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第28話 英雄(?)の憂鬱とささやかな願い

 領主様からの減税決定。

 それは、厳しい冬を目前にしたサルーテ村にとって、まさに干天の慈雨だった。

 村全体が安堵と喜びに包まれ、未来への希望が少しだけ見えてきた……はずだった。

 だが、俺個人にとっては、その知らせは新たな、そしておそらくは最大の憂鬱の始まりを意味していた。


 領主様から名指しで褒められ、褒美まで与えられ(受け取らざるを得なかった金貨は、とりあえず村長さんに預かってもらっている)、さらには俺の作る作物にまで関心を持たれてしまった。

 もはや、俺はただの「よそ者の農夫」ではない。

 村の人たちの間では、「領主様もお認めになった村の英雄」として、完全に祭り上げられてしまっていた。


「英雄……なんて、冗談じゃない」


 道を歩けば、以前にも増して好奇と尊敬の視線が注がれる。

 子供たちは「英雄コースケだ!」と駆け寄り、大人たちは何かにつけて「コースケさんのおかげだ」と感謝してくる。

 その一つ一つが、今の俺には針のむしろのように感じられた。

 彼らの期待に応えられるような人間じゃないのに。

 むしろ、期待されればされるほど、いつかボロが出て、皆をがっかりさせてしまうんじゃないか、という恐怖に駆られる。


 領主様からの干渉も怖い。

 いつ、どんな調査が入るのか。

 俺のスキルや、作物の秘密がどこまで知られてしまうのか。

 考えれば考えるほど、不安で夜も眠れない日が続いた。


 俺は、以前にも増して、人目を避けるように畑と小屋を行き来するようになった。

 できるだけ目立たず、静かに過ごしたい。

 だが、そんな俺のささやかな願いすら、もはや叶いそうにない。


 リリアさんは、そんな俺の様子を心配してか、さらに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるようになった。

 美味しい食事の差し入れ、畑仕事の手伝いの申し出……。

 彼女の優しさは本当にありがたい。

 ありがたいのだが、今の俺には、その純粋な好意すら、少し重荷に感じてしまうことがあった。


「(ごめんな、リリアさん……今は、そっとしておいてほしいんだ……)」


 そんな風に思ってしまう自分が、嫌でたまらなかった。


 唯一、心が安らぐのは、シルフィさんがそばにいてくれる時だった。

 彼女は、俺の内心の葛藤などお構いなしに(あるいは、全てお見通しなのかもしれないが)、ただ静かに、以前と変わらずにそこにいてくれる。

 黙って畑仕事を手伝い、時折、森の恵みを分けてくれる。

 その多くを語らない存在感が、今の俺にとっては、何よりの救いになっていた。


「俺は、本当は何がしたいんだろうな」


 畑の土に触れながら、俺は自問自答する。

 英雄になんてなりたくない。

 領主様に関心を持たれたいわけでもない。

 俺が望んでいたのは、もっとささやかなものだったはずだ。


 この村で、みんなと美味しいご飯を食べて、穏やかに畑仕事を続けること。


 そうだ。

 それが、俺の唯一の、そして最大の願いだった。

 異世界に来て、初めて見つけた、ささやかな幸せ。

 それを守りたい。

 ただ、それだけだったはずなのに。


 現実は、どうだ?

 俺は英雄扱いされ、領主様にまで目をつけられている。

 俺の作る野菜は、俺の知らないところで高値で取引され、新たな波紋を呼んでいる。

 穏やかな日常は、もはや遠い過去のものになりつつあった。


「普通に生きたいだけなのに……どうして、こうなるんだ」


 込み上げてくるのは、無力感と、焦燥感。

 そして、自分の意図しない方向に流されていく状況への、言いようのない苛立ち。


 俺は英雄なんかじゃない。

 ただの、自己評価が低くて、ちょっと変わったスキルを持った、しがないおっさんなのだ。

 そのことを、誰か分かってくれないだろうか。

 いや、分かってもらったところで、この状況が変わるわけでもないか……。


 俺は、重いため息をつきながら、夕暮れの畑に一人佇んでいた。

 これから俺を待ち受けるであろう、さらなる面倒ごとを思い、心はどんよりと曇っていく。

 ささやかな願いと、大きすぎる現実のギャップ。

 その狭間で、俺はただ、立ち尽くすしかなかった。

 冬の訪れを告げる冷たい風が、やけに身に染みた。


*****


 領主様からの評価が確定し、俺が村の英雄(?)として祭り上げられてからというもの、俺を取り巻く人間関係にも、微妙な変化が訪れていた。

 特に、リリアさん、セーラさん、そしてシルフィさん。

 彼女たちの俺に対する接し方が、以前とは少しずつ変わってきているのを感じる。

 もちろん、鈍感な俺のことだ、その真意には全く気づいていないのだが……。


 リリアさんは、以前にも増して積極的に俺の世話を焼こうとしてくれるようになった。

 差し入れの回数も種類も増え、畑仕事を手伝おうとする意欲も、もはや遠慮というものを知らないレベルだ。

 その瞳には、魔物討伐の一件以来、明らかに熱っぽい……憧れのような光が宿っている。


「コースケさん、お疲れでしょう? 少し休んでください! 私がお茶を淹れますから!」

「その作業、私も手伝います! コースケさんは座っててください!」


 彼女の純粋な好意はありがたい。

 ありがたいのだが、今の俺には、その真っ直ぐすぎる想いが、少しだけ眩しすぎて、そして重たい。

 英雄なんかじゃない俺に、そんな風に期待されても困るのだ。

 俺が彼女の申し出を遠慮がちに断ると、リリアさんは一瞬、とても寂しそうな顔をする。

 その表情に胸が痛むが、今の俺には、彼女の期待に応えることはできそうにない。


 セーラさんは、相変わらず俺をからかうような態度が多いが、その言葉の端々に、以前とは違うニュアンスが含まれるようになった気がする。


「ふーん、英雄様は今日も畑仕事にご執心、ってわけね。ま、あなたらしいけど」

「でも、少しは自分の価値を考えたらどう? あなたほどの男が、こんな村で燻ってるのはもったいないわよ?」


 彼女は、俺の「英雄」としての側面と、その内側にある「ただのおっさん」とのギャップを楽しんでいるようでもあり、同時に、俺という存在の持つ価値(商業的な意味でも、あるいは別の意味でも)を、より高く評価しているようにも感じられる。

 時々、彼女が俺に向ける真剣な眼差しに、俺は戸惑うばかりだ。


「(この人は、一体俺に何を期待してるんだろう……?)」


 彼女の真意は、リリアさん以上に掴みどころがない。


 そして、シルフィさん。

 彼女は、俺が英雄扱いされようが、領主様に目をつけられようが、基本的には何も変わらない。

 ただ、静かに俺のそばにいてくれる時間が増えたような気がする。

 俺が一人で考え込んだり、ため息をついたりしていると、いつの間にか隣にいて、何も言わずに、ただそこに座っているのだ。


 言葉はない。

 でも、彼女がそばにいると、不思議と心が落ち着く。

 俺が内心で抱えている憂鬱やプレッシャーを、彼女なりに感じ取って、静かに寄り添ってくれているのかもしれない。

 時折、彼女が森から持ってくる、心を落ち着かせる効果があるというハーブティーや、不思議な模様が刻まれた小さな木の欠片(お守りのようなものだろうか?)は、今の俺にとって、何よりの慰めになっていた。


「(シルフィさんだけだな……俺を普通に見てくれてるのは……)」


 まあ、彼女にとっての「普通」が、俺の知る「普通」と同じかは分からないけれど。


 リリアさんの真っ直ぐな憧れ。

 セーラさんの計算高い(?)興味。

 シルフィさんの静かな寄り添い。


 三者三様の想いが、俺の周りで交錯している。

 しかし、当の俺は、自分のことで手一杯で、彼女たちのそんな想いの機微に気づく余裕など全くない。

 彼女たちの優しさやアプローチを、相変わらず誤解したり、重荷に感じたり、あるいは単に「ありがたいけど、よく分からない」と流してしまったり……。


 英雄(?)となった俺を巡る人間関係は、より複雑に、そして、どこか切ないすれ違いを孕みながら、深まっていく。

 俺の心の平穏は、ますます遠のいていくばかりだ。

 この状況から抜け出す方法なんて、今の俺には見当もつかなかった。

 ただ、目の前の畑の土だけが、変わらない現実としてそこにあった。

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