第25話 魔物騒ぎの後始末
大牙猪討伐の興奮は、一夜明けてもサルーテ村を包んでいた。
もちろん、壊された家屋の修繕や、負傷者の手当てなど、やるべきことは山積みだ。
それでも、村全体に漂う空気は、昨日までの不安と恐怖から一転し、安堵と、そして一種の高揚感に満ちていた。
そして、その高揚感の中心に、どういうわけか俺が据えられてしまっているのだった……。
「あ! 英雄コースケだ!」
「コースケさーん、昨日はありがとう!」
俺が畑へ向かおうと村の中を歩いているだけで、あちこちからそんな声がかかる。
子供たちはキラキラした目で俺を指さし、大人たちは満面の笑みで手を振ってくる。
昨日まで「怪しいよそ者」を見るような目をしていた人たちまで、今は尊敬と感謝の眼差しを向けてくるのだ。
村長さんには、わざわざ呼び出されて、「村の危機を救った英雄に、心からの感謝を!」なんて、大げさな言葉で褒め称えられてしまった。
「(英雄……? 俺が……? いやいやいや、絶対に違う……!)」
俺は、その異常なまでの持ち上げられっぷりに、ただただ戸惑い、身の置き所がない思いだった。
状況は、明らかに俺の理解を超えてしまっている。
リリアさんに至っては、もう大変だ。
以前にも増して甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのはありがたいのだが、その目には隠しきれない憧れの色が浮かんでいる。
「コースケさん、すごかったです! まるで物語の勇者様みたいでした!」
「い、いや、俺はただ叫んでただけで……」
「そんなことないです! コースケさんの指示があったから、みんな勇気を出せたんです!」
彼女の真っ直ぐな賞賛の言葉が、今はかえって俺の心を抉る。
違うんだ、リリアさん。俺はそんな格好いいものじゃないんだ……。
セーラさんも、俺を見る目が変わった。
「ふふん、やっぱりあなたはただ者じゃなかったのね、コースケさん。私の目に狂いはなかったわ」
面白がるような口ぶりは変わらないが、その奥には、俺の「価値」を再認識したような、鋭い光が宿っている。
「あの状況で、あれだけの機転が利くなんて……あなた、本当にただの農夫なの?」
「た、ただの農夫ですよ! 本当に!」
「まあ、そういうことにしておいてあげるわ。でも、これであなたの野菜の価値も、あなたの評判も、ますます上がるわね。今後の商売が楽しみだわ」
彼女の言葉は、俺にとっては新たなプレッシャーでしかない。
若者たちに至っては、もはや完全に「師匠=英雄」という図式が完成してしまっている。
「師匠! 昨日のかっこよさ、マジで痺れました!」
「俺、師匠みたいになりたいっす!」
彼らの熱い視線と、疑うことを知らない尊敬の眼差しが、今はただただ重い。
バルガスさんや、ブリジット騎士も、俺の実力(?)を完全に認めたようだった。
特にブリジット騎士は、以前の疑念に満ちた視線は消え、代わりに一種の敬意のようなものを向けてくる。
彼女が領主様にどんな報告をするのか、考えるだけで胃が痛い……。
このように、村全体での俺への評価は、文字通り爆上がりしていた。
村の救世主、知恵者、英雄……。
しかし、問題は、当の俺自身が、その評価に全く追いついていないことだ。
褒められれば褒められるほど、俺の中の自己肯定感の低さが顔を出す。
「(俺なんて、何もすごくない)」
「(たまたま、運が良かっただけだ)」
「(スキルのおかげで、俺自身の力じゃない)」
「(みんなが頑張ったから勝てたんだ)」
そんな自己否定の言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
周囲からの異常な高評価と、自分の内面にある低い自己評価。
その間のギャップは、もはや絶望的なまでに広がっていた。
「はぁ……」
俺は、村人たちの称賛の声から逃れるように、自分の畑へと急いだ。
ここだけが、俺が唯一落ち着ける場所だ。
土に触れ、作物の世話をする。
それだけが、今の俺を現実につなぎとめてくれる気がした。
村の英雄(仮)になってしまった、しがない農夫。
このねじれた状況に、俺はどう向き合っていけばいいのだろうか。
平穏とは程遠い、新たな日常が、否応なく始まってしまった。
その事実に、俺はただ、深いため息をつくしかなかった。
*****
俺が英雄(仮)扱いに戸惑っている間にも、サルーテ村は現実的な問題……つまり、大牙猪が残した爪痕の後始末に追われていた。
討伐の興奮が冷めやらぬうちから、村人たちは皆、休む間もなく動き出していた。
まずは、広場に横たわる大牙猪の巨体の解体だ。
その肉は貴重な食料になるし、分厚い皮や巨大な牙も、何かの素材として利用できるらしい。
ゴードンさんや村の猟師たちが中心となり、慣れた手つきで解体作業を進めていく。
俺も少しだけ見学させてもらったが、なかなかに迫力のある光景だった。
「これも、生きるための知恵なんだな」
同時に、壊された家屋や柵の修繕も始まった。
幸い、全壊した家はなかったものの、壁が崩れたり、屋根が破損したりした家はいくつかある。
村人たちは文句一つ言わず、互いに協力し合いながら、黙々と修繕作業を進めていた。
俺も、大工仕事は素人だが、資材を運んだり、簡単な釘打ちを手伝ったりと、できる範囲で協力させてもらった。
そして、もう一つ重要なのが、戦いで負傷した人たちの手当てだ。
幸い、命に関わるような重傷を負った者はいなかったが、打ち身や切り傷を負った者は少なくない。
村には専門の医者や薬師はいないため、治療はもっぱら民間療法や、代々伝わる薬草などで行われる。
そんな中、意外な形で貢献したのが、シルフィさんだった。
彼女は、負傷者たちが集められた集会所へ行くと、自分が森で集めてきたらしい様々な薬草を取り出し、手際よくそれを処置し始めたのだ。
ある薬草は傷口に直接塗り込み、ある薬草は煎じて飲ませる。
その知識は驚くほど豊富で、的確だった。
「おお……痛みが和らいだ気がする……」
「このエルフのねーちゃん、すごいな……」
村人たちは、最初は驚き、戸惑っていたが、シルフィさんの施した治療が実際に効果を発揮するのを見て、次第に彼女への見方を変えていった。
謎めいた森のエルフから、村の危機を救う手助けをしてくれた、ありがたい存在へ。
俺は、シルフィさんが薬草を処方しているのを見て、ふと思いついた。
「もしかして、俺のスキルで、この薬草の効果を高められないだろうか?」
スキル【土いじり】の新たな可能性……植物の薬効増強。
まだ確信はないが、試してみる価値はあるかもしれない。
俺は、シルフィさんが使っている薬草の一部に、誰にも気づかれないように、こっそりとスキルで意識を集中させてみた。
(……これで効果が上がるかは分からないけど……気休めでも……)
シルフィさんが処方した薬草と、俺のささやかな(?)手助けもあってか、負傷者たちの回復は予想以上に早かったようだ。
村人たちは、シルフィさんに対して、口々に感謝の言葉を述べていた。
彼女は相変わらず無表情だったが、その様子をどこか満足げに見守っているように、俺には見えた。
解体、修繕、そして治療。
大変な後始末作業は数日間続いたが、村人たちは誰一人として不平を言うことなく、互いに助け合い、励まし合いながら、それを乗り越えていった。
共に大きな危機を乗り越えたことで、村には以前にも増して強い一体感、結束力が生まれているのを感じる。
俺も、その一連の作業を手伝う中で、改めて自分がこの村の一員として受け入れられていること、そして、この村の人たちの温かさ、力強さを実感していた。
「俺も、この村の一員として、できることをやらないとな」
英雄扱いされるのは困るけれど、この村が好きだという気持ち、この村を守りたいという気持ちは、確かに俺の中に芽生えていた。
後始末が一段落し、村には少しずつ落ち着きが戻り始めた。
しかし、大牙猪の襲撃によって失われた備蓄食料の一部や、壊されたものの完全な修復にはまだ時間がかかる。
そして、冬はもうすぐそこまで迫っている。
村の本当の試練は、まだこれからなのかもしれない。
俺は、澄み渡る秋の空を見上げながら、気を引き締め直すのだった。