3.不意打ち
リリエスと心ゆくまで話し、すっきりとした気分で 家に帰ってきたファニスは入り口に佇む人物を見てピシリと固まった。
基本的にファニスはリリエスに会いに行ったとき、人目につきにくい深夜に家に戻るようにしている。
それは万が一にも、海から上がるところを人間に見られないためだ。
そう、つまり今は深夜なのだ。
であるにもかかわらず、自分の家の前に佇む人影がある。
そして、そんなことをする相手の心当たりは1人しかいない。
それは本来ならば真っ先に否定される可能性であるはずなのだが、彼の場合は「やりそう」の一言で済まされてしまう。
そうー。
「やぁ愛しのファニス!随分と遅い帰りだったね。女性がこんな時間に出歩くなんて危ないぞ!」
このレオンハルト殿下ならば。
(なんでこんな夜中にお城を抜け出してきてるの!この人は!?)
驚きと呆れで言葉が出ない。
王子であるにもかかわらず、護衛も付けずにこんなところまで来ている張本人に防犯意識のことをどうこう言われる謂れはないはずだ。
「時にファニス。ひとつ聞いても良いだろうか?」
「はぁ……なんでしょうか、殿下。」
どうせまた「そろそろ僕の花嫁になる決心はついたかい?」だの、「君の心を迷わせるものは何だい?」だのとくだらないことを聞かれるのだろう。
そう思っていたファニスにとって、続いたレオンハルトの言葉は完全に予想外のものだった。
「どうして君は僕が話しかけたとき、まったく驚かなかったんだい?」
「…は?それは…」
どういうことですか?と聞こうとしてやめた。
そして同時に、「しまった」と思った。
今夜は月が出ているとは言え、その形は真円には程遠いために満月ほどの明るさはない。
しかも月が輝いている場所はファニスの後ろ側でも頭上でもなく、レオンハルトの後ろ側なのだ。
つまりファニスのいる場所からは月明かりが逆光となっているため、随分と近づかなければレオンハルトの顔はほとんど見えないはずなのである。
人ではなかなか持ち得ない視力が、またも仇になってしまった。
「僕からは君の顔がぼんやりとだが見える。しかし君の場所からは、僕の顔なんてほとんど見えないだろう?」
言い訳にできそうな他の光源は少し距離がある。
さぁ、どう誤魔化そうか。
ファニスはレオンハルトに悟られないように、それでいて全力で思考を巡らせる。
「…私は先ほどまで、夜の海岸を散歩しておりましたから。今は暗さに目が慣れているんですよ。」
「あぁ、なるほど!しかしいくら目が慣れていても、遠目で誰かまで見えるものなのかい?僕が見ていた限り、君は人影に気付いてもまったく動じていないようだったけれど。」
「それは、私の家の前で待つような人物に、殿下以外の心当たりがありませんでしたので。」
「ははっ!それは光栄だな!」
言い訳ついでにちょっとだけ嫌味を混ぜ込んでみたのだが、レオンハルトにはまったく響いていないらしい。
嫌味をぶつけられたはずの本人は、何故か嬉しそうに笑っている。
相変わらず思考の読めない人物だと、ファニスは改めて思った。
「そんなことより」
誤魔化しついでに、本来聞きたかったことに話題を変えてみる。
「こんな夜遅くに、殿下は何故このようなところにいらしたのですか?」
「ん?あぁ。どうにも寝付けなくてね。そうしたら、君の顔が見たくなったんだ。」
「そんな理由で…。」
「僕にとっては『そんな理由』ではないよ。」
レオンハルトが突然いつもの調子とはまったく違う、真面目な声音で呟いたので、呆れかけていたファニスは面食らってしまった。
見ると、いつもは朗らかそのものな表情も、真面目なそれになっている。
真摯な目で見つめられ、ファニスは思わずたじろいだ。
「僕はいつでも君の顔を見ていたいと思っているし、いつでも君の声を聞きたいと思っている。」
「え…。」
「君の声で名を呼ばれると心が躍るし、君の目が僕の姿を映していると思うと堪らなく愛おしい。」
「ちょ、ちょっ…!」
「君に会えない時間はいつも君のことを考えているんだ。この想いはこの世界の誰にも負けない自信がある。君は僕にとっての太陽であり、空気であり、欠かすことのできない唯一の」
「ちょまっ!もっもうやめてください!!」
あまりにも恥ずかしい言葉の羅列に耐えかねて、ファニスは思わずダッシュでレオンハルトの口を両手でしっかり塞ぎにいった。
心もとない月明かりの下ですらわかってしまいそうなほどに、顔が赤くなっているという自覚がある。
何せ今まで経験したことがないほど頬が火照っているのだ。
レオンハルトの口を塞ぐ手はそのままに、ファニスは今の自分の顔を見られたくなくて顔を伏せた。
(なっ、なっなっなんっ…!?なんって恥ずかしいことをペラペラと…!!?)
口に出したいのに、あまりのことに声が出てこない。
あんな真面目な顔でつらつらと口説き文句のようなものを並べ立てて、この男に羞恥心というものはないのだろうか。
それに何よりもー。
(あんな目、知らない…!)
いつも見るレオンハルトはとにかく笑っているのだ。
そもそも愛想がいいので基本的に微笑んでいることが多いのだが、求婚を断る自分の言葉ですら怒るでも悲しむでもなく笑って躱している。
ヘラヘラしているとまでは言わないが、本気で求婚しているようにも見えなかったからこちらもあしらっていたのだ。
それなのに。
(なんで…あんな真っ直ぐな目で見てくるの…!)
心臓がドクドクと動いているのがわかる。
身体中の血がものすごい速さで巡っているような感覚がする。
口元を抑える手を通じて目の前の男にまで知られてしまいそうな気がして、抑える手の力を緩めた。
生まれて初めての感覚に、ファニスは混乱していた。
ファニスちゃんは恋愛経験値がほぼないので、アレが「口説き文句みたいなもの」ではなく
「思いっきり口説き文句」だということも理解していません。
レオンハルト殿下、可哀想に。。