第27話 新たな波紋
セーラさんからの警告は、俺の心に重くのしかかっていた。
自分の作る野菜が、そんなにも価値があり、危険を招く可能性すらあるなんて……。
しかし、彼女の商売は止まらない。
魔物騒ぎで一時的に滞っていた流通は、完全に再開され、むしろ以前よりも活発になっているようだった。
彼女は、約束通り、報酬として様々な物資を俺の元へ定期的に届けてくれるようになった。
ゴードンさんが欲しがっていた金属や、村で必要な薬草はもちろんのこと、最近では、より質の良い農具、暖かい布地、さらには他の地域でしか手に入らない珍しい調味料や保存食まで持ってきてくれる。
「はい、今回の分よ。町の料理店が、あなたのナスを使った新しい料理を考えたとかで、ナスを大口で注文してきてね。おかげで良い取引ができたわ」
「は、はぁ……ありがとうございます……」
俺は、差し出される品々を受け取りながらも、複雑な気持ちだった。
これらの物資は、俺や村の生活を豊かにしてくれる。
それは間違いない。
だが、それと引き換えに、俺の野菜はどんどん外の世界へと広まっていく。
セーラさんの話によると、俺の野菜はもはや近隣の町だけでなく、もっと遠い場所……下手をすると、王都の市場にも流通し始めているかもしれないという。
「王都の大きな商会が、あなたの野菜の独占販売権に興味を示してるわよ。かなりの額を提示してきてるけど……まあ、あなたがお金に興味ないのは分かってるから、断っておいたけどね」
「(王都……独占販売権……!?)」
聞いているだけで眩暈がしそうだ。
俺の知らないところで、話がとんでもない規模になっている。
「それとね、貴族の方々からは、もっと珍しい野菜はないのかって問い合わせが来てるわ。何か、新しい品種とか、育ててみる気はない?」
「し、新品種ですか……」
「(確かに、日本にはまだこの世界にない野菜がたくさんあるけど……それを育て始めたら、ますます注目されるだけだよな……)」
俺は曖昧に返事を濁すしかない。
セーラさんがもたらすのは、物資や情報だけではない。
彼女が村に持ち込む様々な品物は、俺との交換を通じて、少しずつ村の中にも流通し始めていた。
村人たちは、珍しい調味料や、丈夫な布地に喜び、村の生活はほんの少しだが、彩り豊かになっているように見える。
それは良いことなのだろう。
だが、同時に、村の外との繋がりが強まることで、セーラさんが警告したような「危険」も近づいてきているのではないか、という不安も拭えない。
最近、畑仕事をしていると、時折、森の茂みや道の向こうから、見慣れない人影が一瞬見えたような気がすることがあった。
気のせいかもしれない。
ただの旅人か、他の村の人間かもしれない。
でも、以前にはなかったことだ。
「まさか、俺の畑を偵察に来てる……とか?」
考えすぎだと思いたい。
だが、セーラさんの言葉が、妙に現実味を帯びて思い出される。
俺の野菜が生み出す波紋は、確実に広がり続けている。
それは、村に豊かさをもたらすかもしれないが、同時に、未知の脅威を引き寄せるかもしれない。
俺自身の意図とは全く関係なく、俺という存在が、このサルーテ村の運命を大きく左右し始めている。
その事実に、俺は言いようのない重圧を感じ始めていた。
「これから、どうなるんだろうな」
畑に実る、色とりどりの野菜たち。
それは豊穣の証であり、同時に、波乱の種でもあるのかもしれない。
俺は、複雑な思いで、夕暮れの畑をただ見つめていた。
静かな日常は、もうどこにもないのかもしれない。
*****
セーラさんが運んでくる外の世界の評判や、それに伴う懸念に、俺の心が落ち着かない日々が続いていた。
畑の周りの警戒を強め、スキル【土いじり】の感覚を常に研ぎ澄ませる。
いつ、何が起きてもおかしくない。
そんな漠然とした不安が、冷たい風と共に俺の周りを漂っていた。
そんなある日、ブリジット騎士が村を去ってから数週間が経った頃だろうか。
村に再び、領主様からの使者が訪れた。
今回はブリジット騎士ではなく、文官のような服装をした、少し神経質そうな男だった。
彼は、村長さんやバルガスさん、そしてなぜか俺までをも集会所に呼び出した。
「(うわぁ……絶対ろくな話じゃない……)」
俺は、胃がきりきりと痛むのを感じながら、おそるおそる集会所へと足を運んだ。
使者は、改まった口調で、領主様からの決定事項を伝えた。
まずは、村にとっての朗報だ。
「……先の魔物、大牙猪による被害と、今年の不作の状況を鑑み、領主様はサルーテ村に対し、今年の納税を半減とする、との温情あるご判断を下された!」
「「おおーっ!!」」
その言葉に、集会所に集まった村人たちから、安堵と喜びの声が上がった。
これで、厳しい冬を乗り越えられる可能性がぐっと高まったのだ。
俺も、村の一員として、素直にホッとした。
ブリジットさんが、約束通り働きかけてくれたのだろう。
しかし、使者の言葉はそこで終わらなかった。
彼は、咳払いを一つすると、俺の方に視線を向けた。
「(……来たか)」
俺は、ぎゅっと目を瞑りたくなるのを堪える。
「また、今回の魔物討伐に際し、特筆すべき功績を挙げた者への、領主様からのお言葉である」
使者は、巻物のようなものを取り出し、厳かに読み上げ始めた。
「『辺境の村サルーテにおいて、農夫コースケなる者が示した知恵と機転は、村の危機を救う大きな助けとなったと聞く。その功、誠に見事である。よって、領主アルベルトは、コースケに対し、褒美として金貨十枚を与えるものとする』……以上である」
「「…………」」
一瞬の沈黙の後、集会所は再び、今度は俺への称賛の声で満たされた。
「金貨十枚!? すごいぞ、コースケさん!」
「領主様じきじきのお褒めの言葉だなんて!」
「さすが師匠だぜ!」
村人たちは、まるで自分のことのように喜んでくれている。
だが、俺の心境は、喜びとは程遠い、むしろ絶望に近いものだった。
「(終わった……完全に、領主様に目をつけられた……)」
金貨十枚という褒美も、正直ありがたいというより困惑しかない。
この村でお金の価値は低いし、大金を持っていることが、かえって新たな面倒を呼び込むかもしれない。
「そ、そんな! 俺なんかが、領主様から褒美をいただくなんて、滅相もございません! 辞退させていただきます!」
俺は慌てて使者に訴える。
しかし、使者は冷ややかに首を横に振った。
「ならぬ。これは領主様直々のご意向である。辞退は許されん。ありがたく拝受するように」
有無を言わさぬ口調だ。
もはや、俺に拒否権はないらしい……。
さらに、使者は付け加えた。
「また、領主様は、コースケ殿が育てるという『特別な作物』にも、大変強い関心をお持ちである。後日、改めて担当の者を遣わし、その作物の調査、および、可能であれば一部献上を願いたい、とのことだ」
「(特別な作物……調査……献上!?)」
もう、ダメだ。
完全に逃げ道を塞がれた。
俺の【土いじり】スキルと、それによって生み出される異常な作物のことが、領主様にまで知られてしまったのだ。
これから、どんな調査をされるのか、何を要求されるのか、考えるだけで恐ろしい。
「(静かに暮らしたかっただけなのに……どうしてこんなことに……)」
俺は、村人たちの祝福(?)の声を聞きながら、頭が真っ白になっていた。
領主からの正式な評価と注目。
それは、村にとっては救いの一手だったのかもしれない。
だが、俺個人にとっては、最大の危機が、もうすぐそこまで迫っていることを告げる、不吉な鐘の音のようにしか聞こえなかった。
俺の異世界農業ライフは、これから一体どうなってしまうのだろうか。
もはや、俺の意思など関係なく、大きな力に飲み込まれていくしかないのだろうか。
深い絶望感が、俺の心を覆い尽くしていた。