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第1話「断罪を待つ女」

【Side: Elizabeth】

 王都の夜が、深淵のような静寂に包まれている。 ローゼン公爵邸、その最上階にある広大な私室。 窓の外には、忌々しいほどに美しい満月が浮かんでいたが、私──エリザベート・フォン・ローゼンにとって、それはロマンチックな情景などではなく、開廷を告げる陪審員の冷ややかな眼差しのようにしか見えなかった。


 室内には、重厚なマホガニーの机と、豪奢な天蓋付きベッド。そして、部屋の隅には場違いなほど巨大な全身鏡が置かれている。 私は、その鏡の前に仁王立ちしていた。 部屋の隅では、専属メイドのアンナが私の奇行を一切の感情を排した無表情で見つめているが、気にしてはいられない。


「……ふふっ。身の程を知りなさい、平民風情が」


 扇子を優雅に開き、口元を隠して嘲笑してみせる。 鏡に映る少女は、燃えるような真紅の髪を完璧に巻き上げ、宝石を散りばめた夜会服を纏っている。切れ長の瞳は氷のように冷たく、見る者を射抜くような鋭さを宿している。 我ながら、乙女ゲーム『聖女と薔薇の騎士たち』における最大の障害、悪役令嬢エリザベートのイデア(理想像)そのものだ。


(角度よし。発声よし。眼輪筋の収縮率よし。……でも、少し口角が上がりすぎかしら?)


 意識の深層にある記憶──かつて日本で「氷の検察官」と呼ばれ、数々の巨悪を法廷で裁いてきた冴島玲子さえじま れいことしての思考回路が、冷静かつ論理的に現状を弾き出す。


「……今の『ふふっ』は、少しキーが高すぎたわね。これでは小物感が出てしまう。もっと腹の底から響くような、絶望的な重低音でなければ。聴衆プレイヤーに『こいつはヤバい』と思わせる威圧感が足りない」


 パチリ、と扇子を閉じる音が、張り詰めた室内に響いた。鏡の中の自分が、納得いかないとばかりに眉間に皺を寄せているのが見える。 妥協など、万死に値する。前世から染み付いた完璧主義が、私に一切の甘えを許さない。 明日はいよいよ、王立学園の入学式。それは即ち、世界を滅びへと導く「破滅のシナリオ」の開廷手続きであり、私自身が被告人席へと歩み出す最初の一歩なのだから。


 この世界は、前世で唯一の癒やしとしていた乙女ゲーム『聖女と薔薇の騎士たち』の盤上である。 そして私、エリザベートこそが、世界に瘴気を撒き散らす「元凶」だ。


 前世の記憶がフラッシュバックする。 深夜の検察庁。積み上げられた段ボール箱のような証拠書類の山。冷え切ったカップラーメン。 『法』という絶対的な物差しの前で、個人の感情を殺し、淡々と罪を暴く日々。 私は優秀だった。あまりに優秀すぎたゆえに、誰も隣には立たなかった。 そんな孤独の中で、唯一心を許したのが、モニターの中の悪役令嬢だった。


『私は世界のために、悪であることを選ぶわ』


 ゲームの中のエリザベートは、誰に弁解することもなく、世界の汚名を一身に背負って断罪された。 その孤高の死に様に、私は強く惹かれた。 「多数の幸福のために、少数の犠牲(あるいは自分の犠牲)はやむを得ない」という功利主義的な正義感を、彼女ほど体現している存在はいなかったからだ。


 だからこそ、転生した時に誓ったのだ。 今度は私が、本物のエリザベートになって、その崇高な責務(死刑)を全うしようと。


「私が生き延びれば、体内の瘴気は止まらず、世界はバッドエンドを迎える。私が周囲に嫌われ、孤立し、最終的に聖女の手で断罪・浄化されることで初めて、この世界に明日が訪れる」


 これは司法取引ではない。情状酌量の余地もない。 私が被告人であり、同時に世界を救うための生贄(人柱)なのだ。


 震える手で、自室の机に置かれた分厚い革張りのノート──通称『悪役遂行マニュアル兼訴追計画書』を手に取る。 表紙には金箔で家紋が押されているが、中身は私の直筆による、緻密かつ狂気的な「嫌われ計画」がびっしりと記されている。


「……お嬢様、また徹夜ですか」というアンナの冷ややかな呟きを背中で受け流し、私はノートを開いた。


 ーーーーーーーーー

【入学式編・行動指針】

 入場遅延工作: 誰よりも遅く入場し、他者を待たせることで傲慢さを演出する。時計の針を3分遅らせておくこと。

 不敬な態度: 新入生代表の挨拶中、あからさまに退屈そうな態度(扇子で仰ぐ、欠伸を噛み殺す等)を取る。ただし、あくびが本気に見えないよう、優雅さを維持すること。

 ファースト・コンタクト: ヒロイン(ミア・ゼン・シャーカン)に対し、生理的嫌悪感を伴う第一印象を植え付ける。

 推奨セリフ: 「同じ空気を吸うだけで不愉快ですわ」

 ーーーーーーーーー


 赤インクで強調されたそのセリフを指でなぞる。 たった一言。されど、少女の心を抉る凶器。


 恐怖がないと言えば嘘になる。 誰だって、嫌われたくはない。蔑まれたくはない。断頭台の露となんて消えたくはない。 かつて私が裁いてきた被告人たちのように、情状酌量を求めて泣き叫びたい衝動が、夜の静寂の中で頭をもたげる。 「私は悪くない」「世界のためなんだ」と叫んで、誰かに抱きしめてもらいたい。


 だが、私は知っている。私欲のためにシナリオを曲げれば、その代償として多くの無辜の民が涙することを。 世界崩壊という最大の悲劇を防ぐためには、私という特異点が排除されなければならない。それが、この世界のロジック(法)なのだ。


「……泣くな、玲子。お前は検察官でしょう」


 自身の頬を両手で叩く。 パァン、と乾いた音が室内に響く。 鏡の中のエリザベートの頬が赤く染まる。その痛みで、恐怖を理性の檻に押し込める。


「さあ、始めましょう。完璧な悪役ピエロの演目を。観客すべてが私を憎み、私を殺したくなるような、極上の悲劇を」


 鏡の中の自分に向け、決別の敬礼を送る。 その瞳には、これから始まる孤独な闘争への、殉教者にも似た悲壮な覚悟が宿っていた。


元・敏腕検察官による、涙ぐましい悪役メイキングの始まりです。

鏡の前で一人、悪役の高笑いや角度を計算する公爵令嬢……。真面目で完璧主義すぎるがゆえに、すでに少しポンコツの気配が漂っていますね。

彼女は無事に(?)世界のために断罪されることができるのでしょうか。


※「面白そう!」「エリザベート頑張れ!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部からブックマークや評価(☆☆☆)での応援をお願いいたします! 執筆の励みになります!

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