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第20話 不穏な気配

 今年の冬は食料が厳しい。

 その現実は、村全体に重くのしかかっていた。

 俺の畑の作物が村の備蓄に加えられることになり、少しだけ安堵の空気が流れたものの、根本的な解決には程遠い。

 そして、村を覆う不安の種は、食料不足だけではなかった。


「最近、森の様子がおかしいんだ」


 村の猟師が、そんな不吉なことを口にし始めた。

 冬が近づき、山に食料がなくなってくると、時折、危険な獣……いわゆる「魔物」が人里近くまで下りてくることがあるのだという。

 特に、今年は不作だ。

 その可能性は、例年よりも高いのかもしれない。


 実際に、森の近くで妙に大きな獣の足跡が見つかったり、夜中に家畜小屋の近くで不審な物音がしたりと、小さな異変が報告され始めていた。

 まだ実害はないものの、村人たちの間には、食料への不安に加えて、「魔物」への恐怖という、新たな影が差し始めていた。


「……このまま手をこまねいているわけにはいかんな」


 この状況を最も憂慮していたのは、やはりバルガスさんだった。

 元騎士団長である彼は、村の防衛について真剣に考え始めたようだ。

 そして、ある日の午後、彼は村の若者たちを広場に集めた。


「今日から、お前たちに自衛のための訓練を行う!」


 バルガスさんの力強い声が、広場に響き渡る。

 集まったのは、ダリルをはじめとする、いつもの顔ぶれだ。

 彼らの表情は、緊張と、少しばかりの不安、そしてバルガスさんへの信頼が入り混じっているように見えた。


 俺も、心配になってその様子を見に来ていた。

 バルガスさんは、俺に気づくと、軽く頷いて見せる。


 訓練は、実践的なものだった。

 村にある数少ない武器……古い槍や、錆びついた剣、手作りの盾などを使って、基本的な構えや突き方、受け方などを指導していく。

 若者たちは皆、真剣な表情でバルガスさんの指示に従うが、やはり動きはぎこちない。

 無理もない、彼らは農夫や猟師の息子たちであって、戦いの訓練など受けたことがないのだから。


「違う! 腰が入っておらん!」

「もっと周りを見ろ! 連携が大事だ!」


 バルガスさんの檄が飛ぶ。

 彼の指導は厳しく、的確だ。

 元騎士団長としての経験が、その一挙手一投足に表れている。


 俺は、その光景をただ見ていることしかできなかった。

 戦闘能力ゼロ。

 体力も、若者たちに比べれば劣るだろう。

 俺が彼らの訓練に参加したところで、足手まといになるだけだ。


「(俺には、何もできないのか……)」


 皆が村を守るために必死になっているのに、自分だけが何もできない。

 その事実に、俺は軽い無力感を覚えていた。

 畑仕事で村に貢献している、とは言っても、いざという時に戦う力がなければ、本当に村を守ることなんてできないのではないか。


「(いや……俺にできることもあるはずだ)」


 訓練の様子を見ながら、俺は考えを巡らせる。

 直接戦うことはできなくても、何か別の形で貢献できることがあるかもしれない。

 例えば、彼らの連携をもっとスムーズにするための情報伝達の方法とか?

 あるいは、敵の意表を突くような罠とか?


「(そうだ……まずは、自分の畑を守ることから考えよう)」


 俺の畑は村のはずれにある。

 もし魔物が現れたら、真っ先に狙われる可能性もある。

 大切な作物を守るため、そして、万が一の時に村の防衛の足しになるためにも、俺は俺なりの準備をする必要がある。


 バルガスさんの指導の下、訓練に汗を流す若者たち。

 その姿は頼もしくもあり、同時に危うくも見えた。

 サルーテ村に、静かに、だが確実に、危機の足音が近づいてきている。

 俺は、自分にできることをやるしかない、と静かに決意を固めながら、夕暮れの広場を後にした。

 不穏な空気は、秋の冷たい風と共に、村全体を包み込もうとしていた。


*****


バルガスさんの指導の下、若者たちの訓練は日に日に熱を帯びていった。

彼らの動きはまだぎこちないものの、村を守ろうという気概はひしひしと伝わってくる。

その姿は頼もしいが、同時に、彼らが本当に武器を取らなければならない状況が近づいているのではないか、という不安も掻き立てられた。


そして、その不安は、残念ながら現実味を帯びてくることになる。

村の周囲の様子が、明らかに変わってきたのだ。


一番の変化は、森の静けさだった。

あれだけたくさん見かけた小鳥たちのさえずりが聞こえなくなり、リスやウサギの姿もめっきり減った。

まるで、何か恐ろしい存在の気配を感じ取り、動物たちが息を潜めてしまったかのようだ。


「……森が、怯えている」


畑を手伝ってくれていたシルフィさんが、ある日、森の方を見つめてぽつりと呟いた。

彼女の翡翠のような瞳には、普段の静けさとは違う、鋭い警戒の色が浮かんでいる。

自然と深く繋がる彼女には、俺たちには感じ取れない何かを、よりはっきりと感じているのかもしれない。


「(森が、怯えている……?)」


シルフィさんの言葉は、俺の胸に重く響いた。


それだけではない。

夜になると、遠くの森の奥から、獣の咆哮ともつかない、不気味な音が風に乗って聞こえてくることがあった。

村の夜警を務める者たちが、森の中に怪しい光を見た、という報告も上がり始めた。

光の正体も、音の主も分からない。

分からないからこそ、人々の恐怖は増幅していく。


俺自身も、畑で作業をしている時に、妙な感覚を覚えることが増えていた。

スキル【土いじり】で地面に触れていると、以前感じた微細な振動とはまた違う、もっと不規則で、不快な振動が伝わってくることがあるのだ。

それはまるで、大地そのものが何かを恐れ、震えているかのような……。


「なんだ……? この嫌な感じは」


気のせいだと思いたかったが、その感覚は日増しに強くなっている気がする。

何かが、確実に、この村に近づいてきている。

それは、良くない何かだ。


村全体が、目に見えない脅威への恐怖と緊張感に包まれ始めていた。

日が暮れるのが早くなり、人々は早々に家に籠もり、戸締まりを厳重にするようになった。

子供たちの遊ぶ声も、以前よりずっと少なくなった。


リリアさんも、心配してか、以前よりも頻繁に俺の畑に様子を見に来てくれるようになった。


「コースケさん、大丈夫ですか? 何かあったら、すぐに村の方へ逃げてくださいね!」


彼女は不安そうな顔で、何度もそう繰り返す。

セーラさんも、次回の訪問を少し早めると伝えてきた。村の状況を心配しているのだろう。


「(大丈夫……だといいんだけどな……)」


俺はリリアさんを安心させるように頷きながらも、内心の不安は拭えなかった。

魔物。

その言葉が、もはや単なる可能性ではなく、すぐそこまで迫った現実の脅威として、重く感じられるようになっていた。


いつ、何が起きてもおかしくない。

そんな不穏な空気が、冷たい秋風と共に、サルーテ村全体を覆い尽くそうとしていた。

静かな嵐の前の静けさ。

俺は、来るべき時に備えて、自分にできることをやるしかない、と改めて強く決意するのだった。

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