第9話 言葉少なな感謝とドワーフ職人
謎の美人エルフが、俺の畑仕事を手伝うようになってから、しばらくの時間が過ぎた。
彼女は相変わらず口数が少なく、自分のことは一切語らない。
俺も、無理に聞き出そうとは思わなかった。
ただ、一つだけ、どうしても知りたいことがあった。
「あの……」
ある日、一緒に雑草を抜いている時に、俺はおそるおそる切り出した。
「えっと……いつまでも『あなた』って呼ぶのも不便なので……もし、差し支えなければ、お名前を教えていただけませんか?」
彼女はぴたりと手を止め、俺の方を見た。
翡翠の瞳が、わずかに揺れたように見えたのは気のせいだろうか。
しばらくの沈黙の後、彼女は小さく、ほとんど聞き取れないような声で呟いた。
「…………シルフィ」
「え?」
「……シルフィだ」
「シルフィ……さん」
綺麗な名前だ。
なんとなく、彼女の雰囲気に合っている気がする。
名前を教えてくれたということは、少しは心を開いてくれたということだろうか。
「ありがとうございます、シルフィさん」
俺が言うと、彼女はふいっと顔を背け、また黙々と作業に戻ってしまった。
照れているのか、それとも別に何とも思っていないのか、俺には判断がつかない。
名前が分かってからも、シルフィさんの基本的な態度は変わらなかった。
必要最低限のことしか話さないし、感情を表に出すこともほとんどない。
それでも、以前に比べると、ほんの少しだけ、彼女の行動に変化が見られるようになった気がする。
例えば、俺が重い石を運ぼうとして難儀していると、どこからともなく現れて、黙って反対側を持ってくれたり。
例えば、作業小屋の前に、いつの間にか見たこともない薬草や、綺麗な色の木の実がそっと置かれていたり。(後でリリアさんに聞いたら、どちらも貴重なものらしかった)
例えば、俺が休憩中に食べているトマトを、じっと見ていたかと思うと、おずおずと手を伸ばし、受け取って、少しだけ、ほんの少しだけ、美味しそうに口にしたり。
「(律儀な人だな……まだ借りを返してるつもりなんだろうか)」
「(森でたまたま見つけたのかな? ありがたいけど……何に使えばいいんだろう?)」
「(お、口に合ったみたいで良かった。エルフって野菜食べるんだな)」
俺は、彼女のそんな行動を、それぞれ都合よく解釈していた。
まさか、それが彼女なりの感謝の表現だったり、あるいは……もっと別の感情が込められている可能性なんて、微塵も考えなかった。
だって、俺はただの冴えないおっさんで、彼女は神秘的な美しいエルフなのだ。
接点があること自体が不思議なくらいなのに、それ以上の関係性なんて、あり得るはずがない。
ある時、二人で畑の世話をしていると、シルフィさんが不意に呟いた。
「……あなたの畑は、心地よい」
「え?」
「……空気が、澄んでいる。……落ち着く」
珍しく、彼女が自分の感想のようなものを口にした。
しかも、俺の畑を肯定するような言葉だ。
「そ、そうですか? それは良かった。手伝ってくれてありがとうございます、シルフィさん」
俺は、畑の居心地が良いなら何よりだ、くらいの気持ちで礼を言った。
彼女が、畑そのものだけでなく、そこで働く俺自身や、俺の持つスキルが生み出す気に安らぎを感じている可能性など、全く思い至らない。
シルフィさんは、俺の返事を聞くと、また黙り込んでしまった。
その横顔は、どこか満足そうにも、少しだけ寂しそうにも見えた。
もちろん、俺の気のせいだろうけど。
言葉は少ない。
それでも、一緒に畑で過ごす時間が増えるにつれて、俺たちの間には、確かに何かの繋がりが生まれているような気がした。
それが友情なのか、単なる協力関係なのか、それとも……。
俺の鈍感力がフル稼働している限り、その答えが出る日は、まだまだ遠いのかもしれない。
俺は、隣で黙々と土に触れるシルフィさんの白い手に目をやりながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
秋の空は高く、澄んでいた。
*****
シルフィさんとの奇妙な共同作業にも慣れてきた今日この頃。
畑の面積も広がり、作業量も増えてきたことで、俺は一つ、新たな課題を感じ始めていた。
それは、道具の問題だ。
村で物々交換して手に入れた鍬や鋤は、古くて使い込まれているせいもあるが、どうにも使い勝手が悪い。
重いし、土を深く耕すのにも力がいる。
現代日本でホームセンターに行けば、もっと軽くて、効率的に作業できる農具がたくさんあったのになぁ……。
「(例えば、もっと刃の角度がこうなってて、土がすくいやすい鍬とか……種まきが一度にできる道具とか……あったら便利だよな……)」
そんなことを考えながら、俺は休憩中に、地面に木の枝で簡単なスケッチを描いてみた。
現代の農具を思い出しながら、こんな道具があったらいいな、というアイデアを形にしてみる。
「……そうだ。確か、この村には腕のいい鍛冶屋さんがいるって、ダリルたちが言ってたな」
ドワーフの鍛冶屋さんで、名前はゴードンさん、だったか。
頑固だけど、腕はピカイチだと。
もしかしたら、俺の考えた農具を作ってくれたりしないだろうか?
いや、でも、素人の考えた変な道具なんて、相手にされないか……。
「(でも、ダメ元で聞いてみるだけなら……)」
少しでも作業が楽になるなら、それに越したことはない。
俺は意を決して、若者たちに場所を教えてもらったゴードンさんの工房を訪ねてみることにした。
ゴードンさんの工房は、村の中心から少し離れた場所にあった。
カンカン、と金属を打つ音が響き、工房の中からは熱気が伝わってくる。
中を覗くと、いかにもドワーフといった感じの、背は低いが屈強な体つきの男性が、真っ赤に焼けた鉄と格闘していた。
顔には煤がつき、汗を光らせている。
真剣なその表情は、まさに職人そのものだ。
「あ、あのー、ごめんください……」
俺がおそるおそる声をかけると、ドワーフ……ゴードンさんは、ちらりとこちらに視線を向けたが、すぐに作業に戻ってしまった。
どうやら、取り込み中だったらしい。
まずいタイミングで来てしまったか……。
しばらく待っていると、ようやく作業が一段落したのか、ゴードンさんが汗を拭いながらこちらに向き直った。
その目は、鋭く、値踏みするようだ。
「……なんだ、あんた。見かけねぇ顔だな。何の用だ?」
低い、嗄れた声。
いかにも頑固そうな雰囲気だ。
「あ、あの、俺はコースケと言います。村はずれで畑をやっている者ですが……」
「畑? ふん、農夫がか? 鍛冶屋に何の用だ。農具なら、使い古しでもそこらに転がってるだろうが」
ゴードンさんは、鼻を鳴らして言った。
やっぱり、取り付く島もない感じか……。
「い、いえ、その、使い古しで十分なのは分かってるんですが……実は、こんな道具があったらもっと作業が楽になるんじゃないかと思いまして……」
俺は懐から、木の枝で描いたスケッチ……ではなく、後でこっそり炭で紙(村で手に入れた羊皮紙のようなもの)に描き直しておいた農具の図を見せた。
「その、もし、こんなものを作っていただくことは可能かな、と……」
ゴードンさんは、訝しげな顔で俺の差し出した紙を受け取った。
そして、そこに描かれた拙いスケッチに目を落とす。
最初は、「なんだこれは?」という顔をしていたが、次第にその表情が真剣なものに変わっていく。
「…………ほう?」
ゴードンさんは、スケッチに描かれた鍬(現代風の、土を効率よく返せる形状を意識したもの)や、鋤(土を深く掘り起こせるような形にしたもの)の図を、食い入るように見つめている。
「この鍬の形……柄の角度……それに、この鋤の刃の長さ……。ふむ……」
彼は唸りながら、図面と俺の顔を交互に見る。
「あんた、これを自分で考えたのか?」
「え? あ、はい。まあ、昔使ってた道具を思い出したりしながら……素人考えですけど」
「素人考え、だと……?」
ゴードンさんの目が、カッと見開かれた。
怒らせてしまったか!?
「この形状……! この重心バランス……! なるほど、これなら確かに、少ない力で土を深く、効率よく耕せるかもしれん……! くそっ、なんで今まで思いつかなかったんだ!」
ゴードンさんは、スケッチを握りしめ、興奮した様子で叫んだ。
どうやら、怒っているのではなく、感心……いや、それ以上に、ドワーフとしての創作意欲を激しく刺激されたらしい。
「おい、農夫! いや、コースケと言ったか!」
「は、はい!」
「面白い! 実に面白いぞ、あんたの発想は!」
ゴードンさんは、ニカッと歯を見せて笑った。
さっきまでの頑固そうな表情はどこへやら、まるで子供のようにはしゃいでいるように見える。
「よし! 作ってみるぞ! あんたの考えたこの新しい農具、このゴードン様が形にしてやろう!」
「えっ!? 本当ですか!?」
「おう! ドワーフに二言はねぇ!」
まさかの展開だった。
頑固な職人に門前払いされるかと思いきや、俺の拙いスケッチが、彼の創作魂に火をつけてしまったらしい。
「ただし!」
ゴードンさんは人差し指を立てる。
「試作品だ。上手くいくかは分からんぞ。それに、材料費と手間賃は、あんたのあの美味い野菜で払ってもらうからな!」
「は、はい! もちろんです!」
野菜でいいなら、いくらでも提供しよう。
こうして、俺は頑固だが腕は確かなドワーフの鍛冶屋、ゴードンさんと知り合い、新たな農具開発(?)に乗り出すことになった。
これもまた、予想外の展開だ。
俺の異世界生活は、本当に、次から次へといろんなことが起こる。
まあ、便利な農具ができるなら、大歓迎だけど。
俺は、ゴードンさんの工房から響く、力強い槌の音を聞きながら、少しワクワクした気持ちで畑への帰り道を歩いていた。