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第19話 水やり当番と、小さな工夫

 ここしばらく、サルーテ村の天気は秋晴れ続きだった。

 日中は過ごしやすいのだが、雨が降らないせいで空気が乾燥し、畑の土もパサパサに乾き始めている。


「うーん、そろそろまとまった雨が欲しいところだな……」


 俺は自分の畑の土を握りしめながら呟く。

 ゴードンさんが作ってくれた手回しポンプのおかげで、近くの小川からの水汲みは格段に楽になった。

 それでも、広がった畑全体に十分な水を撒くのは、なかなかの重労働だ。


 これは俺だけでなく、村全体の悩みでもあった。

 村の畑はあちこちに点在しており、井戸や小川から遠い畑まで水を運ぶのは一苦労なのだ。

 そこで、村ではこの時期、皆で協力して畑に水を撒く「水やり当番」のようなものが実施されることになった。


 俺ももちろん、村の一員(?)として当番に参加する。

 村人たちがバケツを手に、井戸と畑を何度も往復したり、小川からバケツリレーで水を運んだりしている。

 皆、汗だくになって一生懸命だが、正直、かなり非効率に見えた。


「もっと、楽に水を運んだり、畑の水を長持ちさせたりする方法はないものか」


 現代日本の農業では、スプリンクラーや灌漑設備が当たり前だが、この世界でそれを再現するのは難しいだろう。

 でも、もっと簡単な方法で、少しでも改善できることはあるはずだ。


 その日の当番が終わった後、俺は村長さんやバルガスさん、そして若者たちが集まっている場で、おそるおそる提案してみた。


「あの……素人考えで恐縮なんですが、水やりについて、いくつか思ったことがありまして……」

「ほう、コースケか。何か良い考えがあるのか?」


 バルガスさんが促してくれる。


「は、はい。まず、小川から遠い畑まで水を運ぶのが大変そうなので、簡単な水路……というか、溝を掘って、水を畑の近くまで誘導することはできないでしょうか?」

「水路、だと?」

「はい。地面に少し傾斜をつけて溝を掘れば、少ない労力で水を流せるかと……」


 俺は、スキル【土いじり】で村の地形を(こっそり)把握していた。

 小川から主な畑へ、比較的緩やかな勾配で繋げられそうなルートがあるのだ。


「ふむ……水路か。確かに、それならバケツで運ぶよりは楽かもしれんな」


 村長さんが腕を組んで考える。


「それから、畑の土そのものの『保水力』を高めることも大事だと思います。堆肥や腐葉土のような有機物を土にしっかり混ぜ込むことで、土が水を蓄える力が上がるんです」


 これは、連作障害対策で話したことの応用だ。


「あとは、『マルチング』という方法もあります」

「まるちんぐ……?」


 またしても聞き慣れない言葉に、皆が首を傾げる。


「はい。畑の土の表面を、わらとか、枯れ草とかで覆ってあげるんです。そうすると、土からの水分の蒸発を防ぐことができて、水やりの回数を減らせるかもしれません」


 俺は、現代の家庭菜園でよく行われている基本的な技術を、できるだけ分かりやすく説明した。

 どれも、この世界の常識にはない考え方かもしれない。


「水路に、保水力向上、それにマルチング……か」


 バルガスさんが、俺の説明を反芻するように呟く。


「そんなことで、本当に効果があるのかねぇ?」


 年配の村人の一人が、半信半疑といった様子で言う。


「やってみなければ分かりませんが……少なくとも、俺の畑では、土に有機物をたくさん入れたり、マルチングをしたりすることで、水持ちが良くなっている実感はあります。あくまで、俺の経験上の話ですが……」


 俺は、いつもの決まり文句を付け加える。


「なるほどな……」


 村長さんやバルガスさんは、俺のこれまでの実績(野菜の味や畑の出来栄え、若者たちの報告など)を考慮してか、真剣に耳を傾けてくれている。


「よし、試しにやってみる価値はありそうだな」


 最終的に、村長さんが決断した。

 まずは、俺が提案した水路掘りと、いくつかの畑でのマルチングを試してみることになったのだ。


「(また、やることになっちゃった……)」


 俺は内心、ため息をついた。

 またしても、俺の現代知識が、村の運営に関わることになってしまった。

 目立ちたくないのに、どうしてこうなるんだろう……。


 それでも、もし俺の「小さな工夫」で、村の人たちの水やりの苦労が少しでも減り、大切な作物が元気に育つのなら、それは良いことなのかもしれない。

 俺は、水路掘りの最適なルートを(スキルを使いながら)思案しつつ、複雑な気持ちで秋の空を見上げていた。

 この村での俺の役割は、どうやらただの農夫では収まりそうにない雲行きになってきたようだ。


 *****


 俺が提案した水路掘りやマルチングといった試みは、村の一部で始まってはいたものの、長年続いてきた村全体の畑の地力低下をすぐに解決できるはずもなかった。

 季節は秋の終わりを迎え、最後の収穫作業も一段落した頃、その厳しい現実が、具体的な数字となって村に重くのしかかってきた。


 村の集会所には、村長さん、バルガスさん、そして主だった村人たちが集まり、深刻な顔で話し合いが行われていた。

 俺も、いつの間にか村の一員として扱われているのか、その集会に呼ばれることになった。

(正直、居心地はめちゃくちゃ悪いのだが……)


「……というわけで、今年の全体の収穫量は、やはり例年を大きく下回っておる」


 村長さんが、集計した結果を重々しい口調で報告する。

 特に、村の共有畑や、日当たりの悪い場所にある畑の落ち込みがひどいらしい。


「この量では、冬を越すための備蓄が、かなり心許ない状況じゃ……」


 集会所の中に、重苦しい沈黙が広がる。

 この世界の冬がどれほど厳しいものなのか、俺にはまだ実感がない。

 しかし、村人たちの深刻な表情を見れば、食料不足がどれだけ死活問題であるかは想像に難くない。


「それに加えて、問題は領主様への税じゃ……」


 村長さんが続ける。

 この村は、領主の治める土地であり、年に一度、収穫物の一部を税として納める義務があるのだという。


「不作とはいえ、領主様がそれをどれだけ考慮してくださるか……。もし、例年通りの量を納めろと言われれば、我々の冬の備えは、ほとんどなくなってしまう……」

「なんとかならんのか、村長!」

「このままじゃ、飢え死にだぞ!」


 集まった村人たちから、不安と焦りの声が上がる。

 中には、不満をぶつけ合うように、言い争いを始める者たちもいた。

 村全体が、暗く、ピリピリとした空気に包まれている。


 俺は、その様子を黙って見ていることしかできなかった。

 俺の畑は、スキルのおかげで今年も豊作だった。

 自分の食べる分と、物々交換に必要な分は十分に確保できている。

 しかし、それはあくまで俺個人の話だ。

 村全体の食料不足を、俺一人の力でどうにかできるわけではない。


 ただ、俺の畑だけが豊作であるという事実は、この状況下では、別の意味合いを持ち始めていた。

 集会所の隅で、何人かの村人が俺の方をちらちらと見ているのを感じる。

 その視線には、羨望や、あるいは妬みのような感情が混じっている気がした。

 もしかしたら、「あのよそ者だけが良い思いをしやがって」と思っている人もいるのかもしれない。

 あるいは、「最後の頼みの綱」として、俺の畑の収穫物に期待している人も……。


「(……気まずいなぁ……)」


 俺は、ますます身の置き所がなくなるのを感じた。

 目立ちたくない、静かに暮らしたい。

 そう思っていたはずなのに、状況は俺を否応なく特別な立場へと押し上げようとしている。


「……皆、落ち着け」


 その時、バルガスさんの静かだが、よく通る声が集会所に響いた。


「嘆いていても始まらん。まずは、我々にできることを考えよう。備蓄の管理を徹底し、村全体で食料を分け合う方法を考える。そして、領主様には、わしの方から掛け合ってみよう。減税、あるいは納期の猶予をお願いしてみる」


 元騎士団長の言葉には、やはり重みがある。

 騒いでいた村人たちも、少しずつ落ち着きを取り戻した。


「そして、コースケ」


 不意に、バルガスさんが俺の方を見た。


「えっ、は、はい!」

「君の畑の収穫物……無理を言うつもりはない。だが、もし、余裕があるのなら、村の備蓄として少し分けてもらうことはできんだろうか? もちろん、相応の対価は支払う」


 ついに、その話が来てしまったか……。

 俺は、断る理由などなかった。

 いや、むしろ、何か村の役に立てるなら、そうしたいと思っていた。


「は、はい! もちろんです! 俺にできることなら、何でも協力させてください!」


 俺がそう答えると、集会所の空気が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

 村長さんも、他の村人たちも、安堵の表情を浮かべている。


 こうして、俺の畑の野菜が、正式に村の冬の備えの一部として組み込まれることになった。

 それは、俺がこの村の一員として、さらに深く受け入れられた証なのかもしれない。

 だが、同時に、俺への期待と責任も、ますます大きくなっていくことを意味していた。


 集会が終わり、外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。

 冷たい風が吹き抜け、冬の訪れが近いことを告げている。

 これから、この村はどうなるのだろうか。

 そして、俺は、この村でどんな役割を果たしていくことになるのだろうか。

 漠然とした不安と、ほんの少しの決意のようなものを胸に、俺は自分の小屋へと続く道を歩き始めた。

 来るべき試練の季節は、もうすぐそこまで迫っていた。

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