1 スペースシンドローム
よろしくお願いします。
2、3日に一回更新ですが気長にやっていきます。
宇宙病。
いまよりも宇宙が近くなった影響から、宇宙の無限に拡がる雄大さに心を囚われ、それにより精神に異常を来たすとされた症状のこと。
またそれによって、聞こえないはずの声が聞こえたり見えないものが見えると言ったオカルトめいた症状が、少しの偏見と同情を伴って生活病の一種として割と一般化している。
一度宇宙に行った者であれば全ての人が発症する可能性があるとまで言われているこれは、水中で耳抜きが出来ないなどと同様に、宇宙に上手く適応できない不器用な人がいるんだ、とそういう常識になっている。
◆◆◆
とある一室。濃い緑色の短髪の男性と栗色のショートボブの女性が事務仕事をしている。男性の方はすでに仕事を終えたのか席を立とうとしていた。
「おつかれさまー」
彼は勤務先の事務所のデスクから立ち上がって、職場に向けて帰る挨拶をかけた。ここはとある資料館の備品倉庫兼事務所、彼を除いたもう1人に向けた挨拶だった。
そのもう1人、後輩のマニカもすでに帰り支度を始めているのを横目に、片手に鞄を持った彼がおもむろに歩き出す。
この施設の仕事は12人で担当をしていて、彼とマニカが最後の後片付けをしている。
「待ってください、先輩!今日こそ付き合ってもらいますから!」
「あ、あぁ…。悪いけどすぐ帰らないと。今日も無理なんだ」
「むぅ〜。まぁたあの人のお世話ですか…。たまには可愛い後輩を使って息抜きしてみません?」
「そうは言ってもお姉様だからね。あんなでも家族なんだ、それに構っているだけでも楽しいんだよ。……送っていくよ」
彼は後からついてきたマニカの方へ向き直ると、彼女の肩を軽く叩いて隣に並んで歩き出す。
いつからかマニカは上司の彼の事を目で追うようになっていた。上司と部下の関係に淡い恋心を混ぜた彼女は意外とグイグイ行くタイプのようだ。
しかし彼にとって家族サービスとは早く帰ること、仕事仲間の誘いは基本的に受けた試しがない。
ただ彼は一度は断ってしまった申し訳なさから家路だけは送っていこうと、事務所の明かりを消してから施設から出る。
センサーに手をかざして自動で鍵の閉まるの音を確認してから、少し先で身体の凝りを伸ばしているマニカに追いついた。
◆◆◆
青白い街灯に照らされた平坦に舗装されている歩道を並んで歩く。継ぎ目の見当たらない道に軽い足音が2人分響いている。
「送るんだったらセイルを呼んでおいたら良かったな。なんせ早いし」
「でもあれちょっとお高い感じで、私たちのお給料だと普段使いできませんよ」
「まあ高速で走るし静かだから高いんだろうね。次からは考えとくよ」
「せっかくだしゆっくり歩きましょ〜」
2人並んで歩いていることが嬉しいのか、軽やかなマニカは口に手をあて白い息を吐く。彼と同じ時間を共有できたのがマニカの楽しみなのだろう。
「はぁ〜、…寒いですね」
「最近は全天気候サービスが民間委託になったから、昔ほど気軽に気候操作できないみたいだよ」
「そうなんですか?知らなかった〜」
「……ニュースとかちゃんと見ないといけないよ?」
「でも先輩が教えてくれるからいいんですもーん!」
彼女は自らの無知を茶化すように分かりやすく肩を落としている。無理に大袈裟にポーズをとっているのは、少しばかり隣の彼に対して気にかけてもらおうという気持ちからだ。
とは言え、そんなマニカの想いを知ってか知らずか、彼はその反応に何も言及することは無かった。それよりも安全にマニカを帰すことが唯一絶対の任務のように、機械的なエスコートを遂行するだけだった。
しばらくして静かだった雰囲気は、歩くにつれ多少な喧騒にまぎれていた。
彼らの勤務先は歴史を扱う資料館。静寂感こそがブランドであるかのように、都市部にはあるが、ある種、周囲から隔離されているとも言えた場所にある。
少し歩かないと、人通りの多い場所たどり着けない立地だ。
「先輩って好きな食べ物とか、あります?」
マニカは彼のことをただの同僚だと思っていない節がある。理路整然とした態度、たまに見せるクールな仕草。マニカは彼のことを男性として意識しているので、彼のことを探りたがる。
「僕はとくにないけど…、お姉様は日本料理が好きだったかな」
「……もう!またお姉様のハナシ!…ってゆうか先輩のお姉様って案外俗っぽいですよねー」
「そうかな、ごめんね」
マニカは彼の返答に頬を膨らませるほどむくれていた。彼の反応が冷めているのはいつもの事でむしろ魅力とさえ思っているが、彼は姉の話しかしない。それがマニカの悩みの種でもある。
更に日本という国家においては、最近発掘が苛烈しているため注目されている。前の大戦の時に消滅してしまったと考えられているからだ。
マニカからすれば、最近の流行りに乗ったミーハーな好物が少し鼻についたようだ。
「先輩、今度旅行とかいきましょ!火星とか面白いらしいですよ!」
「……火星ね、とりあえず僕は地球にいたいかな」
「意外と冒険心がなかったりします?実際地球の中じゃ目新しいものもあんまないから行くなら火星なんですけどねぇ……」
マニカの追撃は残念だがあっけなく逸らされた。マニカの弁舌程度ではまだまだ彼に届かないようだ。
実は現代において惑星規模で、別星との交流や交易、旅行に至るまで今では非常に気軽である。
終始マニカと彼とはあまり波長が合わないようで、マニカの独りよがりな会話は自宅に到着するまで続いた。
◆◆◆
マニカの自宅前に到着し、彼はドライに別れの挨拶を済ませて自らも帰路につく。
別れ際、強引に食事の約束を取り付けられてしまったのは彼にとって幸か不幸なのか。
彼は足早に歩く。マニカとの語らいや同伴がすべて煩わしかったかさえ感じられるほどだ。
彼にとって、お姉様は最も重要最も大切。全ての事柄における最上位で、生まれる前からプログラムされていたかのようなシスコン具合。
自宅の自動扉を開ける時も、ソワソワしている様子で愛する家族のために急いで帰ってきた微笑ましい光景だ。
足音は大きく響き今にも走り出しそうだ。
家主の帰宅にセンサーが反応して照明がつく。彼は自室のドアを手で開けて、ついに帰還した。
「ただいまー、お姉様。すぐごはんにするから」
「ふぅ、今日も疲れた。…気疲れかな?」
「もうなんでそんなにテンション高いんだよ」
マニカの前では見せなかった彼の微笑み。営業スマイルではない心の底からの笑顔。誰に向けてのものなのか、彼にとっては至極当然のこと。
だがそこには、虚空に話しかけ笑いかける彼の姿があるのみだった。
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