第23話 リストラおっさん、覚醒する!
目の前で繰り広げられる、巨大魔物と村人たちの死闘。
吹き飛ばされる若者、破壊される家屋、散らばる貴重な食料……。
俺は、自分の無力さに歯噛みしていた。
「くそっ……俺には何もできないのか……!」
戦闘能力ゼロ。
武器を扱えるわけでも、魔法が使えるわけでもない。
ただの、しがない中年農夫だ。
こんな状況で、俺が前に出たところで、瞬殺されるのがオチだろう。
「でも……!」
脳裏に、これまで世話になった人たちの顔が次々と浮かぶ。
いつも優しく、心配してくれるリリアさん。
俺をからかいながらも、どこか気にかけてくれるセーラさん。
静かに、だが確かに俺を支えてくれるシルフィさん。
俺を師匠と慕ってくれる(困るけど)若者たち。
頼りになるバルガスさんや、頑固だけど面白いゴードンさん。
そして、不器用な俺を受け入れてくれた、サルーテ村の人々……。
「(このまま、見ているだけでいいのか……?)」
彼らが傷つき、村が破壊されていくのを、ただ指をくわえて見ているだけで、本当に後悔しないのか?
バルガスさんが言っていた。「いざという時に、腹を括ることだ」という言葉が、頭の中で響く。
「俺にできること……何かあるはずだ!」
俺は震える自分を叱咤し、意識を集中させた。
そうだ、俺にはスキル【土いじり】がある。
直接戦う力にはならない。
でも、この力を使えば、何か状況を変えるヒントが見つかるかもしれない。
俺は地面に片膝をつき、手のひらを大地に押し当てた。
スキルを発動させ、意識を戦場全体へと広げる。
土壌の状態、地面の硬軟、水分量、そして……大牙猪の動きによって伝わってくる微細な振動。
それらの情報が、洪水のように俺の頭の中に流れ込んでくる。
「……分かるぞ……!」
大牙猪の巨体、その重心移動、次に踏み出すであろう足の位置、そして、その足元の大地の状態が、手に取るように分かる!
以前感じていた微細振動感知の能力が、この極限状況で、より鮮明になっているようだ。
「あそこだ!」
俺は意を決して、叫んだ。
声が震えるのを必死に抑えながら。
「ダリルさん! そっちじゃない! そっちの地面はぬかるんでる! 大牙猪をそっちへ誘い込んでください!」
「え? コースケさん!?」
最前線で槍を構えていたダリルが、驚いてこちらを振り返る。
他の若者たちも、戸惑いの表情だ。
「いいから! 早く!」
俺が必死に叫ぶと、ダリルは一瞬迷った後、意を決して仲間たちに合図を送った。
彼らは巧みに動き、大牙猪を俺が示した方向……一見、普通の地面に見えるが、実は雨水が溜まってぬかるんでいる場所へと誘導する。
グオッ!?
狙い通り、ぬかるみに足を取られた大牙猪が、一瞬、体勢を崩した!
その巨体がよろめき、動きが鈍る。
「今だ! 足を狙え!」
バルガスさんの鋭い声が飛ぶ。
若者たちが、その隙を逃さず、ぬかるんだ地面に突き刺さるように槍を繰り出す。
いくらかの手応えがあったようだ。
「やったか!?」
いや、まだだ!
大牙猪はすぐに体勢を立て直し、怒りの咆哮を上げる。
そして、別の方向……ブリジット騎士がいる方角へと突進しようとする!
「ブリジットさん、危ない! 次は左に突っ込んできます! そっちの大きな石の裏に!」
俺は再び叫ぶ。
スキルが、大牙猪の次の動きを捉えていた。
ブリジット騎士は、俺の声に驚いたように一瞬こちらを見たが、すぐに状況を判断したのだろう。
彼女は素早く身を翻し、俺が示した大きな石の陰へと飛び込んだ。
直後、大牙猪の巨体が、轟音と共にブリジット騎士がいた場所を通過していく。
「(……間に合った……!)」
俺の指示が、確かに役に立っている!
戦闘力ゼロの俺でも、このスキルを使えば、戦況に介入できるかもしれない!
「コースケさん、すげぇ! なんで分かるんだ!?」
「とにかく、コースケさんの言う通りに動こう!」
若者たちの間に、戸惑いから信頼への変化が見える。
バルガスさんも、ブリジット騎士も、驚きを隠せない表情でこちらを見ている。
「俺は、戦えない。でも……」
守りたい人たちがいる。
守りたい場所がある。
その想いが、恐怖に打ち勝つ力をくれた。
俺は再び地面に手を当て、意識を集中させる。
絶望的だった戦場に、ほんのわずかだが、変化の兆しが見え始めていた。
俺の「土いじり」が、この村を救う鍵になるかもしれない。
いや、なってみせる!
俺は、心の中で強く叫んでいた。
*****
「右前足の下、地面が脆い! 叩き込め!」
「次は左だ! そっちに誘導してくれ! 罠がある!」
「体勢を低くしてる! 突進が来るぞ、備えろ!」
俺は、地面に手をついたまま、半ば叫ぶように指示を飛ばし続けていた。
内心は、正直言ってパニック寸前だ。
巨大な魔物がすぐ近くで暴れ回り、村人たちが傷つくかもしれない。
その恐怖で、心臓は張り裂けそうだし、手足はずっと震えている。
「(やばい、やばい、怖い! でも、言うしかない! 言わないと、みんなが……!)」
頭の中では、恐怖と焦りが渦巻いている。
しかし、不思議なことに、俺の口から出る言葉は、スキル【土いじり】がもたらす客観的な情報に基づいているせいか、妙に冷静だったらしい。
地面の状態、大牙猪の重心移動、次の行動予測……。
それらの情報が、恐怖とは別の回路で処理され、指示となって発せられているような感覚だ。
元営業職時代に叩き込まれた、状況分析やとっさの判断力みたいなものが、こんな土壇場で無意識に働いているのかもしれない。
プレゼン資料を作るみたいに、頭の中で戦況を分析し、最適解(?)を導き出そうとしている自分がいる。
「(あの牙の振りかぶり方はフェイントか? いや、違う、本気だ! バルガスさん、そっちは危ない!)」
「バルガスさん! そっち、牙が来ます!」
俺が叫ぶと同時に、バルガスさんが身を翻し、大牙猪の薙ぎ払うような牙の一撃を紙一重でかわした。
「むぅ……助かったぞ、コースケ!」
バルガスさんが、驚きと感謝の入り混じった表情でこちらを見る。
俺の指示によって、村人たちの戦い方は明らかに変わり始めていた。
以前のように、ただ闇雲に突っ込んでいくだけではない。
俺の情報を元に、大牙猪を不利な地形へ誘い込み、動きを制限する。
攻撃のタイミングを合わせ、弱点(と俺が分析した場所)を集中して狙う。
若者たちの連携も、ぎこちなさは残るものの、以前よりずっとスムーズになっていた。
グオオオォォッ!!
大牙猪は、明らかに苛立っていた。
思うように動けず、鬱陶しい人間たちの攻撃が、少しずつだが確実にその分厚い皮膚を傷つけ始めている。
怒りに任せて、さらに凶暴に暴れ回るが、以前のような一方的な蹂躙はできなくなっていた。
「コースケ殿! 次はどう動く!?」
なんと、あのブリジット騎士までが、俺に指示を仰ぐように叫んできた。
「えっ!? えっと……奴は今、かなり消耗しています! でも、最後の力を振り絞って、もう一度、中央突破を狙ってくるはずです! そこを……!」
俺は必死にスキルで得た情報を伝え、考えうる最善の策(?)を叫ぶ。
「(俺なんかの指示で、本当にいいのか……? でも、やるしかないんだ……! みんなを、村を、守るために……!)」
プレッシャーで押し潰されそうになりながらも、俺は必死にスキルを使い続け、情報を共有し続けた。
内心のパニックとは裏腹に、俺は図らずも、この戦いの「司令塔」のような役割を担い始めていたのだ。
だが、油断はできない。
大牙猪の体力は、まだ残っている。
その目は、怒りと憎悪に燃え、村人たちを睨みつけている。
戦いは、まだ終わっていない。
本当の正念場は、これからなのかもしれない。
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、再び地面に意識を集中させた。
この戦いを、終わらせるために。