10.僕の名前は「元気」です。 ①
どれくらい歩いただろう。駅なんて見えてこない。線路すらない。
ここがどこなのか、全くわからない。歩けど歩けど、見知らぬ景色が続くだけ。
日が暮れてきて、より一層わけがわからない。街灯も少ないし、人通りもない。
足が痛い。喉が渇いた。もう動けない。
その場にへたり込んでしまった。深いため息がでる。
兄貴の裏切りと自分の不甲斐なさを蹴散らして、力強く新しい一歩を踏み出したはずだった。
だけど、現実は何もできない世間知らずな僕が、力尽きて崩れ落ちているだけだった。
ため息をつく以外に何が出来るのか。何も出来ない・・・・。
へたり込んだところは、公園だった。もちろん知らない公園だ。
寝転がってみた。
土がひんやりと気持ちいい。疲れて火照った足をクールダウンしてくれる。
星が見える。
きれいだなあ。
「星見てんのか?」
突然、視界を遮って、ホームレスらしきおじさんが僕をのぞき込んできた。
驚いた。というか、ビビりまくった。思わず奇声をあげて、起き上がり、傍のベンチの陰に隠れた。隠れたつもりで、はみ出しまくってたけど。パニクッてて、自分でも何やってるのか、わけわからなかった。
「びっくりせんでええ。なんもせんけん。」
ひどくなまりのある喋り方だった。
それから僕たちはポツポツと会話を始め、少しずつ打ち解けていった。
その人は「つねさん」といって、夜はこの公園を中心に暮らしているらしい。
色々生活の仕方を教えてくれた。
飲み水なら公園のどこがいいとか、身体を洗うなら、どの水場が便利だとか。
ダンボールや新聞はどこへ行けば、良いのが手に入るだとか。
雨の日の寝床はどこがいいとか。
食べ物の調達方法とか。
つねさんと一週間共に過ごした。何にも一人じゃ出来ない僕が、少しだけ成長したような気がした。
こんなに優しくて面倒見のいいつねさんがどうしてホームレスしてるんだろうと不思議に思えた。
聞いちゃいけないのかもしれないけど、聞いてみたくなった。
「ん?あーどうしてかなあ?自分でもよくわからんけどなー。
結婚もしとったしな、子供もおったんよ。女の子と男の子。
どっちも可愛うて、ええ子なんじゃ。
嫁もべっぴんで、ええお母さんじゃ。
ほんまに恵まれた幸せな生活しとった。
仕事もこう見えて一流のとこ勤めとったしな。
高給取りじゃ。ごっついローン組んで立派な家も建てて、
理想通りの人生じゃったなあ。」
ますます、つねさんのことがわからなくなった。何があっての今なのか?会社が倒産したとか、不倫してたとか。実は裏の顔があって、やばいことしてたとか。
聞いてみたい・・・
「田舎者が、都会に出てきて、根限り踏ん張って踏ん張って、一瞬の気も抜
ずに、理想の仕事と理想の家庭を築きあげて、理想の人生を進んどったんじゃ
けどなあ。
フッと途切れたんじゃ。なんかこう、糸が切れるっちゅうんかなあ。
あの日・・・
いつも通りに家出て、いつも通りに出社するはずじゃったのが、気が付いた
ら、知らん町の川辺の土手に寝っ転がって、空を流れる雲を見とった。
気持ちよかったなあ。
ホームレスの「つねさん」の誕生じゃ。
家族も友達も親も仕事も全部、肩から降ろしてもうた。
すっきりしたと思うたんじゃけど、すぐ後ろから後悔が押し寄せてきよった。
ほんでも時すでに遅しじゃ。
もう元には戻らん。
どねーあがいてみたところで、わしが突然姿くらましてしもうたことは、
変わらん。
会わせる顔がない。」
そんなの謝ればいいのにと思った。きっとみんな許してくれるよと。
だけど、その一方で、僕にはわかる気もした。
一度学校を休むとなかなか行けなくなる。何とかしようとするんだけど、身体が動かない。それでも気を取り直して月曜の朝に頑張るんだけど、これがまた物凄く難しい。
たまたまなんとか行けたら、その週は何日間かは行ける。
でも月曜日だめだと、その週は全滅。なんかこう、仕切り直して、一からって思ったその一の月曜日にうまくいかないのって、すごくダメージなんだ。なんか全部壊れてしまったような感覚になるんだ。
だからなんとなく、、、
僕なんかとは全然比べものにはならないんだろうけど、つねさんの気持ちのほんの一部が共有できる気がした。
きっと、失踪前に戻れたらって、何度も思ったんだろうな。失踪してしまったこと、誰よりつねさんが一番許せないし、そのことでそれまでの完璧が崩れたことも受け入れられないんだろうな。
今、つねさんの家族はどうしてるのかなあ?。会いたいとか思わないのかなあ。家族のことどう思ってるんだろう。聞いたら傷つけることになるかなあ?図々しいかなあ。色々聞いたしこれ以上は失礼かなあ?・・・
「もちろん、気にはなっとるし、幸せに暮らしとって欲しいと思うとる。
じゃけど、会うわけにはいかん。家族を捨てたんじゃからな。
ほんでもいっぺん、こっそり様子を見に行ったことがあるんじゃ。
一目でええから、遠くからでええから、子供と嫁の顔が見とうてな。
姿消してから三年くらい経っった頃かなあ。
下の子が小学生になっとるはずじゃった。
小さい体に大きいランドセル背負うとんかなあと思うたら、たまらん会い
とうなって、家の近くまで行ってしもうた。
じゃけど、家から出てきたのは、わしの元部下とその子供じゃった。
楽しそうに行ってきまーす言うて、一緒に出掛けよった。
わしの家を買い取ったんじゃろうな。
エリートだったわしが建てた家のローンを二人の子供を育てながら
嫁が返していけるわけがないけんな。
嫁と子供らがどこへ行ってしもうたんかは、わからんかった。
今頃は、子供らも結婚でもしとるかもしれんなあ。
幸せになっとってくれたらえんじゃけどなあ。
嫁も再婚でもして、穏やかに暮らしとってくれたらなあと思うで、そりゃあ。
勝手な思いじゃけどな。」
なんかキューっと胸が締め付けられるようなせつなさに襲われた。
つねさんは悪くない。誰も悪くない。ほんのちょっと、何かがズレただけ。本当にほんのちょっと。
ほんのちょっとなのに、どうして元には戻らないんだろう。どうして元に戻せないんだろう・・・
「よう、元気君よう」
つねさんが、絞り出すような声で、僕の名前を呼んだ。
「帰る家があるなら、あるうちに、帰っとけ。
そうせんと、二度と帰れんようになるけんな。
ここは元気君の居るところじゃない。
長居すんな。」
僕はうつむいた。そしてうつむいたまま、うなずいた。
翌朝、つねさんが最寄りの駅まで連れて行ってくれた。最寄りと言っても30分以上歩いた。
何かつねさんに話しかけようとするんだけど、言葉が出てこない。
あんなにたくさん話したり、二人で色んなことをしたのに。
なぜだか、言葉が見当たらない。
つねさんも何も喋らない。
ただただ、黙々と同じペースで足を交互に前に出すだけだった。
駅に着いて路線図を見て、ようやく僕は自分が今どこにいて、どう帰ればいいのか理解した。
つねさんにお礼を言って、僕はつねさんの姿が見えなくなるまで、その後姿を見送った。
そして見えなくなると、深々と頭を下げた。
つねさん、この御恩は一生忘れません。
切符を買って、大きく深呼吸して改札を通った。
帰るんだ、堂々と。逃げない、絶対に。
「元気」の名前に引け目を感じない自分になるんだ。
勇ましい気持ちとは裏腹に、足はガクガク震えていた。




