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第17話「香水の罠」

【Side: Elizabeth】

 6月中旬。 王宮の広大な庭園で催される「新入生歓迎茶会」。 抜けるような青空の下、色とりどりの薔薇が咲き乱れ、噴水が涼しげな音を立てる美しい会場。 そこは、王族と貴族の子弟が交流を深めるための優雅な社交場であり、私──エリザベート・フォン・ローゼンにとっては、起死回生をかけた新たな断罪の舞台だった。


(……今日こそは。今日こそは絶対に、言い逃れできない「生理的な不快感」を与えてやるわ)


 私は会場へ向かう馬車の中で、ドレスのポケットに忍ばせた小瓶の感触を確かめながら、決意を固めていた。


 振り返れば、これまでの作戦は全て裏目に出ている。 勉強を邪魔すれば成績を上げさせ、鉢植えを壊そうとすれば蘇生させ、ダンスでしごけば「愛の指導」と感謝される。 私の悪行はことごとく、この世界の歪んだフィルター(あるいはミアの高性能すぎる脳内変換)によって、「指導」や「慈愛」というポジティブな行動に書き換えられてしまっているのだ。


(視覚や聴覚、行動による嫌がらせが通じないなら、残るは原始的な感覚──「嗅覚」しかない)


 今日の作戦コードは『スカンク・ボム』。 理屈や解釈の余地を与えない、本能的な拒絶反応を引き出す作戦だ。


 小瓶の中身は、裏社会の闇市で法外な値を払って入手した特製香水『スワンプ・ウィッチ(沼の魔女)』。 その成分は、腐葉土の発酵液、古びた革靴の煮汁、微量の硫黄、そしてドリアンのエキスを錬金術で最悪のバランスに融合させたものだという。 商品説明には「一滴でドラドラゴンすら逃げ出す」と書かれていた。まさに「香害」の極致だ。


 貴族社会において、香りとはその人の品格そのものだ。 薔薇や百合、あるいは柑橘系の爽やかな香りを漂わせるのがマナーであるこの場で、こんな産業廃棄物のような臭いを撒き散らす令嬢など、前代未聞。 同席する生徒たちはもちろん、主催者である王族たちからも、「君とは同じ空気を吸いたくない」「マナー以前の問題だ」と軽蔑され、即刻退場を命じられるだろう。


「さあ、覚悟なさい。私の悪臭(存在)に!」


 馬車が王宮の門をくぐる直前、私は小瓶の蓋を開けた。


 プンッ。


 狭い車内に、暴力的な異臭が充満する。 「ウッ……!」 自分でやっておきながら、あまりの臭気に涙が滲む。 臭い。本当に臭い。 前世、真夏の炎天下に放置された生ゴミの集積所を通りかかった時の、あの脳髄を揺さぶるような不快感がフラッシュバックする。 胃の腑が裏返りそうだ。


(耐えろ、玲子。これは世界を救うための毒ガス散布訓練よ)


 私は震える手で、ドレスの裾、手首、そして首筋にまで、たっぷりとその液体を吹きかけた。 シュッ、シュッ、シュッ。 揮発した成分が鼻腔を直撃し、視界が歪む。


 同乗していたアンナが、分厚いタオルで鼻と口を覆いながら無言で白目を剥いて気絶しかけている(でもメイドの意地で倒れない)が、気にしてはいられない。


  運転している御者が「お嬢様、何か腐ったものでも……?」と不安げに声をかけてきたが、「気になさらないで」と一蹴した。


 会場に到着し、私は馬車を降りた。 深呼吸をして(すぐに後悔して咳き込みながら)、ハンカチで鼻を押さえつつ、戦場(会場)へと足を踏み出す。


 効果は劇的だった。 私が一歩踏み出すたびに、談笑していた令嬢たちがピタリと口を閉ざし、顔をしかめて道を空ける。


「あら、何か……」


「ドブ川のような……」


「まさか、公爵令嬢から?」


さざ波のように広がる困惑と不快感。 まるでモーゼの十戒のように、私の前で人の波が割れていく。 誰も私に近づこうとしない。目を合わせようともしない。 これだ。私が求めていたのは、この「明確な拒絶」だ。


 前方には、私の婚約者である第二王子クリストファーと、その側近たちが談笑しているのが見えた。 そしてその近くには、いつものようにミアの姿もある。


(さあ、クリストファー殿下。貴方の婚約者が、こんなにも穢らわしい悪臭を放っているのよ。罵倒なさい。軽蔑なさい!)


 私はあえて風上から、優雅な足取りで彼らに近づいた。 風に乗って、私の「魔女の香り」が彼らの鼻腔を直撃する。


「ごきげんよう、クリストファー殿下。そして皆様」


 私が声をかけると、殿下が振り返った。 その瞬間、彼の端正な顔がピクリと引きつり、鼻孔が小さく動いたのを私は見逃さなかった。 来た。決定的な拒絶反応だ。眉間に刻まれた深い皺が、その不快感を物語っている。 さあ、言ってやりなさい。「君は肥溜めにでも落ちたのか? 近寄るな!」と! そして、婚約破棄への第一歩を踏み出すのよ!


行動がダメなら匂いで嫌われてやる! と、原始的な感覚へのテロに踏み切ったエリザベート。

自腹で買った産業廃棄物レベルの悪臭香水『スワンプ・ウィッチ』を被り、自らも涙目になりながら王子の前へ堂々と突き進みます。

「さあ、私を肥溜めみたいだと罵りなさい!」

元検察官の謎のガッツと覚悟が光りますが、果たして……?

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