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第12話「先輩のノート」

【Side: Mia】

 エリザベート様が嵐のように去った後の図書室。 静寂が戻った空間に、私の心臓の音だけが大きく響いていた。


 私は机の上に残された「カビ臭い古本」と「黒いノート」を、恐る恐る見つめていた。


(嫌がらせ……よね?)


 私が必死に読んでいた最新の理論書を取り上げ、代わりにボロボロの本を置いていくなんて。 これは「お前には新しい知識は必要ない」「古い常識に縛られていろ」というメッセージなのだろうか。 やはり彼女は『無印』の悪役令嬢。私の成長を阻害し、試験で失敗させようとしているのだ。


「……でも、一応中身を確認しないと」


 毒が塗られているかもしれないし、ページを開くと呪いの霧が噴き出すかもしれない。 あるいは、開いた瞬間に「バカ」と書かれた紙が飛び出すとか。 前世の病院での「医療事故防止マニュアル(確認呼称)」を思い出しながら、私は慎重に、手袋をしたままで、まずは『魔力循環の基礎』を開いた。


「……え?」


 そこには、驚くべき光景が広がっていた。 古い本だが、ページを開いた瞬間に分かった。これは「良書」だ。 文字は大きく、図解が豊富で、魔力の流れが視覚的に理解できる。 先ほどまで私が読んでいた『現代魔法構成論』では、数ページかけて難解な数式で説明していた概念が、ここではたった一行の比喩とシンプルな図で簡潔にまとめられている。


 さらに、ページには無数の書き込みがあった。 古いインクの跡。誰かが熱心に勉強した痕跡だ。 『ここ重要。出力係数は3.14で近似すると計算が楽』 『※この理論は古い。現在は否定されているが、基礎概念としては有用』 余白にびっしりと書かれたメモは、単なる落書きではない。学習者を導くための道標だ。


「分かりやすい……。これなら、さっき詰まっていた箇所も理解できるかも」


 この本は、古いけれど「本質」を突いている。 初心者が陥りやすい罠を、丁寧に回避させてくれる構成になっている。 これを私に渡した意味は……?


 次に、一緒に置かれたノートに手を伸ばす。 表紙には何も書かれていない、飾り気のない黒革のノートだ。 恐る恐る中を見ると──。


『中間試験対策:魔法史・魔法理論 統合版』


 1ページ目から、衝撃が走った。


『※第3章の「マナの収束」は、以下の図のイメージで捉えると良い。試験では引っかけ問題として出題されやすいので注意』 『※ここは教科書の記述が古い。現在の主流はB説だが、担当のウィルソン教授は保守派なので、試験ではA説で回答した方が加点される可能性大』


(……何これ?)


 びっしりと書き込まれた、美しい文字。 要点が赤インク(あ、この世界にあるのね)で強調され、余白には補足説明や、関連する呪文の構成式まで書き添えられている。 それは嫌がらせの落書きなどではなく、極めて実用的で、高度な分析に基づいた「最強の参考書バイブル」だった。


「これ……全部、エリザベート様の手書き?」


 ページを捲る手が止まらない。 どこを読んでも、私の疑問に先回りして答えてくれているかのような的確さ。 まるで、私の学習進度やつまずきを完全に見透かした上で、あえてこのノートを作ってくれたかのような……。


 このノートを作るのに、どれだけの時間がかかっただろうか。 過去問を分析し、教科書を読み込み、要点をまとめる。 並大抵の労力ではない。 徹夜したのかもしれない。インクの匂いが新しい。


(待って。これって……『ツンデレ』? それとも『真実版』の師弟イベント?)


 私の脳内で、乙女ゲームの用語集が検索される。 口では悪態をつきながら、行動では相手を助けるキャラクター属性。 もしやエリザベート様は、素直になれないだけで、本当は私の勉強を見てくれようとしたの? 「豚に真珠」という言葉は、「今の貴女にはまだ早いから、基礎からやり直しなさい」という、愛ある忠告だったの?


(いや、違うわ。油断しちゃダメ)


 私は首を振る。 これは罠かもしれない。 このノートの知識が微妙に間違っていて、私に嘘を覚えさせようとしている可能性だってある。 『無印』の悪役なら、それくらいの手の込んだ心理戦は仕掛けてくるはずだ。 私を信じ込ませておいて、試験当日に絶望の底へ突き落とす。そういうシナリオかもしれない。


 けれど……。 ノートの最後のページ、余白に小さく書き殴られた文字を見つけた。


『基本を疎かにする者は、応用で必ず躓く。急がば回れ』


 その筆跡は、先日教科書に書かれた『出ていけ』の文字と同じだった。 でも、今回は震えていない。力強く、凛としていて、迷いがない。 そこには、学問に対する真摯な姿勢と、同じ道を志す者への厳しさ──そして、隠しきれない不器用な「お節介」が滲み出ていた。


「……嘘の情報なら、こんなに熱心に書かないわよね」


 私はノートを胸に抱いた。 革の表紙からは、微かにインクと、彼女がつけている香水の香りがした。 彼女は私から最新の本を奪ったけれど、代わりに「今の私に必要なもの」をくれた。 これを「敵からの妨害」と取るか、「先輩からの指導」と取るか。


 答えは決まっている。 使えるものは何でも使う。それが私の生存戦略だ。


(使わせてもらいます。たとえこれが罠でも、知識に罪はないもの)


 私はペンを握りしめ、エリザベート様のノートに向き直った。 いつか彼女と対峙するその日のために、彼女から授かった知識で強くなってみせる。 それが、私なりの恩返しであり、彼女への宣戦布告だ。


「見ていてください。今回の試験、絶対にトップを取りますから」


 誰もいない図書室で、私は小さく呟いた。 窓の外には、不気味なほど赤い夕焼けが広がっていたが、今の私にはそれが希望の色に見えた。


【運命の分岐点シナリオ・フラグ「迷宮の暴走ダンジョン・パニック」まで──残り、85日】


押し付けられた「嫌がらせのアイテム」を検証するミア視点です。

カビ臭い古本と殴り書きのノートの正体は、まさかの『超実用的な参考書セット』。

「これは罠か? それともツンデレか?」と警戒しつつも、あっさりと「使えるものは使う」と割り切る元看護師の逞しさが光ります。

エリザベートの血と汗と涙の結晶は、果たしてミアをどこまで成長させてしまうのでしょうか。

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