第14話「泥の中の真実」
【Side: Mia】
翌朝。 朝露に濡れた学園の温室。 私は日課の水やりのために、まだ誰もいない静寂の中を歩いていた。 植物たちの息吹と、湿った土の香りが心地よい。ここは私の心が一番安らぐ場所だ。
「おはよ、ムーン・ハーブちゃん。今日も元気……あれ?」
いつもの棚の前で、私は足を止めた。 私が管理しているはずの「ムーン・ハーブ」の鉢が、なくなっている。 代わりに置かれているのは、一回り大きな、見慣れないテラコッタ(素焼き)の鉢。 そして、床にはわずかだが黒い土がこぼれており、誰かがここで深夜に作業をした形跡があった。
(まさか、盗まれた? それとも……嫌がらせ?)
心臓がドクンと嫌な音を立てる。 『無印』のシナリオには、悪役令嬢がヒロインの大切にしている花を踏みにじるイベントがあったはずだ。 嫌な予感がして、恐る恐る鉢に近づく。 葉の形、茎の曲がり具合、そして葉の裏にある小さな斑点。 間違いなく、私のムーン・ハーブだ。 でも、何かが違う。
昨日までは、葉の色が少し黄色みがかっていて、全体的に元気がなかった。 肥料不足か、日照不足かと悩んでいたのだ。 しかし、目の前のハーブは、まるで生まれ変わったように青々として、ピンと上を向いている。 葉の一枚一枚に力がみなぎり、瑞々しい輝きを放っている。
「植え替え……されてる?」
私はしゃがみ込み、鉢の中の土を触ってみた。 ふかふかだ。 単に新しい土を入れただけではない。赤玉土と腐葉土、それに水はけを良くする軽石が、絶妙なバランスで配合されている。 指で押すと適度な弾力があり、空気を含んでいるのが分かる。
(この感触……前世で見た、ベテランの外科医の手術跡みたい)
私の医療従事者としての勘が働いた。 植物にとって、根詰まりは人間で言うところの「血行障害」や「呼吸不全」だ。 古い鉢の中で根が窒息しかけていたのを、誰かが的確に見抜き、緊急手術(植え替え)を行ったのだ。 しかも、ただ移し替えただけではない。 土の表面には、高価な魔力肥料の粒が丁寧に混ぜ込まれ、枯れかけていた下葉はきれいに剪定されている。 これは「点滴」と「壊死組織の除去」だ。完璧な術式(処置)だ。 術後の経過観察(水やり)まで完璧に行われている。
「誰がこんなことを……?」
破壊工作ではない。これは救命措置だ。 それも、植物の生理を熟知し、深い愛情を持ったプロフェッショナルの犯行だ。 園芸部の先輩だろうか? それとも、親切な用務員さん? こんな真夜中に、わざわざ私の鉢のために?
その時、温室の入り口から、カツカツという足音が近づいてきた。 朝の静寂を切り裂くような、自信に満ちた足音。 振り返ると、そこには腕を組み、仁王立ちしているエリザベート様がいた。 朝日を背負い、逆光の中で彼女の赤い髪が燃えるように輝いている。
「……エリザベート様?」
彼女は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ふふん。見ましたか、その惨状を」
彼女は扇子で口元を隠し、高らかに宣言した。
「私がやってやりましたわ。昨夜、皆が寝静まった後にこっそり忍び込み、貴女の大事な鉢をひっくり返して、土まみれにしてやったのです!」
彼女は高笑いしようとして、ゴホッとむせた。 私は彼女と、目の前の元気になった鉢植えを交互に見比べた。
(鉢をひっくり返した……つまり、根詰まりを確認するために鉢から抜いて、そのまま植え替えてくれたってこと?)
彼女の言葉を額面通りに受け取れば「破壊工作」だ。 しかし、目の前の事実は「蘇生手術」そのものだ。 しかも、よく見ると彼女のドレスの裾には、昨夜のものと思われる泥汚れが点々と残っている。 完璧主義な彼女が、身だしなみを整えるのも忘れるほど、夢中で作業をしてくれたのだろうか。 さらに、扇子を持つ手の爪の間には、黒い土がわずかに入り込んでいる。 綺麗な指先が、土で汚れている。
(あんな綺麗な手で……泥にまみれて……)
胸が締め付けられるような思いがした。 公爵令嬢が、平民の私のために、夜な夜な土をいじってくれたなんて。 それも、こんなに丁寧に、こんなに完璧に。 彼女は、私の管理不足を責めるでもなく、黙って命を救ってくれたのだ。
「……どう? 悔しいでしょう? 自分の無力さを思い知ったかしら?」
エリザベート様がドヤ顔で聞いてくる。 その顔には「やってやったわ!」という悪意(に見せかけた達成感)が満ちている。 彼女の思考回路はどうなっているのだろう。 『無印』の悪役なら、除草剤を撒くとか、茎を折るとか、もっと直接的で修復不可能な破壊をするはずだ。 なぜわざわざ、手間暇かけて植え替えをして、肥料までやってくれるのか?
(これは……「大きく育ててから刈り取る」という、よりサディスティックな嗜好?)
一瞬、そんな疑念がよぎる。 でも、目の前のハーブは嬉しそうに葉を広げている。植物は嘘をつかない。 注がれたのは悪意ではなく、紛れもない愛情だ。 彼女は植物を愛し、その命を慈しむ心を持っている。
(不器用なだけ? 実は植物が好きすぎて、弱っているのを見過ごせなかったとか?)
前世の記憶にある、小児病棟の子供たちを思い出す。 痛い注射を我慢したのに、「全然痛くなかったもん!」と強がる男の子。 「ありがとう」が言えなくて、看護師さんに悪態をついてしまう女の子。 彼女の姿が、彼らと重なって見える。
どちらにせよ、私のムーン・ハーブは救われた。 彼女のおかげで、枯れかけていた命が繋がったのだ。 彼女がどんなつもりでやったにせよ、結果として彼女は「命の恩人」だ。
「……はい。思い知りました」
私は深く頭を下げた。 感謝と、尊敬と、そして少しの可笑しさを込めて。
「私の管理不足で、根が苦しがっていることに気づけませんでした。それを指摘し、あまつさえ手本まで見せてくださるとは……。エリザベート様は、植物の声が聞こえるのですね」
「は? ……え、ええ。まあ、貴族たるもの、その程度は嗜みですわ(汗)」
彼女が一瞬、虚を突かれたような顔をした。 扇子の向こうで目が泳いでいる。 「あ、あれ? 怒らないの? 泣かないの?」という心の声が聞こえてきそうだ。
やはり、私の深読みが当たっているのかもしれない。 彼女は敵かもしれないけれど、命を粗末にする人ではない。 その一点においてだけは、私たちは分かり合えるかもしれない。
(でも、油断は禁物よ。これは私を油断させるための高度な罠かもしれないもの)
私は元気になったハーブを撫でながら、複雑な気持ちでエリザベート様の泥だらけの靴を見つめた。 その泥は、彼女の不器用な優しさの勲章に見えた。
翌朝の温室。破壊された(はずの)鉢植えを見たミアの医療従事者フィルターがフル稼働します。
「これは……完璧な蘇生手術!」
ドヤ顔で「鉢をひっくり返してやったわ!」と自慢(?)するエリザベートのドレスについた泥汚れを見て、ミアの好感度と尊敬の念が限界突破。
いじめているつもりが、完全に「植物を愛する命の恩人」として認定されてしまいました。
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