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第32話「処刑の準備」

【Side: Mia】

 圧倒的な光景だった。 視界を埋め尽くしていた魔物の群れが、一瞬にして消滅した。 神聖な光による浄化ではない。 深く、重く、そしてどこか悲しい色をした「闇」による蹂躙。


 その中心に立つエリザベート様は、この世のものとは思えないほど美しく、そして恐ろしかった。 燃えるような赤髪が風に舞い、その背中からは黒いオーラが立ち上っている。 彼女は、たった一撃で戦況を覆した。 私では到底敵わないような力を、息をするように振るってみせた。


「どう? 怖かったでしょう? これが私の本性よ」


 彼女が私を見て笑った。 その笑顔は、かつて教室で見せた「ドヤ顔」とは違う。 引きつり、歪み、まるで泣き出す寸前のように見えた。 勝利の歓喜など微塵もない。あるのは、深い疲労と、何かを耐え忍ぶような苦悶の色。


(……ああ、やっぱり)


 私の胸に、すとんと納得が落ちてくる。 彼女のあの力。あれは、人間が扱える領域を超えている。 『真実版』の設定にある「魔王の封印から漏れ出る力」そのものだ。 彼女は今、自分の意思で魔法を使っているのではない。 体内の「魔女の人格システム」が暴走し、彼女の体を乗っ取って力を振るっているのだ。


『貴女なんて、指先一つで捻り潰せるのよ』


 その言葉も、私に対する脅しではない。 「近づくな。近づいたら、私が貴女を殺してしまう」という、彼女本来の人格からの、血を吐くような警告だ。 彼女は、魔女に乗っ取られたこの手で私を傷つけないように、必死に理性で抑え込んでいるのだ。


(限界なんだわ……)


 彼女の肩が、小刻みに揺れているのが見える。 杖を持つ手が白くなるほど強く握りしめられている。 あれだけの魔法を使ったのだ。魔力回路は焼き切れ、体への負担は計り知れないはずだ。 彼女は今、必死に踏ん張っている。 私が逃げる時間を稼ぐために。あるいは、完全に魔女に乗っ取られる前に、自分を終わらせるために。


(私が……楽にしてあげなきゃ)


 私は震える手で、自分の杖を握り直した。 逃げる? 隠れる? そんなことはできない。 彼女がたった一人で、あんな強大な闇と戦っているのに、私だけが安全な場所にいるなんて許されない。 もしここで私が逃げたら、彼女は完全に闇に飲まれてしまう。


 私はゆっくりと立ち上がった。 足がすくむ。恐怖で膝が笑う。 あの闇に触れれば、私も無事では済まないかもしれない。 でも、私は「聖女」だ。 傷ついた人を救い、病める魂を癒やすのが私の役目だ。 トリアージの結果は出ている。 最優先治療対象(カテゴリーI)は、目の前のエリザベート様だ。


「……エリザベート様」


 私は静かに呼びかけた。 彼女がビクリと反応する。


「ごめんなさい。……今まで、気づいてあげられなくて」


 私は杖の先端を、彼女に向けた。 攻撃魔法ではない。 私が使える最大出力の『聖なる封印ホーリー・バインド』と『精神浄化マインド・クリア』の複合魔法だ。 これで彼女の動きを物理的に拘束し、暴走する魔女の人格を強制的に沈静化させる。 彼女にとっては苦しい処置かもしれない。人格を否定されるような苦痛を伴うかもしれない。 でも、こうするしかない。


「ひっ……!」


 エリザベート様が、私の杖を見て息を呑んだ。 その瞳に「恐怖」が浮かぶのが見えた。 そうよね。今の貴女(魔女の人格)にとって、私の聖魔法は毒そのもの。 排除される恐怖を感じているのね。


(でも、やります。貴女を救うために、私は鬼になります)


 私は涙をこらえ、魔力を練り上げた。 彼女を殺すのではない。彼女の中の「悪夢」だけを殺すのだ。 「世界のために消えてください」とは言わない。 「世界のために、私の腕の中で大人しくなってください」


「いきます……ッ!」


 私は、覚悟と共に一歩を踏み出した。 その一歩が、私たちの運命を決定的に変えることになると信じて。


【運命の分岐点シナリオ・フラグ「迷宮の暴走ダンジョン・パニック」──終了】


圧倒的な闇魔法を見せつけられたミア視点です。

「彼女はついに魔女に乗っ取られてしまった。私を傷つけないように警告してくれているんだわ……!」

エリザベートの不器用なドヤ顔を「泣き出す寸前の苦悶の表情」と誤認し、ついにミアが杖を構えます。

「私が彼女を拘束して、魔女の人格を沈静化させる!」

悪役として倒されたい令嬢と、魔女から彼女を救い出したい聖女。二人の覚悟が激突する直前……!

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