第8話「マナー講座の聖女」
【Side: Mia】
ホームルーム終了後の教室。 教師が出て行った後も、誰一人として席を立つことができなかった。 重い沈黙。恐怖の余韻。 エリザベート様が去った後も、彼女が残した冷たい空気が教室を支配していた。
(怖かった……。エリザベート様、本気で怒ってた……)
私は自分の席で、震える手を膝の上で握りしめていた。 先ほどの演説は、明らかにクラス全体への宣戦布告だった。 特に最後に私に向けられた「身分の低い者」という言葉。あれは、私に対する明確な拒絶と攻撃だ。 やはり彼女は『無印』の悪役令嬢。私を孤立させ、精神的に追い詰めようとしているのだ。
しかし。 私のもう一つの人格──前世の社会人としての理性が、別の解釈を囁いていた。
(でも……言ってることは全部、ぐうの音も出ないほどの正論なのよね)
姿勢の悪さ、無駄口、身だしなみの乱れ。 彼女が指摘したことは、どれも貴族として、学生として守るべき最低限のマナーだ。 単なるいじめなら、もっと理不尽な難癖をつけるはずだ。「髪の色が気に入らない」とか「呼吸がうるさい」とか。 なぜ彼女は、わざわざ「正しいこと」を言って嫌われようとするのか?
その時、先ほどリボンの歪みを指摘されたクラスメートの女の子が、シクシクと泣き出した。 「うう、私、貴族失格なのかも……。お父様に申し訳ない……」 周囲の生徒たちも、「あんな言い方しなくても」「でも、図星だし……」「やっぱり公爵家の人は怖いわ」と動揺している。 このままではクラスの雰囲気が最悪になり、バッドエンドへのフラグ(学級崩壊)が立ってしまうかもしれない。
(私がなんとかしなきゃ。……それに、彼女のあの態度には、裏がある気がする)
私は席を立ち、泣いている女の子の元へ歩み寄った。
「大丈夫? エリザベート様は、少し言い方が厳しかったけれど……」
「うう、ミアさん……。私、怖くて……」
「怖がらなくていいのよ。きっと彼女は、私たちに『ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)』を説いてくださったのよ」
私は努めて明るい声で言った。 クラスメートたちが顔を上げる。
「彼女は自分にも厳しい人だわ。だからこそ、私たちにも同じ高み(レベル)を求めているのよ。ほら、『上に立つ者は完璧であれ』って、私たちへの期待の裏返しにも聞こえない?」
「き、期待……?」
「そうよ。どうでもいい相手なら、あんなに熱心に注意したりしないわ。無視すればいいだけだもの。彼女は、私たちが恥をかかないように、あえて悪役を買って出て注意してくれたのよ」
そう言っている自分自身には、半分も信じていなかった。 あの冷たい目は、間違いなく軽蔑の色だったからだ。 でも、そう解釈しなければ、彼女の行動があまりにも「無意味に敵を作る自殺行為」に見えてしまう。 それに、彼女を悪者にしてしまえば、彼女の精神状態(魔女化の進行)が悪化するだけだ。 彼女が世界に拒絶されるのを防ぐためには、私が翻訳機になるしかない。
(敵の行動を好意的に解釈して、周囲のヘイトを下げる。これも生存戦略の一つよ)
私の苦しい解説を聞いて、クラスメートたちの顔色が少しずつ変わっていく。
「確かに……言われてみれば、筋は通っていたな」
「俺たちのためを思って、あえて厳しい言葉を……?」
「そういえば、リボンの結び方を直したら、すごく綺麗に見えるようになったわ」
「やっぱり、公爵家の方の視座は高いのね」
教室の空気が、「恐怖」から「畏敬」へと微妙にシフトしていく。 「エリザベート様、厳しいけど凄い人なのかも……」「誤解していたかもしれない」 そんな囁きが聞こえ始める。
よし、空気は変わった。 私はホッと息をつき、教室の出口を見つめた。 あんなに正しく、あんなに強いのに、なぜあなたは破滅への道を突き進むの? やはり、それが『無印』の悪役としての宿命なの?
(不器用な人。……でも、貴女が作った敵は、私が全部味方に変えてみせます)
それが、私にできる唯一の抵抗であり、彼女へのエールなのだから。
そして発動する、ヒロイン・ミアの恐るべき「超解釈」フィルター!
エリザベートの冷酷なダメ出しが、みるみるうちに「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」という美談に翻訳されていきます。
悪役になるためにわざわざヘイトを集めたのに、ミアの謎のフォローによってクラスメートの好感度が上がってしまいました。エリザベートの苦労(?)は一体……。




