表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/31

第16話「リハビリの記憶」

【Side: Mia】

 ダンスレッスンが終わった後、私は更衣室の床にへたり込んでいた。 息ができない。肺が焼けるように熱い。 足がガクガクと小刻みに震え、自分の意思で動かすことができない。 まるで、足の裏の皮が一枚剥がれ、筋肉という筋肉が悲鳴を上げているような感覚だ。 冷たい床の感触だけが、私がまだ意識を保っていることを教えてくれる。


(死ぬかと思った……)


 エリザベート様とのダンスは、もはやダンスと呼べる代物ではなかった。 優雅さなど微塵もない。 あれは、戦場における格闘技か、あるいは過酷な軍事教練ブートキャンプだ。 一般的な社交ダンスのテンポを遥かに超える、凄まじいスピードと回転。 私の限界ギリギリを攻めるステップの連続。 一瞬でも気を抜けば、遠心力で吹き飛ばされるという恐怖との戦い。


「ミアさん、大丈夫? 水飲む?」


クラスメートが心配そうに声をかけてくれるが、答える余裕すらない。


 でも──転ばなかった。 一度も、床に膝をつかなかった。 その事実が、私の胸を熱くする。


(あの人、口では『聖女失格』とか言ってたけど……)


 目を閉じると、先ほどの感覚が鮮明に蘇る。 私がバランスを崩しそうになるたびに、鋼のように強く、そして正確に私を支えてくれた彼女の腕。 「チッ!」と舌打ちしながらも、私の崩れた重心を瞬時に読み取り、無理やり正しい姿勢へと戻す手腕。 回転のたびに私の腰を引く手の位置は、ミリ単位で正確だった。 あれは、私を転ばせようとしていたのではない。 「転ぶことすら許さない」という、絶対的な支配と指導だった。


 その感触は、前世の記憶と強烈にリンクする。 消毒液の匂い。白いリハビリ室。平行棒の冷たい手触り。


『甘えるな! 自分の足で立つんだ!』 『痛いからって逃げるな! 重心を前に!』


 リハビリ療法士の先生。 交通事故で足の自由を失い、車椅子生活を余儀なくされた私に、鬼のような形相で歩行訓練をさせた人。 涙を流して「もう無理です、痛いです」と訴える私を、決して許さなかった人。 優しく慰めてくれる看護師さんたちの中で、彼だけが厳しかった。 「可哀想な患者」として扱うのではなく、「再び歩く意志を持つ人間」として接してくれた。 誰よりも私の「歩きたい」という願いに、真正面から向き合ってくれた人。


 あの時の先生の手と、エリザベート様の手は、同じ熱さを持っていた。 同情や手加減といった甘えを一切排除し、ただ「立たせること」「踊らせること」のみに全霊を注ぐプロフェッショナルの手。 彼女のリードは、私の弱い体幹を補強し、眠っていた筋肉を無理やり目覚めさせ、限界のその先へと引き上げてくれたのだ。


 その結果、私は今、へたり込みながらも、今までで一番しっかりと大地を踏みしめている感覚がある。 自分の足の指が、床を捉えている感覚が分かるのだ。 生きている。私は自分の足で立っている。


「……私のために?」


 違う、と理性が即座に否定する。 彼女は私をいじめようとしただけだ。振り回して、恥をかかせようとしただけだ。 現に、最後は突き放すようにして去っていったではないか。 あれは悪意ある攻撃だ。そう解釈するのが自然だ。


 でも、結果として私は、この学園で誰よりも濃密で、質の高いレッスンを受けることができた。 周囲のクラスメートたちが、遠巻きにこちらを見ながら囁き合っている。


「すごい迫力だった……」


「あんな動き、私たちには無理……」


「まるで剣の舞ね」


「ミアさん、よくついていったわね。私なら最初のターンで気絶してるわ」


 そこにあるのは嘲笑ではない。畏敬の念だ。 私がエリザベート様の猛攻に耐え抜いたことで、私の評価は「か弱い平民」から「公爵令嬢と渡り合える実力者」へと変わったのかもしれない。 彼女は、私を「守られるだけのヒロイン」から引きずり出し、「戦える聖女」へと鍛え上げようとしているのではないか?


(不器用すぎるわよ、お姉様……)


 遠ざかる彼女の背中を目で追う。 冷たく突き放されたはずなのに、私の腰には彼女の体温と、支えられた時の強い力が残っていた。 これは「敵からの攻撃」なのか、それとも「真実版の師弟イベント」なのか。 あるいは、言葉にできないもっと深い何か──魂の共鳴なのか。


「……ありがとう、ございました」


 誰にも聞こえない声で呟く。 もし彼女が敵だとしても、彼女が私を鍛えてくれたという事実は変わらない。 強くなろう。彼女のリードに、いつか自分の足でついていけるように。 そうすれば、彼女が破滅に向かってステップを踏み始めた時、今度は私が彼女をリードして、死の淵から引き戻せるかもしれないから。


 私の心拍数はまだ落ち着かない。 それはダンスの疲れのせいだけではないような気がした。


【運命の分岐点シナリオ・フラグ「迷宮の暴走ダンジョン・パニック」まで──残り、40日】


限界ギリギリのダンスレッスンを終えたミア視点です。

エリザベートの「絶対に転ばせない強引なリード」が、前世のスパルタ・リハビリ療法士の姿と完全に重なってしまいました。

「私の弱い体幹を鍛えるために、あえて厳しくしてくれたのね……!(感涙)」

悪役になるための行動が、すべてヒロインを「戦える聖女」へと鍛え上げる修行になっていくこのすれ違い。果たして二人はどこへ向かうのでしょうか。


※「王子、出番ないな……」「この二人最高のペアでは?」と楽しんでいただけましたら、ぜひブックマークや下部の評価(☆☆☆)で応援をよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ