第3話「漆黒の招待状」
【Side: Elizabeth】
入学式を無事に(つまり周囲を十分に威嚇してドン引きさせて)終えたその夜。 女子寮の廊下は、死んだような静けさに満ちていた。
時刻は深夜2時。 丑三つ時。呪詛と悪意が最も活性化し、まともな令嬢であれば夢の中にあるべき時間帯だ。 しかし、私、エリザベート・フォン・ローゼンに安息はない。
黒いマントを目深に被り、あえて足音を消すための特殊な靴(裏にフェルトを貼った自作品)を履いて、廊下を忍び足で進む。 我ながら、公爵令嬢というよりは、三流の泥棒か不審者そのものだ。
(心拍数上昇。発汗量増加。……落ち着きなさい、玲子。これは潜入捜査と同じよ。見つからなければ、それは存在しなかったことと同じ)
自己暗示をかけながら、角を曲がる。 前方に見えるのは、下駄箱エリア。 目標地点は、102号室専用ロッカー。男爵令嬢ミア・ゼン・シャーカンの領域である。
(現在位置クリア。監視員なし。生徒の気配なし)
マントの下から、一通の封筒を取り出す。 禍々しい漆黒の封筒。 中身は、昨晩、睡眠時間を削って作成した「脅迫状」である。
本来ならサラリと手書きで済ませたいところだが、私の元検察官としての知識がそれを許さなかった。 手書き文字には癖が出る。筆跡鑑定にかければ、執筆者が特定されるリスクは100%に近い。 公爵令嬢の筆跡など、比較対照資料はいくらでもあるのだ。 もし筆跡から足がつき、早期に退学処分などにされたら、世界を救う計画が破綻してしまう。
だから私は、涙ぐましい努力をした。 街で配られていた安売りセールのビラや、古新聞の文字を一文字ずつ切り抜き、ピンセットで貼り付けるという、誘拐犯のような手法をとったのだ。 「ミ」の文字を探すだけで30分かかった苦労を、誰が知ろうか。(隣でアンナが「公爵家の書斎で何を作っておいでで……」と頭を抱えていたが、無視した)
『ミぶんをわきまエろ。おうジにちカづくナ』
なんという卑劣。なんという陰湿。 これを受け取った平民の娘は、貴族社会の闇に怯え、明日から登校拒否になるかもしれない。 あるいは恐怖のあまり、王都から逃げ出し、実家へ帰ってしまうかもしれない。
もしそうなれば、彼女は『聖女』としての過酷な運命から逃れ、魔王との戦いに巻き込まれることもなく、平和な片田舎でパン屋の好青年と恋に落ちて幸せになれるかもしれない。 それはそれで、彼女にとっては幸福な結末でしょう。聖女がいなくなれば世界は救われないけれど、私が別の手段で一人で泥を被って野垂れ死ねば済む話だわ。
けれど、恐らくそうはならない。 彼女はこの世界の『ヒロイン』なのよ? ゲームのシナリオにおいて、ヒロインは逆境にあればあるほど、その輝きを増し、王子との絆を深めていくもの。 この脅迫状は、彼女が『守られるべき悲劇のヒロイン』として覚醒するための、重要なイベントアイテム(踏み台)に過ぎない。
「……貴女なら、きっと乗り越えてくるでしょう?」
私の計算通りならば、彼女は恐怖に打ち勝ち、明日も気丈に登校してくるはず。そうでなくては、私を殺す聖女にはなれないのだから。 彼女の「ご都合主義的なまでのメンタル補正」を信じているからこそ、私はこうして安心して悪役になれるのだ。
(だから、手加減は無用。これは慈悲などではない。あくまで、彼女を絶望の淵へ追いやり、私への憎悪を植え付けるための、容赦なき戦略的攻撃でなければならない)
自分にそう強く言い聞かせる。 手が震える。 検察官として法を守る立場だった自分が、まさか「脅迫罪(刑法第222条)」の構成要件を自ら満たす行為に手を染める日が来るとは。 公爵家の家訓にも、騎士道精神にも反する、恥ずべき行い。
だが、世界を救う大義の前には、私のプライドなど塵芥に等しい。 私は、ドブネズミのように這いつくばってでも、悪を成さねばならないのだ。
「……許して、ミア。貴女のためなの」
声に出さず呟き、震える指で封筒を下駄箱の隙間に押し込んだ。 カサリ、という微かな音が、銃声のように大きく響いた気がした。
(完了……!)
誰にも見られなかった。完全犯罪だ。 切り抜いた文字が多少ガタガタになってしまったことや、糊付けが甘くて「カ」の文字が剥がれかけていることなど、些細な問題だ。 むしろ、その粗雑さが犯人の「狂気」や「余裕のなさ」を演出し、恐怖を倍増させるはず。 そう、これは完璧な脅迫状なのだ。
額の冷や汗を拭い、音もなくその場を立ち去る。 闇に溶ける背中は、巨悪を成し遂げたという歪んだ達成感と、良心の呵責による胃痛で小さく震えていた。
深夜2時、公爵令嬢による図画工作の時間です。
「筆跡鑑定でバレてはいけない」という元検察官の謎のプライドにより、安売りビラや古新聞を切り抜いて脅迫状を手作りするエリザベート様。
小悪党としての涙ぐましい努力ですが、本人は大真面目に世界を救うつもりです。




