているそのドアにイシュレは近づいた。
人一人が通れる大きさのそのドアに刻んである字を良く見ようと近づいた瞬間、ドアがシューという音を立てて開く。
イシュレは驚いて、反射的に身をのけ反らせた。
中は真っ暗だった。
洞窟だろうか、イシュレは思った。
しかし、かすかな風にのってただようたくさんの人間の匂いを、イシュレは一瞬で捉えていた。
ここにいる事はほぼ間違いなさそうね、そう思い、身のけ反らせた瞬間閉じてしまったドアに再び近づいた。
ドアが開いた瞬間、驚くべき事が起こった。
「イシュレ!叫べ!」
良い耳に、かすかに届いたその声はイシュレを困惑させた。
中を覗きこんだ姿勢で固まったまま、イシュレはどうすべきかを考えた。
今しがた気付いたが、洞窟の中からは動物達の死骸の匂いがする。
声の主はアダムだろうか。
その可能性は高いが、確証は持てなかった。
「‐‐‐‐‐‐」
再度聞こえた声は、意味をなさなかった。
別の方を向いてしゃべっているのだろうか、反響としてとしか捉えられない。
「私はここよ!」
イシュレは反射的に叫んでいた。
それから暫く何も物音がしなかった。
やがて微かな足音が聞こえ始めたころ、遠くでアダムが言った。
「こっちであってるか?」
「えぇ」
イシュレはそう言いながら、微かな後悔の念を感じていた。
まだ取引を有利に進める準備がととのっていない。
しかし、出口に近づいてくる険しいアダムの形相を見て、その思いは消えていった。
二人がいなかったらそもそも船を飛ばせない。