第19話「深夜の襲撃」
【Side: Elizabeth】
6月下旬。期末試験の前夜。 王立学園の女子寮は、深夜にもかかわらず、明日の試験に備えて追い込みをかける生徒たちの魔導ランプの明かりで満ちていた。 廊下は静まり返っているが、ドアの向こうからはページをめくる音や、絶望的な溜息が漏れ聞こえてくる。
私はその廊下を、大量の菓子袋と分厚い本を抱えて、亡霊のように歩いていた。
(……解せぬ)
胃のあたりで、数日前の屈辱がまだ燻っている。 先日の王宮茶会でのことだ。 私は『スワンプ・ウィッチ(沼の魔女)』という最悪の悪臭香水を身に纏い、周囲に生理的な嫌悪感を植え付ける完璧なテロル攻撃を仕掛けたはずだった。 それなのに、ミアの謎のフォロー(詭弁)によって、それは「最新鋭の魔除けアロマ」という伝説にすり替えられてしまったのだ。 あまつさえ、クリストファー殿下からは後日、「君のその、飾り気のない実直なところを評価している。流行に流されない姿勢は素晴らしい」などという、見当違いも甚だしい手紙まで届いた。
なぜだ。なぜ私の悪意は、すべて善意に変換されてしまうのか。 このままでは、私は「ちょっと変わった趣味の実直な令嬢」として、ハッピーエンドを迎えてしまう。 それだけは阻止しなければならない。世界のために、私は嫌われ、断罪されなければならないのだ。 誰からも愛されず、孤独に散る。それが私の使命なのだから。
(今日の作戦こそ、絶対に言い逃れできない「悪」よ)
私は抱えている荷物を持ち直した。 今夜のターゲットは、ミア・ゼン・シャーカンの部屋。 作戦名は「勉強妨害」だ。
明日は重要な「魔法史」の試験がある。 一夜漬けでも点数を稼ぎたいこの切羽詰まった時間帯に、部屋に押しかけ、どうでもいい無駄話をして時間を浪費させる。 睡眠不足にさせ、集中力を削ぎ、明日の試験で赤点を取らせる。 地味だが、学生にとっては殺意を抱くレベルの、極めて悪質な嫌がらせだ。
「……ふふっ。覚悟しなさい、ミア。今夜は寝かせないわよ」
私はミアの部屋のドアの前に立ち、ノックもせずに開け放った。
「ごきげんよう、ミアさん! 遊んであげに来てやったわよ!」
バーン!とドアを開ける音と共に、私は室内に侵入した。 机に向かって必死にペンを動かしていたミアが、驚いて飛び上がる。
「えっ、エリザベート様!? どうしてここに……もう消灯時間は……」
「あら、私の訪問を拒むというの? 不敬罪よ?」
私は彼女の机の上に、持ってきたお菓子を山積みにした。 最高級のショコラ、バターたっぷりのクッキー、そして濃厚なミルクティーのポット。 夜食としてはカロリー過多で、眠気を誘発するギルティなラインナップだ。
「勉強なんてつまらないこと、やめなさい。ほら、お茶にしましょう」
「で、でも明日試験が……ここ、まだ全然覚えられてなくて……」
「知らないわよそんなこと。さあ、私の話を聞きなさい!」
私は強引に彼女をベッドに座らせ、持ってきた分厚い本──『貴族年鑑(全20巻中の第5巻)』を広げた。
「今夜は朝まで、この国の貴族の系譜について語り合うのよ! いいこと? ローゼン家の曾祖父の代にはね……」
これは拷問だ。 試験範囲とは全く関係ない、貴族のどうでもいいゴシップや家系図の話を、延々と聞かされる地獄。 さあ、眠れ。集中力を切れ。そして明日の試験で爆死するがいい! 赤点を取れば補習になり、王子との夏休みイベントも消滅する。一石二鳥の完璧な作戦だ。
……はずだったのだが。
「……え、待ってください。その『ローゼン家の曾祖父』って、第3次魔導大戦の時の宰相ですよね?」
私の独演会を遮って、ミアが不意に尋ねてきた。 その瞳は眠そうではなく、むしろ興味深そうに輝いている。
「ええ、そうよ。それが何か?」
「ってことは、教科書に出てくる『アークライト条約』の締結に関わってるんですか? あの条約、背景が複雑すぎて全然覚えられなくて……」
ミアが食いついてきた。 その瞬間、私の中の「歴史オタク」としての血が騒いだ。
「当たり前じゃない! 曾祖父様が裏で各国の根回しをしたから、あの条約が成立したのよ。教科書には表面的なことしか書いてないけど、実際は隣国の王女との政略結婚が絡んでいてね……」
「えっ、そうなんですか!? だから第4条に特例事項があるんですね!」
「そうよ! よく気づいたわね!」
そこから先は、地獄への特急列車だった。 私の「完璧主義」と「教え好き」のスイッチが、完全に誤作動を起こしてしまったのだ。 彼女の「知りたい」という純粋な欲求を前にして、私は本来の目的(妨害)を忘れ去った。
「違う! そこは単語を暗記するんじゃなくて、歴史の流れ(コンテキスト)で理解しなさい! この事件があったから、次の法改正が必要になったの!」
「は、はい!」
「ほら、ここの年号! この王家のスキャンダルとセットで覚えれば忘れないでしょ!?」
「なるほど、すごいですエリザベート様! 物語みたいで分かりやすいです!」
気づけば、私は持参したホワイトボード(なぜ持ってきたのか、自分でも分からない。無意識の準備万端さが憎い)を使い、熱心に魔法史の特別講義を行っていた。 『貴族年鑑』の無駄話だと思っていたエピソードが、実は教科書の記述を裏付ける重要知識だったため、ミアの理解度は飛躍的に向上していく。
「ほら、脳が疲れてるわよ! 糖分補給!」
持ってきたお菓子も、眠気を誘うためではなく、脳のエネルギー補給として最適なタイミングで配給してしまっている。 ミアは口いっぱいにクッキーを頬張りながら、必死にノートを取っている。
時計の針は深夜3時を回っていた。 ミアは目を輝かせ、私はチョーク(魔法ペン)を握りしめ、二人のテンションは最高潮に達していた。 深夜特有の謎のハイテンションだ。 「ここテストに出るわよ!」「出たら勝ちですね!」と、奇妙な連帯感すら生まれている。
(おかしい。なぜ私は、彼女の成績を上げるようなことをしているの?)
心の片隅で冷静な私がツッコミを入れているが、もう止まらない。 目の前の生徒が「わかった!」という顔をする瞬間の快感に、私は抗えなかったのだ。 前世、勉強を教えるのが好きだった記憶が蘇る。 ああ、私は悪役失格だ。
結局、私は徹夜で彼女に試験範囲のすべてを叩き込み、完璧な予想問題まで作って渡してしまった。 空が白む頃、私は力尽きて椅子に座り込んだ。 世界を滅ぼす魔女になるはずが、ただの熱血家庭教師になってしまった敗北感と共に、意識を手放した。
期末試験前夜の勉強妨害作戦!……のはずが。
歴史のコンテキスト(文脈)を理解していないミアの非効率さを見た瞬間、元・完璧主義者の「教え魔」スイッチが入ってしまいました。
どうでもいい貴族のゴシップが教科書の裏付けとなり、ホワイトボードまで駆使した超・有意義な徹夜の試験対策講座が爆誕。
悪役になりたいのに、どうしても後輩を育ててしまうポンコツ検察官の夜は更けていきます。




