14話 さとりが見た景色
その山には人が来ない。
だからさとりは動物や虫たちと語らう。
その山には人が来ない。
だからさとりは木の実や山の恵みを独り占め。
その山には人が来ない。
だからさとりはたまに人が通ると興味津々。
動物や虫と違って心が言葉でいっぱいだから。
その山に人はいない。
人が来ても人は人の死体を捨てて帰るだけ。
みんな泣きながら捨てていったり、怒りながら捨てていく。
その山である日さとりは驚いた。
捨てられたはずの女の子が生きていたからだ。
何百年と生きてきて、初めてこの道なき深い山中に生きている状態の人間が捨てられた。
2人の大きな人間の片方は怒りながら、そしてもう片方は泣きながらその女の子を捨てて消えていった。
臆病な化け物であるさとりは、いままで人間に近づくことができなかった。
しかし、この捨てられた人間はすでに虫の息。
近づいても動けそうにないくらい衰弱している。
人間を恐れるものの興味こそ持っていたさとりは、初めて人間に近づいてみた。
恐るおそる、ゆっくり近づいた。
横たわる女の子の前にちょうど立った時。
「父……ちゃん……?」
その女の子のか細い呼びかけに、さとりは腰を抜かすほど驚いて飛び跳ねた。
さとりはその場を急いで逃げようとした。
「なんだ……お猿さんか?」
さとりは女の子の方へ振り返った。
「わたしを食べにきたの……?」
さとりはその場から動かず女の子を見つめた。
「わたしを食べたらお猿さんもこの病気が感染ってしまうかも……」
痩せ細った身体に無数の斑点ができている。
疫病を患っているようだ。
疫病を患った我が子に薬も与えられない両親が、村人の目を恐れるがあまり我が子をこの山奥まで捨てにきていたのだ。
「お前、オイラに何もせんか?」
「えっ?」
「怖えこととかせんか?」
「しないよ……わたし起き上がれないから」
さとりは警戒を続けながら女の子の心を読んだ。
「お.き.く……お菊」
「!」
「お菊……5つ」
「わたしのこと……知ってるの?」
少女は弱々しく、さとりを見て微笑んだ。
その時、さとりはこの子に全く敵意が無いことを確信した。
「お話しができる……お猿さん」
「オイラ話せる猿なんだ。すごいだろ?」
「うん……」
さとりは見た目が大きな猿に似ている。
山の中で誰にも見つからないよう、もし見つかっても猿として逃げ切れるように自然とこの姿になったのだ。
「病気で動けんのか?」
「うん」
「腹……減ってるのか。なに食いたい?」
「えっ?……」
「……そうか魚だな。ちょっと待ってろ」
さとりはお菊の心を読んだ。
空腹だと知り、食べたい物を把握して魚を捕まえに行ったのだ。
さとりははじめての人間との会話に心が躍っていた。
しばらくして川魚を両手いっぱいに捕まえてお菊のもとへ戻って来た。
「ほら、食え」
「お魚がいっぱい……すごいね」
「ぜんぶ食え」
「……」
「火で焼くとうまいのか……」
さとりはお菊の心を読んで、魚を枝で刺してから火で焼き始めた。
生で食うのが一番うまいのに……と、さとり的には少し不満があったようだが、魚を焼いている時の香りで喜ぶお菊に嬉しさを覚えた。
そしてその身をほぐして食べさせた時の歓喜するお菊の心の動きに、さとりはさらに感動する。
「うまいのか?」
「うん、こんなにたくさん食べたのはじめて……」
「そか、なら明日も食わしてやる」
お菊の心が踊るように喜んでいることがわかり、さとりも嬉しくなった。
野ざらしは良くないと、お菊を抱えて普段身を潜めている洞穴へと向かった。
そこはさとりの安全な場所。
動物たちも寄ってこない、さとりだけの隠れ家だ。
さとりははじめて、家に客人を招待する。
不安そうな顔をするお菊に声をかけた。
「ここは安心できるところ、ゆっくりしろ」
「……うん、ありがとう」
さとりは《ありがとう》という言葉を聞くとすごく嬉しい気分になった。
翌日も魚を捕まえて食べさせた。
喉が渇いたとわかれば、川の水を木の皮で重ねて作った器で運んで飲ませた。
お菊はなにかしてやる度に喜んでくれた。
それを見て、さとりも嬉しい気持ちになった。
3日目には体調が良くなり、さとりと川まで歩いたりした。
その日は野鳥を捕まえ焼いて食べさせると、お菊は父ちゃんと母ちゃんにも食べさせてやりたいなぁ。とつぶやいた。
さとりは自分以外の人間のことを、ましてや自分を捨てた人間を思いやるお菊の心を不思議に思った。
「明日は猪の肉食え。精がつく」
「うん」
しかし、その夜お菊の体調は一変する。
激しい呼吸を繰り返し、吐血を繰り返した。
さとりは困惑した。
この苦しみを和らげる方法がわからない。
お菊の心を見てもわからない。
3日間のお菊との生活はさとりにとって大切なものだった。
あれほど警戒していた人間という生き物が大好きになった。
良い案が浮かばないさとりは、人里に行って治療方法を聞くことを考えた。
人間の恐ろしさはある程度知っている。
化け物や動物は目に入り次第、駆逐しようと攻撃をしてくる生き物だ。
しかし人間の知恵はどの生物よりも高いことも知っている。
お菊の病の対処法も熟知している可能性が高い。
「お菊。オイラは今から病気の治し方を人間に聞いてくる」
お菊は激しい呼吸を繰り返している。
「すぐ戻る。待ってろ」
「お猿さん……ありが……とう」
こんなに苦しい時にでもどうして礼を言えるのか?
さとりは何としてでもお菊を助けると心に誓った。
――ありがとう――。
元気になったお菊からこの言葉をもう一度聞きたい。
その一心でさとりは獣の肌を隠すため全身にぼろきれを纏い、真夜中の人里へと向かうのだった。
――――――
人里に着いても誰に聞いて良いのかわからない。
真夜中の通りを歩いている人間はまずいなかった。
とりあえず灯りの見える家を訪ねることにした。
「もし……もうし」
真夜中、灯りの燈る一軒の家に声をかけた。
「……なんじゃこんな時間に?」
村人が1人、戸を開けた。
ボロ切れに身を包み、人間のふりをしたさとりは村人に質問をする。
「全身に斑点ができている人間を助けたい。どうすればいい?」
村人はこんな時間に怪しげな質問をするさとりを警戒した。
もちろん警戒されていることは心を読んでいるのでわかっている。
「今流行っとる疫病が全身にいっちまったんだろ?もう終わりだよ、そいつ」
「なんとかならんか?」
「……ならねえよ」
「そうか」
村人がボロ切れからはみ出ているさとりの腕や脚をみて、人間では無いことに気付いたことがわかった。
さとりは身を退くため足早に家から離れたのだが、村人の行動は早かった。
「誰かぁー!化け物がおるぞー!助けてくれー!」
さとりは急いで山へ戻ろうとした。
しかし、そこに複数の村人が竹槍を持って現れた。
「なんでぇ、コイツが化け物か!」
「逃すな!」
「もっと竹槍持ってっこい!投げろぉぉー」
さとりは人間に襲われ、なんの情報も得られないまま山へ戻ることになった。
鎌で切られ、棍棒で殴られ、投げた竹槍は肌をかすめ、傷だらけになったが辛うじて逃げて帰れた。
お菊の元に着く頃には夜が明けていた。
「お菊すまね……病気の治し方がわからなかった……」
「……」
「お菊?」
お菊から反応がない。
「……」
お菊の心の声が読めない。
「おい……?」
お菊は死んでいた。
さとりが人里に行っている間、誰にも看取られず1人で逝ってしまったのだ。
「お菊、死ぬな」
「今日は猪食わしてやるからよ……うまいし力付くぞ。なぁ?」
「おい、目を開けぇよ……なぁ」
さとりはお菊を抱きしめた。
今まで知らなかった感情が身体を駆け巡る。
「大丈夫だ。人間ならなんとかしてくれる……」
人間ならこの状況を何とかする知恵がある。
そう考えたさとりはお菊を抱きしめ、もう一度人里へ行くことを決心した。
――――――
そして次の夜を迎える。
さとりはお菊を背負い、人里に入った。
昨晩襲われている時に逃げながら村の陰陽寮を確認していた。
そこにお菊を持っていけば陰陽師がなんとかしてくれると考えた。
さとりは陰陽寮の戸の前にお菊の骸を置いた。
その横には川で捕ったたくさんの魚と、山で狩った野鳥を置いた。
「陰陽師よ。お菊を置いておくで助けてやってくれ。礼に魚と鳥も置いとく。全部食べたらいい。足りねえなら明日もっと持ってくる。だからお菊にも食わしてやってくれ」
さとりは大きな声で伝えた。
何度も同じことを繰り返し伝えた。
村人が外に出てくるまで繰り返し伝えた。
「また出たか化け物が!」
村人が見えると同時にさとりは逃げた。
これだけ言えば誰かは聞いていたはずだ。
お菊は誰かが助けてくれる。
そんな希望を持って山へ戻ろうとした。
昨日の騒動から、野生の動物を捕まえるための罠を村人は所狭しと設置していた。
さとりはその罠にかかってしまう。
人の心は読めても物の心は読める訳もない。
罠があることも知らず、逃げ回ったため足を取られた。
「ギャァー!」
「罠にかかったぞー」
村人たちは寄ってたかって投石した。
両手で石から身を護るさとりを、なんども竹槍で突き刺した。
どっちが化け物かわからないくらいの残酷が行われた。
投石により右目が潰され、逃げられないように足は切断された。
繰り返し暴行をした後、反応がなくなり死んだと判断した村人達はさとりを川に投げ捨てた。
そしてさとりの願いも空しく、村人たちはお菊の骸も村外れの川下へ投げ捨てたのだった。
――――
さとりは化け物だ。
生命力は人間の比ではない。
傷だらけにされ瀕死ではあるが、奇跡的に河岸に流れ着いた。
受けたダメージは大きく、身体を動かせる力はすでに無かった。
さとりはただ死ぬのを待つだけの状態だった。
「愚かにもほどがある。化け物の願いを人間が聞いてくれると思うたのか?」
仰向けに倒れているさとりに声をかける者がいた。
若かりし頃の天狗の牛丸だ。
「よぉ、山の主……里であれだけ助けてやってくれと言ったんだ……誰かがお菊を助けてくれる……だろ?」
「……」
「……えっ?」
さとりは天狗の心からお菊の顛末を知ってしまう。
「死んだものは生き返らない。そんなこともわからなくなったのか?さとりよ」
「……」
絶望したさとりは夜空を眺めた。
「人間に……関わったらいかんかったな……やっぱり」
「人間の全てが悪ではない」
「なぁ……主よ」
「!」
「お菊の骸を拾って……どこかに墓を作ってやってくれ」
「?」
「人間て……死んだら墓という石の下に埋めるだろ?」
「……あぁ、そうだ」
「なら……頼む……」
天狗は目の前にいる、死に逝くさとりの願いを承諾することにした。
死が近づいたさとりの身体が朽ち始めた。
さとりは自分が滅びたあと、左目だけは残るように妖力を込め始めた。
その眼を自ら抜き取り、礼として受け取るように天狗へ手渡した。
「なんの礼もできんから、オイラの目をやるよ。誰もが欲しがるさとりの眼だ……貴重だぜ」
天狗は一瞬その申し出を断ろうとした。
しかし眼を差し出してくるほどのさとりの思いを読み取り、さとりの眼を受け取った。
さとりの眼はあらゆる化け物が欲しがる心を読む眼。
放置すれば悪用される可能性が充分にある。
「お前の眼は儂が責任持って預かることにしよう」
「へっ……好きに使ってくれ……」
「この眼を持って、あの娘の墓参りへ連れて行ってやろう」
「へへっ……そりゃ良い」
「安心して逝くがいい」
さとりの身体が消えていく。
さとりは最後の力を振り絞って、牛丸へあの言葉を残した。
「……ありが……とう」
――――――
目の前にいる大きな猿は、自らをさとりと言った。
1つ頼み事を聞くだけで、さとりの眼の使い方を教えると言ってきた。
ということは僕ってこの眼をまだ使いこなせていなかったのだ。
よし。
どんな頼み事かわからないが、何だって聞いてやる。
だから教えてもらおう、さとりの眼の使い方を。




