第4話 リストラおっさん、師匠と呼ばれる
村での初めての物々交換は、思った以上の成果だった。
手に入れた塩や干し肉のおかげで、食事の味も格段に良くなったし、古着に着替えたことで、ようやく異世界に少し馴染めたような気もする。
鍋や古い鍬も、これからの生活と畑仕事に役立つだろう。
「よし、もっと頑張って、もっと良い野菜を作らないとな」
生活の基盤が少し安定したことで、俺は畑仕事にさらに集中できるようになった。
スキル【土いじり】を駆使し、開墾範囲を広げ、新しい畝を作り、持ってきた他の種も植えてみる。
土の状態を読み取り、最適な改良を施し、植物の声に耳を澄ませて、水やりのタイミングを見極める。
我ながら、怪しい農夫まっしぐらだ。
そんな俺の元に、ほぼ毎日、欠かさずやって来る人物がいた。
リリアさんだ。
「コースケさん、こんにちは! 今日もお仕事ですか?」
今日も彼女は、太陽みたいな笑顔でやってきた。
手には小さな包みを持っている。
「あ、リリアさん。こんにちは」
「これ、お昼ご飯。お母さんが、コースケさんの分もって……」
包みを開けると、香ばしい匂いのする黒パンと、野菜のスープが入っていた。
村では貴重な食事のはずだ。
「えっ!? い、いえ、そんな! 毎日いただくわけには……!」
俺は慌てて断ろうとする。
彼女の親切は本当にありがたい。
ありがたいのだが、正直、少し困惑もしていた。
なぜ、彼女はここまでしてくれるのだろうか。
「いいんです! コースケさん、いつも畑仕事ばかりで、ちゃんと食べてるか心配だって、お母さんが」
「そ、それは、まあ……自分で採れた野菜とか食べてますから、大丈夫ですよ」
「だめです! 野菜だけじゃ力が出ませんよ。ほら、遠慮しないでください」
リリアさんは有無を言わさぬ笑顔で、包みを俺に押し付ける。
彼女の純粋な親切心は疑っていない。
でも、それにしても、だ。
記憶喪失の、素性の知れない中年男に、どうしてここまで……。
「(何か、俺に頼みごとでもあるんだろうか……? いや、でもそんな様子は……まさか、下心とか? いやいやいや! 俺相手にそんなバカなことがあるはずない!)」
自己肯定感の低い俺の思考は、すぐに悪い方向と、それを打ち消す自己否定へと向かう。
結局、彼女の真意は分からないまま、俺は差し出された食事を受け取るしかなかった。
「ありがとうございます……いつもすみません、リリアさん」
「ううん、気にしないでください!」
食事だけではない。
リリアさんは、畑仕事を手伝おうとしてくれることもしばしばあった。
「コースケさん、何かお手伝いできることはありますか?」
「いえいえ! 大丈夫です! リリアさんにお手伝いしてもらうなんて、そんな!」
俺は全力で断る。
こんな重労働、女の子にさせるわけにはいかない。
それに、スキルを使って作業しているところを、あまりじっくり見られたくないという気持ちもあった。
「でも……」
「本当に大丈夫ですから。気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」
俺が固辞すると、リリアさんは少し残念そうな顔をするが、無理強いはしてこない。
その代わり、畑のそばに座って、俺が作業する様子をじっと見ていたり、村での出来事を話してくれたりする。
正直に言えば、彼女とのそんな時間は、俺にとってかけがえのないものになりつつあった。
慣れない異世界での孤独な生活の中で、彼女の存在は間違いなく大きな支えになっていた。
彼女の明るい笑顔や、他愛のないおしゃべりが、どれだけ俺の心を軽くしてくれているか。
それでも、やはり申し訳なさと、理由の分からない親切への戸惑いは消えない。
「……本当に、なんでなんだろうな……」
リリアさんが帰った後、俺は一人、首を捻るのだった。
彼女の親切に戸惑いながらも、その交流が日常の一部となり、俺の異世界生活に彩りを与え始めている。
そんな奇妙な日々が、続いていた。
俺の畑と、そこで採れる野菜の噂は、リリアさん親子だけでなく、村全体に少しずつ広まっているようだった。
それは、新たな訪問者をもたらすことになった。
村の若者たちだ。
最初は、数人が遠巻きに俺の畑を眺めているだけだった。
「おい、あれが噂のよそ者の畑か?」
「へぇ、本当に野菜がなってるぜ」
なんてヒソヒソ話しているのが聞こえてくる。
まあ、無理もない。
得体の知れない中年男が、村はずれの荒れ地を勝手に耕しているんだからな。
「……何か用かな?」
俺が恐る恐る声をかけると、彼らは少しバツが悪そうな顔をした。
中には、ぶっきらぼうな態度で接してくる者もいた。
「別に。どんなもんか見に来ただけだ」
「ふん、大したことねぇな」
まあ、こんなものだろう。
俺は特に気にするでもなく、黙々と自分の作業を続けた。
下手に刺激しない方がいい。
しかし、そんな若者たちの態度も、少しずつ変化していくことになる。
きっかけは、やはり俺の作る野菜だった。
物々交換で手に入れた村人が、その異常な美味しさを口々に語る。
リリアさんが、時々俺の代わりに若者たちに野菜を分けてあげることもあったらしい。
ある日、畑仕事をしていると、以前「大したことねぇ」と言っていた若者の一人が、またやってきた。
今日は一人だ。
なんだか、言いにくそうな顔をしている。
「……あのさ」
「はい?」
「……この前、もらったトマト、すげぇ美味かったんだけど」
「あ、そうですか。それは良かった」
「……どうやったら、あんな味になるんだ?」
彼は、単刀直入に聞いてきた。
他の若者たちも、興味があるのか、少し離れた場所からこちらを窺っている。
「どうやって、と言われましても……普通に育ててるだけですが……」
俺は困ってしまう。
スキルのことは言えない。
「でも、土をよく観察して、その土に合ったやり方をするのが大事じゃないですかね? あとは、病気にならないように、こまめに様子を見るとか……」
俺は、現代の家庭菜園で得た知識や、ネットで調べた基本的な栽培方法を、当たり障りのない範囲で説明した。
連作障害の話や、簡単な有機肥料の話なども交えながら。
「へぇ……そんなやり方があるのか」
若者は真剣な表情で聞き入っている。
他の若者たちも、いつの間にか近くまで寄ってきていた。
「この村の畑は、ずっと同じやり方だからな……」
「土が痩せてきてるって、爺ちゃんも言ってた」
彼らの村の農業にも、色々と課題があるようだ。
俺の拙い知識でも、何かヒントになるならと思い、聞かれるままに答えていく。
もちろん、「あくまで家庭菜園の知識ですけど……」と前置きは忘れずに。
そんなやり取りが何度か続くうちに、若者たちの俺を見る目が変わってきた。
最初は冷やかし半分だったのが、次第に感心や、尊敬のような色を帯びてきたのだ。
そして、ある日、事件は起きた。
「師匠!」
例の若者が、他の数人と一緒にやってきて、いきなり俺に向かって頭を下げたのだ。
「し、師匠!? な、なんですか急に!?」
俺は心底驚いて、飛び退いた。
「俺たちに、あんたの農業技術を教えてくれ! 頼む!」
「いやいやいや! 無理ですって!」
俺はぶんぶんと首を横に振る。
「俺はただのしがない農夫ですよ!? 師匠なんて、とんでもない!」
「でも、コースケさんの野菜は本当にすごい! 俺たちの村の畑も、もっと良くしたいんだ!」
「そ、それは……皆さんが頑張れば、きっと……」
「だから、教えてほしいんだ! 師匠!」
「師匠って呼ぶのはやめてください!」
押し問答が続く。
彼らの熱意は本物みたいだが、俺には荷が重すぎる。
専門家でもなんでもない、ただのリストラおっさんなんだぞ?
結局、師匠呼びは全力で拒否したが、彼らが畑に来て、俺の作業を見たり、質問してきたりすることは日常になった。
俺は相変わらず謙遜しつつも、彼らの真剣な眼差しに応えないわけにもいかず、知っている限りの知識やコツを教える羽目になっている。
「(なんでこうなった……)」
若者たちに囲まれながら、俺は内心ため息をつく。
人付き合いは苦手なはずなのに、異世界に来てから、なんだかんだで色々な人と関わってしまっている。
まあ、彼らが俺を頼ってくれるのは、悪い気はしないのだけれど。
こうして、俺の周りには、世話焼きな村娘に加えて、弟子のような若者たちまで集まり始めていた。
静かな農業ライフは、どこへやら……。
俺の異世界生活は、ますます賑やかになりそうな気配だった。