5.発熱
結局纏まらない考えがぐるぐると頭の中をめぐり続けて迎えた翌朝、体がなんだか熱っぽいような気がして額に触れてみると、見事に熱が出ていた。
と言っても体の調子はどこも悪くない。
喉も頭も痛くなければ寒気もせず、他の風邪らしい諸症状はなにもないのだ。
これらの症状には覚えがある。
あれはいつだったか、まだこの国に来るよりずっと前にいた国で、とある事情から礼儀作法を覚えなければいけなくなったときのことだ。
1週間という短い期間で無理矢理頭に叩き込んだ結果、見事に今と同じような状態に陥った。
つまり今のこの有様は、頭を使いすぎて熱を出しているということだ。
(もう…さいあく…。)
自分らしくないとファニスは思った。
誰かのことを考えて一晩中頭を悩ませるなど、今までになかったことだ。
これから先にもないかも知れないとさえ思っていたというのに。
まさかあんなにも迷惑だと思っていた相手のことを考えて、こんな目に合う日が来ようとは。
(リリエスには絶対に言えない…。)
そう思いながら、ファニスは両手で顔を覆って深いため息を吐いた。
知られたが最後、きっと彼女はそれはそれは楽しそうな顔でによによと笑いながらあれこれと聞いてくるだろう。
思い出すだけでも卵が焼けてしまうのではないかと思うほど顔が熱くなるのに、その上自分の口から説明するなど以ての外だ。
そもそも何故こんなことになってしまったのかと、ファニスは自問する。
この国にやってきたのは自然の恵みに溢れていたからだ。
王都も含めた国のあちこちに緑が茂り、海は綺麗で海産物がよく獲れるうえ、土がいいらしく野菜や野草も良く育つ。
国の中心部から離れた森では野生の動植物が生き生きとしていて、暖かい時期になるとそこかしこに色とりどりの花が咲き乱れる。
人々の顔は明るく街には活気があって、とても豊かな印象を持った。
何よりこの国には色彩が多かったのだ。
海の中で見るよりも明瞭な色彩が。
それらはファニスの心を掴んで離さなかった。
これまでにもいくつかの国や街、村や集落を見てきたが、こんなにも豊かさを持ちながら争いも諍いもないところはなかったと言っていい。
最初はほんの数日滞在するだけの予定だったのだが、あまりにも居心地がよかったのだ。
そして何よりこの地は、ファニスの母がかつて父と出会った場所でもあった。
人魚の娘であることを隠すために二人は10年ほどの周期で各地を転々としたそうだが、父の最期は二人が出会ったこの国を選んだらしい。
母にとってもやはり思い入れが深いらしく、父が亡くなった後も時々この国を訪れては過ぎた日々を懐かしんでいる。
そんな母を見て思ったのだ。
「ここで過ごしてみれば、いつか自分にも恋心というものがわかるかも知れない」と。
そうして暮らし始めて2年ほどしたころにレオンハルトと出会い、何故かまとわりつかれ、今は考えすぎたストレスで熱を出して寝込んでいる。
「はぁ~~~…。」
そうしてまたファニスは深いため息を吐いた。
(お母さんもお祖母ちゃんも、最初はお父さんとお祖父ちゃんからのプロポーズを断ったって言ってたけど、最後は結婚したのよね…。それってすごく大きな決断だけど、決め手はなんだったのかしら…。)
もちろん、母には何度か尋ねてみたことがあった。
しかしその度に曖昧に笑ったり、おちょくられたりして話をはぐらかされてきたのだ。
幼いころは父のことを思い出して辛いからなのかと思っていた。
だからしつこく聞くようなことはしてこなかったのだが、今は違う。
(先達のアドバイスが欲しい…!)
あまりにも自身の中で答えが出てこないために、ファニスは追い詰められていた。
アドバイスは欲しい。
しかしからかわれるようなことをされては恥ずかしくて仕方ない。
けれども自分一人で悩んだところで、いつまで経っても答えが出る気もしなかった。
答えが出るどころか解決の糸口すら見つかる気がしないのだ。
堂々巡りのままに夜通し考え続け、気づけば朝になっていた有様である。
こうなってしまってはもう誰かに頼るしかない。
(よし!お母さんのところに…!)
そう心を決めた矢先のことだった。
コンコンと家の扉をノックする音がした。
まさかレオンハルトが来たのかと一瞬身構えたファニスだったが、その予想は外れた。
「ファニスいるー?エミリーだけどー。」
救世主の登場だった。
熱が出ていることも忘れて布団から跳ね起きると、そのまま勢いよく扉を開ける。
家の扉が内開きでよかった。
もしこの扉が外開きだったならば、扉の前に立っていた救世主の顔面を強かに打ち付け、昏倒させてしまっただろうから。
「ふぁに」
「エミリー!助けて!!」
まるで暴漢にでも襲われていたかのような助けの求め方をされて、扉の前の救世主ことエミリーは目を丸くした。
感情表現こそ豊かではあるが、普段滅多に焦る様子を見たことのない友人の必死さに面食らってしまったのだ。
「お願いだから相談に乗って~!!」
何があったのかと問うより先に、顔を真っ赤にした友人が泣きそうな勢いで懇願してくる様を見てエミリは察した。
(これは…ついに来たのね…!!)
「ファニス落ち着いて。心配しなくても、なんだって相談に乗るわよ!」
「うぅ…ありがとう…!」
甘ったるい恋話を聞ける予感を察知してエミリーは内心喜んでいた。
恋心を自覚したばかりの乙女の恋話ほど聞いていて楽しいものはない。
エミリーは何よりも人の恋話を聞くのが大好きなのだ。
レオンハルトがファニスに熱烈なアタックを始めた頃から、密かにこんな日が来ることを待ち望んでいたのだ。
もっともこれはファニス本人には絶対に言えないが。
わくわくする気持ちを悟られないよう、エミリーは平常心を装いながらファニスの家へと招かれていった。
エミリーちゃんは18歳です。
人の恋バナを聞くのが大好きな元気いっぱいの女の子です。