第29話 豊穣の畑と忍び寄る影
季節は容赦なく移り変わり、サルーテ村にも本格的な冬の気配が漂い始めていた。
畑の土も朝晩は霜で白くなり、日中の日差しもめっきり弱々しくなった。
村の畑では、秋の収穫もほぼ終わりを迎え、人々は厳しい冬に備えて、乏しい食料の管理や、家々の冬支度に追われている。
そんな中、俺の畑だけは、まだどこか異質な豊かさを保っていた。
スキル【土いじり】のおかげなのか、寒さに強い葉物野菜や根菜類は、まだまだ元気に育っている。
それに、俺が現代知識で試していた、簡単なビニールハウス(?)のようなもの……木の枠に、半透明な素材(セーラさんに無理を言って手に入れてもらった、油紙のようなもの)を張っただけの粗末な設備だが……の中では、トマトやキュウリまでもが、季節外れの小さな実をつけていた。
これらの作物は、今や村の貴重な食料源として、ますます重要な役割を担うようになっている。
俺は、収穫した野菜の多くを、村の共有備蓄として提供していた。
それが、今の俺にできる、数少ない村への貢献だったからだ。
しかし、その豊かさが、良くない注目を集め始めていることにも、俺は気づいていた。
「最近、妙な視線を感じることが増えたな」
畑仕事をしていると、森の木々の間や、遠くの道の陰から、誰かがこちらを窺っているような気がするのだ。
気のせいかもしれない。
だが、その頻度は確実に増えている。
そして、その視線の主は、見慣れた村人ではない、明らかに「よそ者」の雰囲気を漂わせていた。
セーラさんが警告していた、「よからぬ輩」だろうか?
俺の野菜を狙う盗人か、あるいは、俺の秘密を探ろうとする何者か……。
決定的な出来事があったのは、数日前の夜だ。
朝、畑に出てみると、ビニールハウス(?)の一部が破られ、育てていたトマトがいくつか、ごっそりとなくなっていたのだ。
大きな被害ではない。
だが、明らかに誰かが夜中に忍び込み、作物を盗んでいった証拠だった。
「(ついに、来たか……)」
俺は、ぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。
犯人が村人なのか、外部の人間なのかは分からない。
だが、俺の畑が狙われている、という事実は重い。
これは、単なる始まりに過ぎないのかもしれない。
さらに、追い打ちをかけるように、数日前には領主様からの使者が、再び村を訪れた。
今度はブリジット騎士ではなく、いかにも役人といった感じの、冷たい目をした男だった。
彼は、領主様の「関心」として、俺の畑の様子や、作物の種類、栽培方法について、根掘り葉掘り質問してきたのだ。
「コースケ殿が使うという、その『土いじり』なる技は、いかなるものかな?」
「その珍しい作物は、どこで種を手に入れたのかね?」
「収穫量は、通常の畑と比べてどれほど違うのか、具体的に……」
俺は、記憶喪失のふりをし通し、スキルについても曖昧に誤魔化しながら、何とかその場をやり過ごした。
だが、彼の探るような視線は、俺の背中に突き刺さるようだった。
領主側も、本格的に俺の秘密を探り始めているのかもしれない。
豊穣の畑。
それは、この異世界で俺が手に入れた、ささやかな希望であり、生きる糧だった。
しかし、その豊かさ故に、今、様々な「影」が俺の周りに忍び寄り始めている。
盗人か、役人か、あるいは、まだ見ぬ別の脅威か。
「穏やかな日々は、もう終わりなのかもしれないな」
俺は、夕暮れに染まる自分の畑を見渡し、深くため息をついた。
畑を守るために施した防御策も、いつまで通用するか分からない。
これから、俺はどうなってしまうのだろうか。
そして、この村は……。
冬の訪れと共に、サルーテ村には、魔物の脅威とはまた違う、じっとりとした不穏な空気が漂い始めていた。
物語は、静かに、だが確実に、次なる波乱へと向かって動き出している。
終わりは、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない。
*****
サルーテ村に、冬の足音が近づいてきた。
空には鉛色の雲が垂れ込め、時折、冷たい風が木々の葉を完全に奪い去っていく。
畑仕事も、秋の収穫と冬に向けた土壌整備が一段落し、村全体が静かな冬支度へと入る時期だ。
表面上は、穏やかな日々が戻ってきたように見えた。
大牙猪の脅威は去り、領主様からの減税措置もあって、村人たちの表情には以前のような切迫感はない。
子供たちの遊ぶ声も、少しずつ戻ってきた。
俺の日常も、基本的には変わらない。
朝、畑に出て土の状態を確認し、冬越しさせる作物の世話をする。
ゴードンさんの工房へ顔を出しては、新しい農具のアイデア(冬場の間に開発を進めるらしい)について意見交換をする。
リリアさんが、寒かろうと温かいスープを持ってきてくれる。
セーラさんが、相変わらず際どい冗談を言いに立ち寄る。
そして、シルフィさんが、言葉少なに、だが確実に、俺のそばにいてくれる。
そんな、いつもの日々。
だが、俺の心の中は、決して穏やかではなかった。
あの魔物騒ぎ以来、俺を見る村人たちの目は、明らかに変わった。
尊敬、感謝、そして過剰なまでの期待。
「英雄コースケ」という、俺には全く似つかわしくないレッテル。
それは、心地よいどころか、息苦しささえ感じさせるものだった。
領主様からの視線も、常に意識の片隅にある。
いつ、どんな形で干渉してくるのか。
俺のスキルや作物の秘密が、どこまで暴かれてしまうのか。
その不安は、冷たい冬の空気のように、俺の心に染み込んでいた。
畑の周りをうろつく、見慣れない人影。
夜中に消えた、いくつかのトマト。
忍び寄る影は、まだ正体を現してはいないが、確実に存在している。
「穏やかに、畑仕事がしたいだけなのに」
俺のささやかな願いは、この異世界では、どうやら贅沢すぎる望みだったらしい。
転移してきて、スキル【土いじり】を手に入れて、この村で畑を作り始めて……。
たくさんの人たちと出会い、助けられ、そして、俺も少しは役に立てたのかもしれない。
畑は豊かになり、人との繋がりもできた。
失うことばかりだった現代日本での生活を思えば、今の状況は、ある意味で恵まれているのかもしれない。
それでも、俺はこの状況を手放しで喜べない。
英雄になんてなりたくない。
ただ、土に触れ、作物を育て、大切な人たちと笑い合える、そんな当たり前の日常が欲しいだけなのだ。
「(でも、もう、後戻りはできないんだろうな……)」
諦めにも似た感情が、胸をよぎる。
俺の存在は、良くも悪くも、この村や、あるいはもっと大きな何かに、影響を与え始めてしまっている。
だとしたら、俺にできることは一つだけだ。
この畑を、この村を、そして、俺が大切に思うようになった人たちを、俺なりの方法で守り続けること。
たとえそれが、俺の望む平穏とはかけ離れた道だとしても。
俺は、冷たい空気の中で、自分の手のひらを見つめた。
【土いじり】スキル。
地味で、何の役にも立たないと思っていたこの力が、俺の運命を大きく変えた。
そして、これからも変えていくのだろう。
その時だった。
村の方から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
血相を変えた若者の一人が、俺の畑へと駆け込んでくる。
「コースケさん! 大変だ! 領主様から、至急の使いが……!」
若者の言葉に、俺の心臓が大きく跳ねる。
ついに来たか。
領主様からの、新たな、そしておそらくは無視できない要求が。
穏やかなように見えた日常の終わり。
そして、次なるステージへの、否応ない幕開け。
俺は、迫り来る新たな波乱の予感に、覚悟を決めて、顔を上げた。
俺の異世界農業ライフは、どうやら、まだまだ始まったばかりらしい。
その先に何が待ち受けていようとも、俺は、この大地に立ち続けるしかないのだから。
これにて第一部は完結となります。
続く第二部は書き溜めが出来次第開始する予定となっていますので、今暫くおまちください。
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