8話 鳳凰が鳴いた
あの日、僕があのまま死んでいたなら……。
喜ぶ母さんを見て、生き返らせてくれたことを天狗へ感謝した。
でもあのまま死んでいたなら、今起こっているすべてのことは何も起こらなかったのではないのか?
あの日、僕があのまま死んでいたなら……。
神隠しって言葉を聞いたことがある。
さっきまでいた人が、忽然とその場所から消えて行方不明になることだ。
てっきり僕は人間の不注意から起こるものくらいに思っていた。
でも実際には化け物が結界の中に人間を誘き入れることで、行方不明になっているのだと氷花さんに聞いた。
結界の中に入った人間は、脱出不可能な世界で弄ばれて喰い殺されるらしい。
喰い殺された後の死体は結界内にあるため誰にも気付かれることがなく、人間世界では行方不明になるようだ。
いま僕はマンション裏に流れる川の橋の上に立っている。
僕にはさとりの眼があるから結界内で変わり果てた姿の母さんを見つけることができた。
一面が血の海の中、母さんは口が歪に開き、両目がくり抜かれている姿で殺されていた。
内臓を引きずり出されたのか腹部が開いている。
氷花さんが預けたお守りのミサンガが焼け切れていた。
十中八九、化け物の仕業だ。
氷花さんは周囲を警戒している。
目の前には僕たちの住むマンションがある。
マンションには結界が張ってある。
なんとかあそこまで避難しようと、必死で抗ったと思う。
でも相手の結界内に入ったことで成す術が無かった。
「あ゙あ゙あぁぁぁー!うあ゙あぁぁぁー!あぁぁぁー!」
膝から崩れ落ちて僕は泣き叫んだ。
許せない。
この感情は殺意だ。
母さんを殺した化け物に対しての殺意。
恐怖などない。
今すぐに殺してやる。
これから2人で生きていくはずだった。
ひとりしかいない家族を殺された。
許さない。
「火鳥くん!」
突然店長が現れた。
どうして?
そういえば氷花さんは言った。
『ミサンガを付けている時に近寄ることができる化け物は、天狗の爺様か土蜘蛛の店長くらい』だと。
氷花さん自慢のミサンガを着けていても効果がなかった強力な化け物……。
そうか、コイツだ!
「店長……なんで?」
「火鳥くん!」
「信用してたのに!」
「火鳥くん、ちゃうで!」
「所詮は化け物か!土蜘蛛おぉぉー!」
怒りに飲み込まれた瞬間、僕の右手は轟音と共に炎を放ち纏った。
「……お前を殺す!」
怒りと悲しみに反応して鳳凰が鳴いた。
「殺してやる!」
「違う言うてるのに……」
店長は両手の指先から蜘蛛の糸を放った。
「悪いけど拘束させてもらうで」
放たれた糸は、僕の胴体と四肢に何重にも巻きついた。
「俺の糸は燃やしたり切ったりはできひん。とにかく落ち着いて話を聞いてくれ」
「黙れ!」
「おいおい、ほんまかいな……」
燃え盛る右手で糸を振り払うと、一瞬で糸は焼失した。
「俺の糸を燃やすて、ただの炎やないな……」
「発情鬼!落ち着きなさい!彼は違う」
叫ぶ氷花さんを気にすることもなく、僕は店長に飛び掛かろうとした。
店長は開いた両手をすかさず地面に叩き付けた。
すると無数の円筒状の岩が僕の四肢の隙間を突き刺すように地面から飛び出し、岩を絡ませて僕の動きを完全に封じた。
その上、氷花さんも僕の動きを封じるつもりだった様で両足を凍りつかされている。
「氷花さん、この術を解けー!」
「落ち着いて。真衣を殺したのは彼ではない!」
「ミサンガ付けていても近寄れるのは天狗かコイツくらいだって氷花さんが言ったろ!」
怒り狂う僕に店長がゆっくりと近づいて来た。
店長が悲しそうな顔をしているように見えた。
「俺も火鳥くんと同じや、ママさんのピンチに間に合わんかった。スマン。」
「何ぃ!?」
「彼は真衣を助けに来たんだ。彼よりわたし達の方が先にここへ着いているのは確かさ」
「火鳥くんとこの前話をしてから余計なお世話やとは思たんやけど、火鳥家周辺を子飼いの蜘蛛に監視させとったんや」
店長は町全体に蜘蛛を配置させており、蜘蛛を通して妖力感知や視覚共有を行ない、色々と監視をしていたらしい。
そして今しがた、大きな妖力を感知したと子飼いの蜘蛛から伝達があり、視覚共有で確認すると僕のマンションの部屋を荒らしている化け物が見えたらしい。
それを店長は危険と判断し駆け着けてくれたとのことだった。
「手荒な真似してすまんかった。俺のこと信じられるか?」
僕は氷花さんを見た。
氷花さんは信じろ、と言わんばかりに頷いた。
「ほな術、解くで」
僕の身体を押さえていた岩と氷が砕け落ちた。
地面に落ちていく僕を氷花さんは抱きしめるように支えてくれた。
怒りのやり場を失った僕は動くことができなかった。
今するべきことは何が正解なのか考えたけれども、母さんの仇を追って殺すことしか思いつかない。
なぜ母さんは殺されたんだ?
どうしてあんなに酷い殺し方をされたのか?
目をとって、腹部を開けて……。
許すことができない。
「土蜘蛛、君は蜘蛛との視覚共有でおおよそのことは把握できているのだろ?」
「あぁ」
「それでは教えてもらおうか。発情鬼はもちろん、わたしもこのままでは退けないよ」
店長はすべて話すと言ってくれた。
しかし、今すぐ相手を追わないことを約束することが条件だった。
それに僕は拒否をした。
相手のことがわからない現状での突撃は危険すぎるため許可をできないと言われた。
無数の蜘蛛がその化け物をすでに監視下に置いているから落ち着くように諭される。
敵の数や目的が明確になり、鳳凰の手の発動が安定するまでは戦闘を控える約束もさせられた。
氷花さんはその条件を呑むと勝手に約束をしたうえで、質問を繰り返した。
「それで、相手は何者さ?」
「おそらく、羅刹鳥」
「羅刹鳥!?大陸の奴じゃないか?どうしてそんな奴が……」
羅刹鳥。
大きな鳥の姿をした中国の化け物。性は凶暴にて残虐であり、生きた人間の目を好んで食べる化け物。
「馬鹿でかい鳥の化け物やったから陰摩羅鬼かと思ったんやけどな。目を上手にくり抜いて喰ってるところを見ると、あれは羅刹鳥やと思う」
「目を喰うために真衣をピンポイントで狙ったってこと?」
「その前に結界破ってまでマンション行っとるからホンマは火鳥くん狙いやったんちゃうか」
「それじゃ、さとりの眼を狙ったってことかい……?」
「アイツが好むのは生きた人間の目のはずや。さとりの眼をわざわざ狙うやろうか?そもそも何でさとりの眼の所持者を知っとるのかがわからん」
相手のことがわからないと深追いは危険なのかもしれないが今すぐに殺しに行ってやりたい。
氷花さん、そして店長も身内が殺された訳ではないから冷静でいられるのだ。
「とりあえず羅刹鳥の監視はしておく。変な動きしよったらすぐに連絡する」
「あぁ、お願いするよ」
「それより、これからどうするんや自分ら。マンション戻るのはやめたほうがええで。居場所バレとるからな」
そうだ。
マンションがバレているなら好都合じゃないのか。
ここにいれば黙っていても向こうからやってくるかもしれない。
探さなくてもいいわけだ。
「わたし達は鞍馬山の爺様の家に行こうかと思っている」
「仙人の住む迷い家か……」
なんだマヨイガって?
僕はそんなところに行きはしない。
僕はマンションで待つ、そいつが現れるまでずっと待ってやる。
「鞍馬山はやめといた方がええな」
「どうしてだい?」
氷花さんが不満そうに聞き返した。
「俺の家に来い。相手がどれだけ情報を持っているか不明やけど、俺の家ならまだ相手にバレとらんやろうし幾分マシやと思う」
「土蜘蛛の家に行くだって?」
「そうや、その方がええ。お前もマンションの結界が破られたせいで幻術も消えてもうて自由に動けへんやろ」
「爺様の迷い家でも問題ないさ」
「迷い家はこっちと完全遮断された世界や、いざって時に連絡が取れへん。それに万が一にも敵さんが迷い家の場所を知ってたらどないすんねんな。いくら天狗とお前が強くても、敵さんが団体で一斉攻撃でもしてきたらチーム鞍馬山崩壊するんちゃうか?」
氷花さんは返す言葉もなく黙ったまま下を向いた。
店長はすぐに行動に移すように指示を出してくれた。
まずマンションに戻り、部屋から大事なものを纏めて持ち出す。
そして伯父さんや伯母さんと連絡をとり、友達の家に泊まる等の理由でマンションを留守にすることを伝えるように指示された。
母さんの遺体は氷花さんが供養のために鞍馬山まで持って行くと言っていた。
化け物に殺された魂は、ちゃんとした方法で供養しないと成仏できないらしい。
天狗がその方法に詳しいため、頼みに帰ってくれたのだ。
――――――
僕がマンションに入る頃には雨は止んでいた。
母さんのいない部屋を眺める。
昨日まで、この部屋でご飯食べて……テレビ見て……明日の準備して……。
何の前触れもなく、日常と幸せが消えた。
母さんの仇は必ずとる。
僕は今夜から店長のマンションで過ごすことになった。
羅刹鳥を殺したら必ず戻ってくるからこの部屋から荷物は何も持っていかない。
母さんのことを伯父さんと伯母さんにどう伝えたらいいのだろう……。
いや、それは後で考えることにしよう。
――――――
店長のマンションで一睡もできず朝を迎えた。
このマンションの場所はもちろん部屋の階数も覚えていない。
ただ店長が寝室を借してくれたことは覚えている。
「菓子パン、テーブルに置いとくし食っときや」
リビングから店長の声が聞こえた。
「仕事あるし行くわ。火鳥くんはしばらく休暇扱いにしとく。事情が事情やし気にせんでええで」
僕以外の人々はいつもと変わらない日常を過ごしている。
突然僕は1人ぼっちになった。
当たり前だった生活、それが何よりの幸せだったと気付かされる。
――コンコン――。
部屋をノックして氷花さんが入ってきた。
「何か食べた方がいい……」
菓子パンを差し出してきた。
食べられる訳がない。
「あのマンションに戻って敵が来るのを待とうとしてるだろう?」
「はい」
「行かせられない、危険だよ」
「放っておいてください」
「放っておけないよ。爺様から聞いたんだけど、眼を抜かれて殺された化け物が最近何匹か目撃されているらしいんだ」
よその化け物が眼を抜かれて殺されたって知ったことではない。
僕は母さんを殺した奴に用があるのだから。
「地域外のことだから、あまり気にしてなかったらしいけど君の眼のこともあるからね」
「どんな奴が来たって、この手で燃やしてやります」
「ばか……相手がわたしや土蜘蛛クラスなら瞬殺されるよ」
「……」
その時、部屋の中に日本家屋の門がうっすらと現れた。
「……これは?」
「爺様にお願いして迷い家の門をこの部屋と繋げてもらったのさ」
「迷い家?」
そういえば昨日、迷い家がどうとか話をしていたことを思い出した。
「我々の家さ。山の子以外が滅多に行ける場所じゃないよ」
「氷花さんの家?」
「鳳凰の手も発動したし、迷い家で実戦練習をしようじゃないか」
氷花さんは僕の手を取り立たせた。
門は大きな音をたてて開き、その向こうに立派な屋敷が見えた。
「行くよ」
なんの準備もないまま、氷花さんに手を引かれ僕は迷い家の門をくぐった。