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伊予 首無し馬 和田通興

作者: 伊予蜜柑

 戦国時代、この伊予の国が道後の湯築城の河野通宣に治められていたころ今の重信町志津川に、吉山城という城があった。

 この吉山城の城主和田通興も、もちろん湯築城の河野家の家来だったのだが、ある時、兵権を勝手に使い道宣の機嫌をそこねてしまった。

 怒った道宣は、

  「ふらち者め、生かしておいてなるものか。吉山城など、ただちにとり怖してくれるわ。」

 と、いまの松山市津吉町にあった城ノ台の平岡房実にめいじて、吉山城をせめさせた。

 吉山城では、殿さんみずから先頭に立って家来を励まし、必死に戦った。

城は、なかなかおちず、戦は、なん日もなん日もつづいた。

 ところが、そのうちに和田通興が、おもい病気にかかってしまった。それが、いまのコロナみたいな病気だったので、たちまちのうちに城中に感染した。

 こうなっては、満足に戦う事もできない。とうとう、城はおちて、和田通興も家来も、一人残らず討ち死にした。

 和田通興は、無念だろう。武士らしく、戦で敗れたのならともかく、病気のせいで、攻め滅ぼされてしまったのだから。

 それからしばらくたった、ある月のない夜のこと。ひとりの男が、吉山城から城ノ台を見とおす道すじを歩いていたら。遠くから「シャン シャン シャン」と、鈴の音がきこえてくる。音は、しだいにちかづいて、「カッ カッ カッ」

と、ひずめの音もひびいてきた。

 (こんな夜中に、だれが、遠乗りでもしてるんだろうか。)

 そう思っていると、馬は男の目の前にやってきた。だが、その姿を見たとたん、男は、

  「ギャーッ」

 と、叫び声をあげた。馬にまたがっているのは、鎧兜をつけた血まみれの武将で、そのうえ、馬には首から上がないのである。

 男が腰を抜かし驚いているうちに、その武将を乗せた首なし馬は、城の台の方に向かって、やみの中を走って消えた。

 その夜、男は、わけのわがらぬ熱がでて、三日三晩くるしんだという。

 首なし馬を見たという人は、それからも、何人とあらわれた。そして、決まって熱をだし、寝込んでしますのである。

 噂は、たちまちのうちにひろまった。

  「あれはきっと、吉山城の殿さん和田通興様の幽霊にちがいない。」

 無念の死をとげた和田通興が、ああしてまい晩、城の台へ仕返しにいかれるのだろう。」

 この首なし馬のとおる道は、いつもきまっていた、〈殿さん道〉とよんで恐れられ、夜になると、誰も通らなくなってしまった。

 そこで村役たちが集まって、

  「これはひとつ、和田通興様の魂が安らかに眠れるように、供養せねばなるまい。」

 と、相談し、和田通興が討ち死にした志津川の大きなハゼの木の下に、お墓とお堂をたてて、丁寧におまつりしたという。そこは今<どだんさん>と呼ばれている。

 おかげで、それからは、滅多に首なし馬はあらわれなくなったという。

 吉山城のふもとにある和田神社も、やはり、この殿さんをまつったもので、毎年八月の十四日、十五日の縁日には、お参りで賑わっている。また、和田通興は踊りが好きだったので、

  「ご縁日には、おどりを奉納しますけん。」

 とお願をかけると、なんでも、ねがいをかなえてくれるそうだ。

このお祭りも現在も残っているお祭りです。(コロナの影響中は不明)

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