第6話 商談とお誘い
「お話、ですか?」
俺が聞き返すと、セーラさんはにっこりと笑みを深めた。
その笑顔は魅力的だが、どこか計算されたものを感じる。
さすがは行商人、といったところか。
「ええ、そうよ。単刀直入に言うわね、コースケさん」
彼女は畑に実っている真っ赤なトマトを指さした。
「そのトマト……すごく珍しくて、見た目も素晴らしいわ。味も、村の人たちの評判を聞く限り、とんでもなく美味しいんでしょう?」
「あ、はい……まあ、皆さんはそう言ってくれますけど……」
「謙遜しなくていいのよ。私の目はごまかせないわ。これはね、町に持っていけば、かなりの高値で売れるはずよ」
セーラさんの目がキラリと光る。
商売人の目だ。
「高値……ですか?」
「ええ、そうよ。特に貴族やお金持ちは、こういう珍しくて美味しいものには目がないの。あなたのこの野菜なら、きっと引く手あまただわ」
彼女は自信満々に言う。
「そこで提案なんだけど……あなたの作るその特別な野菜、私に独占的に卸してくれないかしら? もちろん、それなりの値段で買い取らせてもらうわ。お互い、儲かる話だと思うんだけど?」
セーラさんは、俺にとってかなり有利な条件(のように聞こえる)を提示してきた。
独占契約、高値での買取……。
普通の人間なら、飛びついてもおかしくない話だろう。
しかし、俺は……。
「え? 独占、ですか……? でも、そうすると、村の人たちと交換できなくなっちゃいますよね?」
俺が素でそう返すと、セーラさんは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「…………え? 村の人……?」
「はい。俺、この野菜と、塩とか古着とか、色々なものを村の人たちと交換してもらってるんです。それができないと、ちょっと困るというか……」
俺にとっては、目先の儲け話よりも、日々の生活を支えてくれている村の人たちとの物々交換の方が、よっぽど重要だった。
「い、いや、だから、私が高く買い取るんだから、そのお金で必要なものは買えるでしょう?」
セーラさんが少し焦ったように言う。
「お金……ですか。でも、この村じゃあまりお金は使わないみたいですし……それに、俺の野菜がそんなに高く売れるなんて、信じられませんよ。きっと、セーラさんが買いかぶりすぎてるだけですって」
俺は本気でそう思っていた。
自分の作ったものが、そんな大金になるほどの価値があるとは、到底思えなかったのだ。
「それに、俺としては、この野菜で村の人たちが喜んでくれるのが一番嬉しいんです。高く売れるとか、儲かるとか言われても、あまりピンとこなくて……すみません」
俺が正直な気持ちを伝えると、セーラさんは呆気に取られたような顔で、しばらく黙り込んでしまった。
彼女の自信に満ちた笑顔が消え、代わりに戸惑いの色が浮かんでいる。
「…………あなた、本気で言ってるの?」
ややあって、セーラさんが呆れたような、それでいて何かを探るような目で俺を見てきた。
「え? はい、本気ですが……何かおかしなこと言いましたか?」
「…………」
セーラさんは、はぁー、と深いため息をついた。
そして、急に可笑しそうにクスクスと笑い出した。
「ふふ、あはは! なにそれ! あなた、本当に面白い人ね!」
「え? 面白い……ですか?」
「だって、目の前に大儲けの話がぶら下がってるのに、全然興味ないんだもの! しかも、自分の野菜の価値にも気づいてないなんて!」
セーラさんはひとしきり笑うと、改めて俺に向き直った。
その目には、先ほどの商売人の鋭さとは違う、純粋な好奇心のようなものが宿っている。
「……分かったわ。独占契約の話は、一旦保留にしましょう」
「え、いいんですか?」
「ええ。でも、諦めたわけじゃないから。それに……なんだか、あなた自身にも興味が湧いてきちゃったわ」
セーラさんは意味深な笑みを浮かべる。
「(興味……? 俺に? なんでまた……?)」
美人でやり手の行商人は、どうやら俺の予想外の反応に、すっかりペースを乱されてしまったようだ。
そして、なんだかよく分からないが、俺という人間そのものに興味を持たれてしまったらしい。
「これから、ちょくちょく顔を出すわね、コースケさん」
そう言い残して、セーラさんは荷馬車へと戻っていった。
俺は、その場に立ち尽くしたまま、首を傾げるしかなかった。
商談は不成立……のはずなのに、なんだか余計に面倒なことになったような気がする……。
新たな訪問者の登場は、やはり一筋縄ではいかない波乱を呼び込みそうだった。
*****
あの美人行商人、セーラさんの「ちょくちょく顔を出す」という宣言は、どうやら本気だったらしい。
それからというもの、彼女は数日に一度くらいのペースで、ひょっこりと俺の畑に現れるようになった。
行商の途中なのか、あるいは単なる気まぐれなのか……。
「やあ、コースケさん。今日も精が出るわね」
今日もセーラさんは、涼しい顔でやってきた。
そして、俺が泥まみれになって作業しているのを見て、わざとらしくため息をつく。
「あらあら、またそんなに汚しちゃって。せっかくの男前が台無しよ?」
「お、男前!? やめてくださいよ、セーラさん! 俺なんかただのおっさんですよ!」
俺は慌てて否定する。
この人は、どうしてこうも軽々しく、俺をからかうようなことを言うんだろうか。
「あら、謙遜しなくていいのに。あなたはもっと自信を持った方がいいわ。黙々と畑仕事に打ち込む姿なんて、結構魅力的よ?」
「み、魅力的……!? ご冗談を!」
「ふふ、冗談じゃないわよ?」
セーラさんは悪戯っぽく笑って、俺の顔をじっと見つめてくる。
その距離の近さと、真っ直ぐな視線に、俺はどぎまぎして視線を逸らしてしまう。
「(うう……心臓に悪い……)」
彼女のアプローチは、リリアさんの純粋な親切とは全く違う種類のものだ。
大人びていて、積極的で、どこか試すような響きがある。
そのせいか、俺はいつも彼女のペースに巻き込まれて、タジタジになってしまう。
もちろん、彼女の言動を本気で受け止めているわけではない。
これだけ綺麗な人が、俺みたいな冴えない中年男に本気で好意を持つなんて、あり得ない。
きっと、商談を有利に進めるための駆け引きか、あるいは単に俺の反応を見て面白がっているだけだろう。
「それにしても、あなたの野菜は本当に素晴らしいわね。これだけのものを作れるなんて、すごい才能だと思うわ」
セーラさんは畑に実る野菜を見ながら感心したように言う。
「あ、ありがとうございます……」
「私ね、そういう才能のある人、結構好きなのよ」
「は、はぁ……(それはどうも……って、どういう意味だ?)」
意味深な言葉に、俺はどう返していいか分からない。
彼女は時々、俺の過去……と言っても記憶喪失のふりをしているのだが……を探るような質問をしてきたり、俺が村の人たちとどうやって物々交換をしているのか、そのやり方について意見を言ってきたりもした。
「あなたのやり方、少しお人好しすぎるんじゃない? もう少しうまくやれば、もっと有利に交換できるはずよ」
「そ、そうですかね……? でも、俺はこれで十分というか……」
「まあ、そこがあなたの良いところなのかもしれないけどね」
セーラさんは、行商人としての経験からか、物事を見る目が鋭い。
時折、俺が気づかなかったような村の問題点や、人間関係の機微を指摘してくることもあった。
(元営業職の俺としては、少し感心してしまう部分もあるのだが、それを口に出すと、またからかわれそうで言えない)
「あなたは本当に面白いわ、コースケさん。見ていて飽きない」
セーラさんは、今日も満足そうに笑って、去っていった。
残された俺は、どっと疲労感に襲われる。
「(なんなんだ、あの人は……)」
美人でやり手の行商人からの、積極的(?)なアプローチ。
それが好意からくるものではないと分かっていても、俺の心臓と自己肯定感は、彼女が現れるたびにジェットコースターのように揺さぶられるのだった。
リリアさんの純粋な好意と、セーラさんのからかい混じりのアプローチ。
タイプの違う二人の女性に振り回される日々は、まだまだ続きそうだった。