第15話 リストラおっさん、若者に慕われる
シルフィさんとの静かな時間とは対照的に、俺の畑は日中、別の意味で賑やかになることが多かった。
原因は、村の若者たちだ。
彼らは、俺が以前話した農業知識や、ゴードンさんが作ってくれた新しい農具の効果を、自分たちの畑で実感し始めているらしい。
そのせいか、俺に対する尊敬の念は、もはや尊敬を通り越して、若干、崇拝に近いものになっている気がしないでもない……。
「師匠! おはようございます!」
「師匠! 今日は何を教えてくれるんですか!」
今日も朝から、ダリルをはじめとする数人の若者が、元気よく(元気すぎるくらいに)畑にやってきた。
そして、開口一番、例の呼び名だ。
「だーかーらー! 俺は師匠じゃないって、何度言ったら分かるんですか!」
俺は、もはや条件反射のように、全力で否定する。
しかし、彼らは全く意に介さない。
「またまたご謙遜を!」
「俺たちの間じゃ、もうコースケ師匠で決まりなんすよ!」
「そうそう! 俺たちの師匠はコースケさんだけっす!」
まるで聞く耳を持たない。
完全に、この呼び方が定着してしまっている。
諦めの境地というか、もう訂正する気力もなくなってきた……。
「それで師匠、今日はどんなすごい技を見せてくれるんですか?」
「すごい技なんてありませんよ! 普通に畑仕事するだけです!」
彼らは、俺がただ土を耕したり、種を蒔いたりするだけの作業を、何か特別な秘技でも見るかのように、目をキラキラさせながら見つめてくる。
特に、ゴードンさんが作ってくれた改良農具を使っている時は、その食いつきっぷりが半端じゃない。
「うおっ! 見たか今の!? 師匠の鍬さばき!」
「あの新しい鋤、めっちゃ土深く掘れるんすね!」
「師匠! 俺にもちょっと使わせてみてくださいよ!」
「(いや、道具がすごいだけで、俺は普通に使ってるだけなんだが……)」
俺は内心でツッコミを入れつつも、彼らの熱意に押されて、道具を貸して使い方を教えたりもする。
若者たちは、新しい道具の使いやすさに感動し、ますます俺への尊敬度(?)を高めていくという、悪循環(?)だ。
最近では、農業に関する質問だけでなく、なぜか個人的な悩み相談のようなものまで持ちかけてくる者まで現れ始めた。
「師匠、実は隣の家の娘さんのことが気になってるんすけど、どうアプローチすればいいすかね?」
「師匠みたいに、大人になったら落ち着けるもんですか?」
「し、知りませんよ、そんなこと! 俺に聞かないでください!」
俺はただの恋愛経験も乏しい中年独身男だぞ!?
なぜ俺にそんなことを聞くんだ!
全力で突っぱねるが、彼らは「師匠は照れ屋だな!」などと勝手に解釈しているようだ。
もう、どうにでもなれ……。
「はぁ……」
若者たちがようやく満足して帰っていくと、俺はどっと疲れてその場に座り込んだ。
騒がしいのは苦手だが、彼らの真っ直ぐな瞳や、村を良くしようと努力する姿を見ていると、邪険にするわけにもいかない。
それに、彼らが俺の知識(?)で成長し、村の畑が少しずつでも良くなっていくのを見るのは、正直、悪い気はしないのだ。
むしろ、少し嬉しいとさえ思ってしまっている自分もいる。
「(……俺も、少しは変わったのかな)」
リストラされて、自信を失って、異世界に飛ばされてきた俺が、まさかこんな風に若者たちから「師匠」なんて呼ばれて慕われる(?)ようになるとは。
人生、何が起こるか分からないものだ。
まあ、師匠呼びは断固として拒否し続けるつもりだけど。
俺は、夕日に照らされる自分の畑と、遠ざかっていく若者たちの背中を眺めながら、苦笑いを浮かべるしかなかった。
賑やかで、ちょっと面倒で、でも温かい。
そんな人間関係が、この異世界で確かに築かれつつあった。
*****
若者たちが「師匠、師匠」と騒がしく畑にやってくるのも、もはや日常の風景となった。
彼らの熱意は相変わらずだが、最近では少しずつ自分たちで考え、試行錯誤するようにもなってきたようだ。
村の畑からも、以前より良い作物が採れるようになったという話をちらほら耳にする。
そんなある日、畑で土の状態を確認していると、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこにはバルガスさんが立っていた。
彼は穏やかな笑みを浮かべて、俺の畑と、遠くに見える村の畑を交互に見ている。
「やあ、コースケ。精が出るな」
「バルガスさん、こんにちは」
「君のおかげで、この村もずいぶんと活気づいてきたようだ。特に若者たちの目つきが変わった。あれは良いことだ」
バルガスさんは、しみじみとそう言った。
「い、いえ、俺は本当に何も……ダリルさんたちが頑張ってるんですよ」
俺はいつものように慌てて否定する。
しかし、バルガスさんは首を横に振った。
「謙遜も結構だが、君がもたらした影響は大きいぞ、コースケ。君の知識、君の作る作物、そして……君の人柄が、この村に良い風を吹き込んでいるのは間違いない」
「そ、そんな……買いかぶりすぎですよ……」
「ふむ……やはり、君は自分を過小評価しすぎているな」
バルガスさんは、少し心配そうな顔で俺を見た。
「君は『自分には何もない』と思っているかもしれん。だがな、コースケ。君が持っている知識は、この村にとっては宝のようなものだ。そして、君のその誠実さ、誰に対しても分け隔てなく接する姿勢は、それだけで人を動かす力になる」
「俺に……そんな力が……?」
「そうだ。無理に前に出て、リーダーになれと言っているのではない。だがな、自分の持つ力を信じることも時には大切だ。君が君らしく、できることをしているだけで、それは既に大きな貢献になっているのだからな」
バルガスの言葉は、静かだが、力強かった。
元騎士団長として、多くの人間を見てきた彼だからこその、重みのある言葉だ。
俺なんかのために、こんなにも真剣に語ってくれるなんて……。
「ありがとうございます、バルガスさん……。でも、やっぱり俺には、そんな大した力は……」
それでも、俺は素直にその言葉を受け入れることができない。
長年染み付いた自己肯定感の低さは、そう簡単には消えてくれないのだ。
バルガスさんは、そんな俺の様子を見て、苦笑した。
「まあ、焦る必要はない。だがな、覚えておくといい。君は、君が思っているよりも、ずっと大きなものを持っている。そして、その力を必要とする時が、いつか来るかもしれん」
以前にも似たようなことを言われた気がする。
バルガスさんは、俺に何かを期待しているのだろうか?
それとも、ただの励ましの言葉なのだろうか?
「困ったことがあれば、いつでも相談に来いと言ったはずだ。一人で抱え込むなよ」
「……はい。ありがとうございます」
俺は、素直に感謝の言葉を口にした。
バルガスさんの言葉を完全に理解できたわけではない。
自分にそんな力があるとも思えない。
それでも、この頼りになる元騎士団長が、俺のことを気にかけてくれている。
その事実は、心細い異世界生活の中で、確かな支えになっているのを感じた。
「(バルガスさんがいてくれて、良かった……)」
柄にもなく、そんなことを思う。
彼との間に築かれつつある、この静かで温かい信頼関係を、大切にしていきたい。
バルガスさんは、もう一度俺の肩をポンと叩くと、ゆっくりと村の方へ戻っていった。
俺は、彼の大きな背中を見送りながら、彼の言葉をもう一度、心の中で反芻していた。
自分の力を信じる……か。
今の俺には、まだ難しいことだけど。
いつか、そんな風に思える日が来るのだろうか。
秋風が、答えの代わりに畑を吹き抜けていった。