第3話 お裾分けと村人たち
リリアさんの家は、村の中でも比較的小さな、しかし綺麗に手入れされた家だった。
俺は少し緊張しながら、戸口で声をかける。
「ごめんくださーい。リリアさん、いらっしゃいますか?」
「はーい」
中から返事があり、リリアさんが顔を出した。
俺が抱えた籠を見て、彼女はきょとんとする。
「コースケさん? どうかしましたか?」
「あの、これ……先日いただいた種の、お礼と言ってはなんですが……」
俺は籠を差し出した。
籠の中には、ずっしりとしたオレンジ色のカボチャと、真っ赤なトマトが詰まっている。
「わぁ……!」
リリアさんは籠の中を見て、感嘆の声を上げた。
「これ、コースケさんが育てたんですか!? すごい……! こんなに立派なカボチャと……この赤いのは? 見たことないですけど……」
「あ、それはトマトと言って……俺が元々持っていた種から育てたものです。生で食べられますよ」
「トマト……」
リリアさんが興味深そうにトマトを一つ手に取る。
その時、家の奥から、リリアさんによく似た雰囲気の女性が出てきた。
リリアさんのお母さんだろうか。
「まあ、リリア。どちら様?」
「お母さん! この方はコースケさん。今、村はずれの荒れ地で畑をやってるの」
「あらあら、あなたが……」
お母さんは俺を見て、少し驚いたような顔をした。
よそ者の俺の噂は、もう村に広まっているのかもしれない。
「それでね、お母さん! 見てこれ!」
リリアさんが興奮気味に籠を見せる。
お母さんも籠の中を覗き込み、その見事な野菜に目を見張った。
「まあ……! なんて立派なカボチャでしょう。それに、この赤い実は……なんて綺麗な色……」
「コースケさんが育てたんですよ! すごいですよね!」
「ええ、本当に……。うちの畑じゃ、こんな立派なものはなかなか……」
お母さんは感心したように頷いている。
まずは見た目で驚いてもらえたようだ。
「あの、もしよかったら、食べてみてください。特にこのトマトは、生で食べると美味しいですよ」
俺が言うと、リリアさんは早速トマトにかじりついた。
「んっ……!?」
次の瞬間、リリアさんは目を見開いて固まった。
そして、ゆっくりとトマトを咀嚼し、ごくりと飲み込む。
「…………お、美味しい……! なにこれ!? 甘くて、ちょっと酸っぱくて……こんな美味しいもの、初めて食べました!」
リリアさんのあまりの反応に、お母さんも驚いている。
「まあ、リリア、そんなに?」
「うん! お母さんも食べてみて!」
リリアさんに促され、お母さんも恐る恐るトマトを一つ口にする。
そして、リリアさんと同じように、驚きに目を見開いた。
「…………本当だわ……。なんて濃い味なんでしょう……!」
「でしょ!?」
次に、俺はカボチャをナイフで切り分け、薄切りにしたものを差し出した。
「これも、よかったら。生でも食べられます」
二人は半信半疑といった顔で、オレンジ色の切り身を口に運ぶ。
そして、再び衝撃を受けたように顔を見合わせた。
「甘い……! これ、本当にカボチャなの? 果物みたい……!」
「ええ、本当に……。信じられないわ……」
母娘そろって、俺の作った野菜の味に完全にノックアウトされたようだ。
よかった……喜んでもらえた。
「コースケさん……! どうやったら、こんなに美味しい野菜が作れるんですか!?」
リリアさんがキラキラした目で俺に詰め寄ってくる。
近い近い。
「え、ええと……やっぱり、土ですかね? あの土地が、思ったより良かったみたいで……」
またしても苦しい言い訳。
スキルのおかげです、なんて言えるはずもない。
「土、ですか……」
「あの荒れ地がねぇ……不思議なこともあるものねぇ」
お母さんは納得いかないまでも、それ以上は聞いてこなかった。
リリアさんは、ただただ「すごい!」と俺を尊敬の眼差しで見つめている。
なんだか、むず痒い気分だ……。
「とにかく、こんなに素晴らしいものをありがとうございます、コースケさん」
お母さんが深々と頭を下げてくれた。
「いえいえ、こちらこそ、最初に種を分けていただいて……ほんの気持ちです」
俺も慌てて頭を下げる。
こうして、俺のお裾分けは、リリアさん親子に大変喜んでもらえた。
自分の作ったものが、こんな風に人を感動させることができるなんて。
リストラされて自信を失っていた俺にとって、それは少し戸惑うような、でも、間違いなく嬉しい経験だった。
リリアさんの家での出来事は、すぐに村の小さな噂になったらしい。
「あのよそ者が作った野菜は、とんでもなく美味いらしいぞ」と。
「これから、どうしようかな……」
畑に戻りながら、俺は考える。
この野菜を、もっと村の人たちにも食べてもらいたい。
そして、できれば物々交換で、俺自身の生活も安定させたい。
まずは、もう少し収穫量を増やさないとな。
俺は、明日からの畑仕事への意欲を新たにしていた。
*****
リリアさん親子にあれだけ喜んでもらえたことで、俺は少しだけ自信がついた。
いや、自信というより、「これなら何とかなるかも」という希望に近いかもしれない。
生活のためには、どうしても物々交換が必要だ。
塩も、着替えも、ちゃんとした寝床だって確保したい。
俺は、畑で新たに収穫した野菜を籠に詰め込んだ。
前回のリリアさんへのお裾分けに加えて、日本から持ってきたトウモロコシもいくつか収穫期を迎えていた。
黄金色に輝く粒がぎっしり詰まった、見るからに美味そうなトウモロコシだ。
「よし……行くか」
籠を抱え、俺は村の中心部にある小さな広場へと向かった。
広場では、数人の村人たちが井戸端会議をしていたり、子供たちが遊んでいたりする。
俺が現れると、皆の視線が一斉にこちらに集まったのが分かった。
やっぱり、まだ「よそ者」なんだな……。
気まずさを感じながらも、俺は広場の隅に籠を置き、その場に腰を下ろした。
「ええと……野菜、いりませんか……? 何か、必要なものと交換していただけると……」
小さな声で呼びかけてみる。
だが、誰もすぐには寄ってこない。
遠巻きにこちらを窺っているだけだ。
まあ、そうだよな。
いきなり現れた記憶喪失の男から、野菜を買おうなんて思う人は少ないだろう。
「…………ダメかな」
諦めかけた、その時だった。
一人の年配の女性が、おずおずとこちらに近づいてきた。
リリアさんのお母さんと話していた人かもしれない。
「あのう……あなたが、コースケさんかい?」
「あ、はい。そうです」
「リリアちゃんとこのお母さんから聞いたよ。あんたの作る野菜、とんでもなく美味いんだってねぇ?」
噂は確実に広まっているようだ。
「それで……この野菜と、うちの塩を少し、交換してもらえないかね?」
女性は小さな革袋を取り出した。
中には貴重な塩が入っているのだろう。
「塩! ぜひお願いします!」
塩はちょうど切らしそうだったんだ。
願ってもない申し出だった。
俺は籠の中から、カボチャとトマト、そしてトウモロコシをいくつか取り出して女性に渡す。
「こんなに良いのかい?」
「ええ、もちろんです。ありがとうございます」
俺は差し出された塩の袋を、ありがたく受け取った。
最初の交換が成立した。
その様子を見ていた他の村人たちも、少しずつ興味を示し始めたようだ。
特に、籠の中の真っ赤なトマトや、黄金色のトウモロコシは、この村では見慣れないものなのだろう。
「なあ、兄ちゃん。その赤い実、本当に生で食えるのか?」
屈強そうな体つきの男性が話しかけてきた。
「はい、トマトと言います。洗えばそのまま食べられますよ」
「ふうん……珍しいな。よし、俺の古着と交換しねぇか? まだ着れるぞ」
「古着! 助かります!」
今の俺はスーツ一着だけだ。
着替えは喉から手が出るほど欲しかった。
俺はトマトをいくつか男性に渡し、丈夫そうな麻のシャツとズボンを受け取った。
それを皮切りに、ぽつりぽつりと交換希望者が現れ始めた。
「うちの干し肉とどうだい?」
「この古いけど、まだ使える鍋があるんだが」
「子供が喜ぶかもしれん、その黄色い粒々のやつを少し分けてくれんか?」
俺は差し出される品物(相場なんて全く分からないが)と、自分の野菜を交換していく。
欲張らず、相手が損をしたと思わないように、少し多めに野菜を渡すように心がけた。
低姿勢で、一人一人に丁寧に対応する。
交換した野菜をその場でかじった子供が、「甘ーい!」と声を上げる。
それを見た親たちが、「本当かい?」と驚き、さらに交換を申し出てくる。
広場には、いつの間にかちょっとした人だかりができていた。
「ふぅ……」
持ってきた野菜がほとんどなくなり、交換が終わる頃には、俺の周りには塩、古着、鍋、干し肉、そしていくつかの簡単な農具が集まっていた。
これで、当面の生活は何とかなりそうだ。
村人たちの視線も、最初のような訝しげなものではなく、好奇心や、少しの驚きが混じったものに変わってきている気がする。
もちろん、まだ完全に警戒が解けたわけではないだろう。
それでも、「変なよそ者」から、「すごい野菜を作る不思議な人」くらいには、認識が変わってきたのかもしれない。
「よかった……」
安堵のため息をつきながら、俺は手に入れた品々を抱えて、自分の畑へと戻ることにした。
村人たちとの距離が、ほんの少しだけ縮まったような気がした一日だった。
まだまだ、やるべきことは山積みだけど。