第6話「支える手」
【Side: Mia】
私の視界は、スローモーションの映像を見ているかのように引き伸ばされていた。
食堂の喧騒が一瞬にして遠ざかる。 エリザベート様がよろめき、その顔色が白を通り越して土気色に変わるのを、私は目撃していた。 彼女の動きには、意地悪をする人間特有の「力み」や「攻撃の予備動作」が一切なかった。 あるのは、生命維持さえ困難な者が、最後の力を振り絞って立ち上がった時のような、頼りない「揺らぎ」だけ。
そして、彼女が口元を押さえた白いハンカチの隙間から、鮮烈な「赤」が滴り落ちた。
「……平民の匂いがして……」
その言葉は、私の脳内ですぐさま翻訳された。 嫌味? 違う。 『(平民の私が持つ聖なる魔力に当てられて)同じ空気を吸うだけで……(瘴気を持つ私の体が)拒絶反応を起こして吐き気がします』
「……喀血……!?」
『無印』確定の、最悪な証拠だ。 心臓が早鐘を打つ。 あれは単なる嫌がらせの演技ではない。ましてや、『真実版』の人柱としてのSOSですらない。 あれは、『無印版』の設定資料集に小さく書かれていた、「悪役令嬢が体内の瘴気を制御できずに自滅する際の初期症状」そのものだ。
彼女は私を憎み、攻撃しようとして立ち上がり、その憎悪の反動(魔力暴走)で自らの内臓を傷つけ、血を吐いたのだ。 なんてこと。彼女は本当に、自分の命を削ってまで私を排除しようとする「敵」なのだ。
(コード・ブルー! 呼吸停止の可能性あり! 気道確保急げ!)
しかし、思考するより先に、前世で培った看護師としての身体が勝手に動いていた。 敵だから見捨てる? そんな選択肢は、私の辞書にはない。 ここで彼女が死ねば、制御を失った瘴気が撒き散らされ、世界は終わる(バッドエンド)。 それに何より──目の前で苦しむ患者(たとえそれが私を殺そうとする人間であっても)を放置するなど、私の倫理観が許さない!
「お姉様ッ!!」
私は持っていた自分のお盆を放り投げた。 ガシャン、と派手な音がして食器が砕け散り、シチューが床にぶちまけられる。 だが、そんなものはどうでもいい。 今の最優先事項(トリアージ・タグ:赤)は、目の前で崩れ落ちようとしている命だ。
私は床を滑り込むようにしてダッシュし、倒れかかったエリザベート様の体を受け止めた。
「!?」
エリザベート様がカッと目を見開き、何かを言おうとする。 充血した瞳。脂汗の浮いた額。 その目は殺意と混乱がないまぜになり、焦点が定まっていない。 敵意。明確な拒絶。 それでも、私は彼女の口元を(汚れることも厭わず)ハンカチの上から強く押さえた。
「喋らないで! 傷が開きます!」
「むぐっ!?」
「呼吸を確保します! 吸って、吐いて! 誰か! 担架を! いいえ、私が運びます!」
私は火事場の馬鹿力で、自分より背の高い公爵令嬢を抱きかかえた。 その瞬間、私は息を呑んだ。 軽い。 ドレスのボリュームで分からなかったけれど、彼女の体は驚くほど華奢で、骨と皮だけのような感触だった。 まるで、燃え尽きる寸前の蝋燭のような軽さ。 こんなボロボロの体で、彼女は一人で「悪役」を演じ、世界の破滅を背負っていたというの? 私への憎悪を燃やして、自滅するまで自分を追い込んでいたというの?
「もう大丈夫です……私がついていますから……!」
涙が溢れてくる。 私の手からは、無意識のうちに聖女の力が溢れ出し、温かな光となってエリザベート様を包み込んでいく。 敵を癒やす矛盾。しかし、今は生かさなければならない。
腕の中で、彼女が真っ赤な顔で暴れ始めた。 手足をバタつかせ、必死に私を引き剥がそうとしている。 その目は泳ぎ、口からは「離しなさい!」「何なの!」といった錯乱した言葉が漏れている。 聖女の浄化に対する、悪しき魂の拒絶反応だ。回復魔法が効けば効くほど、彼女の中の魔女の人格が苦しんでいるに違いない。
「痛いのですね、苦しいのですね……!」
私はさらに強く抱きしめた。 絶対に離さない。ここで離したら、彼女はまた一人で血を吐いて死んでしまう。
食堂中の生徒が、ざわめきと共に奇妙な感動に包まれていく気配を感じる。 悪意を持って倒れた悪役令嬢と、それを慈悲深く支える聖女。 彼らの目には、私が汚れを厭わず敵対者を救おうとする「聖女の鑑」のように映っているかもしれない。 でも、そんなことはどうでもいい。
「……離せ……!」
「離しません! 絶対に!」
「違うの……私は……!」
「分かっています! 貴女はそれほどまでに私を憎んでいるのですね!」
会話が噛み合わない。彼女は必死に何かを訴えようとしているが、魔力暴走による言語障害が出ているのかもしれない。 でも、その拒絶の意志だけは痛いほど伝わってくる。
(彼女は敵だ。私の命を狙う、無印版のラスボスだ)
私は確信した。 だからこそ──絶対に私の目の前で死なせたりはしない。 貴女が死ぬ時は、私が正しく世界を救う方法を見つけた時だけだ。 それまでは、何が何でも、意地でも生かして見せる。
「今日から私が、貴女の体調管理を徹底します。拒否権はありませんから」
私の腕の中で暴れる「患者」を見下ろしながら、私は静かに、しかし力強く宣言した。 これはもはや聖女の慈悲ではない。敵(患者)を絶対に死なせないための、私の戦争なのだ。
エリザベート渾身の(?)喀血に対し、元看護師のトリアージが爆速で発動!
血糊と薬の副作用で倒れただけのエリザベートですが、ミアの目には「魔力暴走で自滅しかかっている重篤患者」にしか見えていません。
絶対に死刑になりたい令嬢と、絶対に死なせないナース。
ここから、恐怖の「24時間バイタルチェック(監視)」という名の過保護が始まります……!
※「このすれ違い、最高!」「ミアの行動力がヤバい(笑)」と思っていただけましたら、ぜひ下部の☆☆☆から評価をお願いいたします!




